episode1 王女の秘密[1]
グリーデント王国のほぼ中央に位置する王都。その中心に、王族の住まう居城があった。
その一角、草木が生い茂り、季節の花が咲き乱れる手入れの行き届いた庭園。高い塀で遮られたそこには、城外の騒がしさは伝わらない。
早秋の日差しを遮る木陰の下、姫君達の会話の花が咲く。
いろとりどりの菓子が並べられたテーブルの周りを囲む四人の姫。彼女達は皆貴族、それもかなり良い家柄の令嬢ばかりだ。
「ふふふっ、そんなにご謙遜なさらずとも、ジュリア王女のお噂はかねがね聞いておりますわ」
令嬢のうちの一人――金色の髪を高い位置で結い、鮮やかな朱色のドレスで身を包んだ姫は鳥がさえずるように笑い淀むことなく言葉を紡いでいく。
「淑女の鏡のように貞淑で、学問に秀で……こんなにもたおやかで美しい方をわたくし、今まで見たことありません」
「おまけにこの容姿です。ある人は百合の花にたとえ、月の光にたとえますが――そんなものではとてもたとえられぬと思いますよぉ。女のわたくしも思わずうっとり、です」
彼女の右隣りに座る姫――亜麻色の髪を垂らし、穏やかな笑みを湛える彼女は、おっとりとした口調で付け足す。
「買い被りすぎです。それに噂とは、いつだって尾ひれがつくものです」
ジュリア王女は控えめに笑みを浮かべる。
姫達の言葉は、嘘ではない。
艶のある栗色の髪に、同じ色の澄んだ瞳。その頬は照れるように桃色に染まっている。
そして、スラリと伸びた手足。金の糸で飾られた瑠璃色のドレスはシンプルだが上品で王女によく似合っていた。
背筋を伸ばし姿勢正しく椅子に腰掛け、たびたびティーカップを口に運ぶその所作にも気品がある。
グリーデント王国の第一王女、ジュリア・グリーデント。王女は容姿だけでなく、優れた才故に多くの者からの尊敬と羨望の眼差しを集めていた。
「……おまけにその才能、武芸にまで及んでいるとか。武術を習い身も心も強い淑女となる。まさにグリーデントの女の鏡! ああ! わたくしも見習いたい!
男も女も皆ジュリア様は素晴らしい方だと口を揃えますわ。この前だって……!」
「まぁまぁ。エリーゼ様はまずそのおしゃべりをどうにかするべきかもしれませんねぇ」
「まぁ、グレース様ったら!」
やはり穏やかな調子のグレース嬢の言葉に、エリーゼ嬢はそう、素っ頓狂な声をあげた。他の姫達は思わずクスクスと笑いをこぼす。
「そういえば……先程からディアナ様は何も話されていませんが、もしかして体調がすぐれないのですか?」
ティーカップから手を離し、ジュリア王女は不安げな視線を送る。
何も発言していなかったディアナ嬢は、慌てたように首を振る。
「いえ、その、違うのです!」
童顔な上に、肩にかかるくらいの髪の長さをしている彼女は、年齢よりかなり幼い印象だ。今はおどおどとした様子で、ますます幼く見える。
「体の調子が悪いわけではなくって!」
「でも、顔色も少し悪いですよ?」
「違うんです、これは……!」
そこにエリーゼが口を挟む。
「聞いてくださいよ! ジュリア王女! 彼女ったら昨日眠れなかったらしいですよ! ジュリア王女にお会いするのが楽しみで!」
心底愉快そうに笑うエリーゼに、ディアナの顔は羞恥からたちまち真っ赤になった。
「……エリーゼ!」
怒りをあらわにするもまったく怖くないので、エリーゼは笑うのを止めない。
「あらあら、まるでお祭りの前の子供みたいですねぇ」
「グレース様もぉっ……!」
そして、当のジュリア王女と目が合い、慌てて弁明する。
「違うんです、ジュリア様! こうやってお茶会に招待していただいて、夢みたいで……!」
「ここに来るまでも、ジュリア様がわたしのこと嫌いになったらどうしようだとか、ドレスにおかしなところがないかだとか、何度もきいてきて! だからわたし、言ったんです。ジュリア様は優しい方だから、心配いらないって!」
そうからかうエリーゼに、ディアナはぷい、と彼女のほうから顔を背けた。
「もぅ、エリーゼの意地悪っ!」
「……お二人は仲がよろしいんですね」
ジュリアは苦笑混じりで言った。
「ええ。だからいつもこのこの話、聞いてたんです。ディアナは初めて出会ったときから、ジュリア様のことをお慕いしているみたいで……」
「それはその、そういう意味ではなくって……でもわたし、こんなにも強く誰かに惹かれたこと、ありません!」
「まぁまぁ、まるで恋でもしてるみたい」
グレースの言葉に、ディアナがまた赤面した。
「あぅ……!」
「ふふっ、確かにジュリア様より素敵な殿方はなかなかいませんわ」
エリーゼの言葉に、顔を赤くしたディアナは頷く。
「それにすごく……強くって綺麗で……女性としても素晴らしくって。だから憧れてしまって。ジュリア様にとってわたしなんて、とるに足らない存在かもしれませんが……」
「そんなことはありませんよ。初めてお会いしたときのことも良く覚えています。可愛らしい方だなぁ、と」
ジュリアの言葉に、瞬く間にディアナの目が輝く。
「そんなっ……聞いた? エリーゼ! ジュリア様がっ!」
「はいはい、よかったですね、ディアナ」
「……そんな、大袈裟です」
王女は困ったように呟いた。
だが、ディアナは心ここにあらずという風に歓喜に声を弾ませる。
そこに一人の初老の男性がやって来た。彼はエリーゼに仕える執事だ。
「皆様、そろそろ……」
「まぁ、もうそんな時間? 楽しい時というのは驚くほど速く過ぎるものですね」
三人は改めてジュリアのほうを向き直った。
「本日はお招きいただきありがとうございます。美味しいお茶におしゃべり。本当に楽しい時を過ごせましたわ」
「今日はこれで失礼しますが……よければ、また」
「はい。その、これからも……よろしくお願いしますっ!」
ディアナは固い表情で少し場から浮いたことを言い、頭を下げた。他の二人も頭を下げると別れの言葉を告げ、席を立つ。
名残惜しそうに微笑みながらも、三人は去っていった。ジュリア王女は愛想良く微笑みながら手を振ってそれを見送る。
やがて三人の姿は見えなくなった。それを確認すると、ジュリアは小さく安堵の息を漏らした。
そこにジュリアのよく知る使用人がやって来る。
「片付けましょうか?」
そういう彼女の名前はエミリア。短い灰色の髪に使用人服を完璧に着こなしていた。年齢はジュリアと同じくらいだが、年齢以上の落ち着いた雰囲気を持っている。
華やかな顔立ちではないが、瞳の光には芯の強さのようなものを感じさせた。
彼女が落とした視線の先――テーブルの上には、客人をもてなすために用意されたいくつもの菓子がまだ半分以上残されている。もっとも、茶会に招かれてたくさん菓子を食べるような令嬢はいないから、当然なのだが。
ジュリアは首を横に振った。
「いや、そろそろあいつが……」
「ジュリア!」
明るい声とともに、一人の少女が現れた。
王女を呼び捨てにしたこともそうだが――その少女はかなり風変わりな格好をしていた。
腹部や太股を露出させた、赤を基調とする派手な服。くるみ色の髪は一つにまとめてみつあみにしている。大剣を背負っており、それだけ見ると戦士や騎士のよう――というか実際に彼女は王立騎士団に所属しているのだが、年齢や性別もあいまってなかなかそうは見えない。
ちなみに、以前ジュリアは彼女の格好を、『騎士というより冒険小説に出てきそう』と評した。もちろんこんな奇抜な格好をしている者は、城はもちろん城下街にもいない。いたとしてもお祭りのときくらいだ。
「……マーヤ」
名前を呼ばれた彼女――マーヤは笑顔を返した。
「お疲れ様」
そして視線をテーブルの上の菓子に落とす。
「……」
何も言わずただ、じっと見つめる。
ジュリアはその視線の意味をすぐに察した。
「……食べたいなら食べていいぞ」
その口調はさっきまで令嬢達と話していたのとは違う、ぶっきらぼうな口調だった。
「本当に!」
そんなことなど微塵も気にせず、瞬く間にマーヤは若葉色の瞳を輝かせる。
ジュリアの向かいの席に座ると、遠慮もぜずに菓子を口に運び始めた。
「はぐっ、むしゃむしゃ、はぐはぐっ……ジュリア、これ美味しいよ!」
両手で菓子を持ち頬張るその姿は、品も何もない。さっきの令嬢達とは大違いだ。
だが心底幸せそうなその表情に、ジュリアも思わず口元が緩んだ。
「それは良かったな」
「紅茶も飲みますか?」
エミリアもそんなマーヤに慣れているような口調でそう言った。彼女はいつもこのような感じらしい。
「はい、飲みます! あ、砂糖は自分でいれます」
エミリアは無駄のない、洗練された動作でカップに紅茶を注ぐ。もちろん、使われている茶葉は国内産の最高品質のものだ。にこにこしているマーヤにそれが解るかは分からないが。
自分の前に置かれた紅茶に、マーヤは砂糖壷から砂糖を運ぶ。
一杯、二杯、三杯――
「茶を育てた者に失礼だと思わないか?」
さらに続く彼女の手に、ジュリアが思わずそう言った。確かにそんなに砂糖を入れては、紅茶そのものを楽しめないだろう。
「そんなことないよ? わたしはわたしが一番お茶を楽しめる方法で、飲んでるんだもん。わたし、甘いの好きだし」
だが、マーヤに反省の色はない。
「……そういうものか?」
「そうだよ! 食事は楽しむのが一番なの」
確かに一理あるとは思いながらも、幼い頃より当然のように食事作法を教わったジュリアにはどこか釈然としない。だが、確かに甘味を頬張り、甘すぎの紅茶を口の中に流し込む彼女を見ていると、まぁいいかと思えた。
「ところでお茶会はどうだったの? 楽しかった?」
「茶会? ……まぁ、いつも通りだ。楽しいというより、気を遣うから疲れる」
先程の令嬢達には決して聞かせられない台詞だ。
「まぁエリーゼ嬢達はまだ話しやすいけど……」
「……王女様も大変だね」
マーヤは半分ほど紅茶が残っているカップに視線を落としながら、呟く。
「まぁ、これも役目の内だからな。貴族と仲良くしとかないと、王族としても不都合なことが多いし……そういう親から生まれて来てしまったわけだし」
「でも、さ」
マーヤは何気なく、重大な秘密を言い放つ。
「……ジュリアは男なのに」
ジュリアはそれに舌を出し、目の下を引っ張り――あっかんべえで返した。
グリーデント王国はかつて一夫多妻制があった。
これは男尊女卑の考えによるものではない。当日、長い間続いた内乱のせいで多くの民が死んだ。当然その多くは戦地に赴いた男達だった。夫を失った未亡人も増えた。
だが農業を主体とするグリーデント王国では、結婚して子を残さなければ、年をとったとき生活するのが難しい。
そうした中で生まれたのが一夫多妻制だ。
ただし、決まりがいくつかあった。四人より多く妻を持ってはいけないこと。そして、すべての妻を平等に扱い、愛さなくてはいけないこと。
この制度は平和が続いた今、民衆の間ではだんだん廃れつつある。しかし、いまだ王族や貴族の間ではそれは残っていた。
現国王にもまた二人の妃がいた。もちろん、本妻、側室などという区別はない。
そして十七年前、それぞれの妃から子が生まれた。それがジュリアとその兄ロエルだ。つまり二人は異母兄弟だった。
兄弟、といってもロエルはジュリアより十四日早く生まれただけ。つまり王位継承権はどちらもほぼ平等に持っていることになる。
普通なら危惧すべき事態ではない。成長してから国王にふさわしいほうを選べばいいのだ。
だが、ジュリアの母、レイリンは恐れていた。ロエルと自分の息子、二人の関係が元で戦いとなることを。
レイリンは祖父を王位を巡る内乱で亡くしていた。今でも内乱を起こそうとしている者はいる。
彼女は自分の息子が原因で戦争が起こることを恐れた。もちろん、自分の子を戦いを起こさせるような人間に育てるつもりなどなかった。だが息子が幼い間は付け入るすきが多い事も事実。
そこでレイリンが考えたのは、自らの息子を娘として育てること。
グリーデント王国では女性でも王位につくことは出来たが、男のほうが優先順位が高い。
こうしてレイリンは自分の息子に『ジュリア』という女の名が名付け、『王女』として育てた。言葉遣い、仕草から王家の女としての武術まで。
他のどんな姫よりも姫としてふさわしいように。
もっともそれは表向きの話。どれだけ人前で素晴らしい王女を演じようと、ジュリアは内面まで王女らしくなることはなかった。
ジュリアの性別のことを知っているのは、王族と一部の使用人を除けば後はほとんどいない。
幼い頃は、成長すれば皆自然に気付くだろうと思ったのだが、もう十七だ。しかし今のところ誰にも言われずにそのことに気付いたのは、たった一人だけだった。
「エミリアさんのいれてくれたお茶、美味しいですね!」
ジュリアがマーヤのほうを見ると、そんなことをいいながらまた紅茶を口に運んでいた。
「マーヤさんは何を食べてもそういいますね」
「はい! 何を食べても美味しいです」
その時、エミリアの元に別の女の使用人がやって来た。慌てた表情の彼女がエミリアに何か耳打ちすると、エミリアは一つ頷いた。
「すいません、ジュリア様。ちょっと、揉め事があったみたいで……片付けは別の者にやらせますので」
「ああ、分かった」
「失礼します」
エミリアと使用人は頭を下げて、少し早足でその場を立ち去った。
「……エミリアさん、忙しそうだね」
彼女の後ろ姿に、マーヤは呟く。
「しっかり者だから頼られてるってことだ。どこかの間抜けな騎士とは違って」
エミリアに引き換え能天気なマーヤを、ジュリアはからかった。
「間抜けな騎士って誰? 騎士団のみんなはわたしの友達だから、悪くいったら許さないよ?」
見当外れなマーヤの言い草にジュリアは、お前だよと内心突っ込みをいれる。言葉にはださなかったが。
平和な昼さがりだった。
空は麗らかに晴れ上がり、日はゆっくりと傾いていく。
二人の頭上を一羽の白い鳥が飛んでいった。
ジュリアはそれを穏やかな気持ちで見上げる。
彼の日常は退屈で、矛盾を感じるものだ。決して自由ではない。
――自由でなくとも、不幸でもなかった。
「いいお天気だね」
向かい側に座っているマーヤははにかむ。そして嬉しそうにフォークにケーキを突き刺した。
ジュリアは思う。願わくば、こんな平和な日常が続けばいいと。
しかし、その想いは叶わない。
ガサ……ガサ……
風が木の枝が揺らす音。
……いや、風なんて吹いてるか?
ふと疑問に思い、自分の右側に立つ木に視線をあげた。
そこでジュリアは予想外のものを見た。
「正門に不審者……ですか?」
エミリアが聞き直すと、隣の使用人が頷く。
だが不審者自体はそう珍しくない。生活や王政に対する不満を訴える者が城の門前にやって来て揉めることもあれば、時には不穏な思惑を持った者が城内に侵入することもある。つい先日もそんなことがあったばかりだ。
「その者が少し変わったことを言ってまして、それで揉めてるんです」
「変なこと? ……実際に聞いてみたほうが早そうですね」
「今は王立騎士団の方が話を聞いてるみたいですが」
「それなら急いだほうが良さそうですね」
王立騎士団はグリーデント建国当日から存在する、由緒正しい騎士団だ。王家直属の武力組織で、所属する騎士の数はそう多くないが実力者揃いである。現在は王城、王族の警護や国王からの直接の任務を遂行することをその役割としている。
元々は由緒正しい組織だが、マーヤが所属することからも想像できるように現在は変わり者揃いだ。むしろマーヤはまだ話が解るほうで、他の騎士達はさらに変人ばかり。城ではしょっちゅう王立騎士団がらみの揉め事が起こる。
そんな騎士団が不審者の相手をしていると聞き、エミリアはかすかに不安を覚えた。事態が更に厄介なことになっていなければ良いのだが。
やって来たのは門近くに建てられた守衛室だ。門番の休憩や物置として利用されている。
「失礼します」
扉を叩いてそう言うと、エミリアは部屋に入る。
中には三人の人間がいた。
二人はエミリアもよく知る顔――騎士団員だ。金髪碧眼の色男と褐色肌で異邦人風の少年である。
「エミリアさん、お久しぶり、です」
そうどこかたどたどしい口調で言ったのは、褐色肌の少年だ。
「お久しぶりです。……わたしが口を挟むべきことでないのは承知ですが、厄介な事が起こっていると聞きまして」
いきなり部外者であるエミリアがやって来たにも関わらず、二人は嫌そうな顔はしなかった。
単純にエミリアへの信頼故だ。彼らはトラブルが起こったときや困ったことがあったとき、エミリアに助けてもらった事が何度かある。
エミリアは使用人達だけでなく城中の者からの信頼が厚く、一目置かれている。
「事情は聞いたか? こいつだ」
金髪碧眼の男――ルーカスは取り囲む不審者を指差す。ルーカスもエミリアには日頃世話になっていた。というのも彼は騎士団長で、普段はもっぱら団員達の起こした問題の始末に追われている。エミリアはそれをよく助けているのだ。
エミリアは問題の不審者を観察する。
その不審者は体格からエミリアより若いように見えた。少年は少し汚れたシャツを着ているが、それなりにきっちりした服装だ。深紅の細いリボンを蝶ネクタイ代わりに結んでいる。左頬には意図的につけられたと思われる傷。横に一本、更にそれに交差するように縦に二本、傷が引かれている。
変わっているのは、色付きのガラスがはめられたゴーグルをしていること。ゴーグルが顔を覆っているせいで、表情や年齢が分かりにくく、少年を怪しい印象にしていた。
椅子に座らされている彼の前に、エミリアはしゃがみ込む。
「お名前を聞いてもいいですか?」
「……クロード。クロード・カルリス」
こちらを警戒するようなその声は、まだ声変わりしていない。
続けて質問しようとすると、見ていた褐色肌の少年騎士が横槍を入れてきた。
「どう、しましょうか団長! やっぱり。城内に侵入を許した以上斬り捨てる、しか……」
「ええ! 中で話を聞かせろって言ったのはあんた達じゃないか!」
クロードは悲痛な声をあげる。
ルーカスは言葉通り今にも斬りかかりそうな少年騎士を押さえ、「お前は黙ってろ」と頭を叩いた。
エミリアは改めて問う。
「それで、あなたは何故この城にやって来たんですか」
「……僕は、ある人の従者なんです。その人と、お城に来る前にはぐれちゃって……」
「ある人? どなたでしょう」
「それは……」
どういう訳か言い渋る彼に、エミリアは更に訊く。
「どういった経緯かは分かりませんが、それらしい客人は特にいらっしゃいませんし……あなたの主はまだ到着していないのだと思いますが」
「そんなはずありません! 彼女、ここに来るのをすごく楽しみにしてて……少しでも早く、お城に辿り着こうとしてたから……」
彼女? エミリアは内心首を捻った。
「ご婦人ですか?」
意外にもクロードは首を横に振る。
「違います、歳は僕と同じくらいで」
ますます分からない。彼の主の目的も、どんな人物なのかも。
「彼女は一体……?」
「事情があって詳しくは言えないけど、身分は高い方です」
「彼女はどうして城へ?」
「ジュリア王女に会うためです! もう、王女の元へ向かってるかも……ジュリア王女に直接お話ししたら事情を分かってもらえると思うんですが」
「……」
エミリアはゴーグルで覆われたクロードの顔を見ながら思考を巡らせる。
「……、……あの」
沈黙に耐え切れずクロードが声をかけようとしたとき、唐突にエミリアの手が動きゴーグルを掴んだ。そのままゴーグルを押し上げ、クロードの素顔がさらされる。
ゴーグルの下にある二つの瞳。それにその場にいた者達は思わず息を呑んだ。
青と緑、彼の瞳は両目でまったく違う色を持っていたのだ。
「や、やっぱり怪しい、です!」
そう騒ぐのは褐色肌の少年騎士。
「両目で色が違う人間なんて見たこと、ないです」
「僕は別に怪しくなんて……! ある人の従者で……!」
「その『ある人』っていうのも、誰か言えないんだろ」
ルーカスの言い方も、クロード怪しむようなものだ。
「それは……!」
答えを見つけられず、クロードは言葉を無くす。
「だったら……」
「ルーカス様」
エミリアのよく通る声が、ルーカスの言葉を遮った。
「この少年のことですが、私に任せて頂けませんか?」
「しかし……」
「お願いします。何かあっても私が責任をとります」
そのはっきりとした口調に、ルーカスは首を横に振れなくなった。エミリアには借りがあるのだ。
ルーカスが頷くのを見て、エミリアは、
「ありがとうございます」
丁寧にそう言って、クロードの手を掴む。突然のことにきょとんとした顔の彼をそのまま部屋の外に連れ出した。
「あのー……信じてくれたんですか?」
守衛室を出たクロードはエミリアの顔色を窺う。
「すべてを信じたわけではありません。……ただ、あなたが城になんらかの危害を与えるとも思っていません。少なくともどこかの密偵の類いではないではないだろう、と」
「どうして……」
「見るからに怪しいからです」
率直な言葉にクロードは苦虫を噛み潰したような顔になる。否定の言葉が出ないのは、ゴーグル姿も素顔も特異であることを自覚しているからだろう。
「では参りましょうか」
歩き始めたエミリアの背を追いながら、クロードは尋ねる。
「ええっ! どこへ?」
「ジュリア王女のところです」
「え……」
「あなたの主がいらっしゃるかもしれませんよ。もし、いなくても……」
エミリアは振り返り、少し口元を緩めた。
「ジュリア様はたいそう退屈されていましたから。暇潰し程度なら、話を聞いて下さるでしょう」
そのジュリア王女は、目の前の光景に驚愕していた。
ふと視線を上げたそこにあったのは――
少女の満面の笑顔。
木の上に少女がいたのだ。
「……?」
ジュリアが突然のことに思わず席を立ったその時。
「ジュリアお姉様!」
弾むような声とともに落ちてきたのは、少女の体。
勢いよく落ちたその先にはジュリア。正面から彼女を受けとめることになる。
驚愕、そして混乱しながらもゆっくりと自分の腕の内に目を向ける。
体を密着させる彼女は、ジュリア向かってはにかんだ。少女の頬は淡い桃色に染まっている。
「……誰?」
一部始終を傍観していたマーヤが呟く。
その一言に、呆然としていたジュリアは慌てて彼女を引き離す。
「あ、あなたは……」
「まぁ、わたくしったら! 久しぶりにお姉様に会えるのが嬉しくって、つい!」
真紅のリボンで二つに縛られた金髪を揺らしながら、彼女はニッコリ笑う。
無邪気な声にあどけない表情。レースに縁取られた丈の短いスカートと白い靴下がよく似合っている。
笑顔を向けられたジュリアは、どうしたらよいのか分からず少し困り顔だ。
「……『お姉様』?」
首を傾げるマーヤのほうに、少女は向き直る。そうして胸をはって、堂々と答えた。
「お初にお目にかかりますわ。わたくしの名前は、ミルシー。ミルシー・グリーデント。ジュリアお姉様の妹ですわ!」
「え、妹? ……あ、わたしマーヤ・ガーディールです。ジュリア、様の騎士……じゃなくて茶飲み友達です」
……そこは騎士でいいだろ。なんで言い直すんだ!
心の内で、ジュリアは叫んだ。
「ジュリアお姉様のお友達……」
「はい」
マーヤのことをじっと見つめる。その格好を見て、「変わった方ですわね」と小さい声で言う。
確かにそうだが木の上から現れた人間に言われたくないだろう、とジュリアは思う。そう考えているとミルシーは、ジュリアのほうに再び体を向ける。
「改めましてジュリアお姉様! お久しぶりです!」
「ええ、お久しぶりです……ミルシーはどうしてここへ……?」
「もちろん、大好きなジュリアお姉様に会うために!」
「なんで木の上から……」
「一時でも早くお姉様に逢いたくって!」
ミルシーの顔にぱっ、と笑顔の花が咲く。
「…………そうですか」
一方、率直な彼女にジュリアは返答に困っている様子だ。だが、ミルシーはあまり気にしていない。
「はい! 再会できる日を心待ちにしておりましたわ! ……ジュリアお姉様!」
「……あなたの言ってることは、本当だったみたいですね」
いつのまにか、エミリアが戻って来ている。傍らにいた少年はエミリアの言葉に頷いた。
その後。
「今後のこともあります、少しお話を聞かせて下さい」
ある程度事情を理解しているらしいエミリアに連れられて、ミルシーは名残惜しげにその場を去っていった。
ジュリアは自室に戻った。
十分な広さのある、品のある部屋だ。
優美な装飾の施された長椅子と机が部屋の中央に配置され、壁にかけられた絵画は見事に部屋と調和している。
高級感あふれる、統一された調度品は、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸しだしていた。
奥は寝室になっており、南側の大きな窓からは暖かい光が降り注いでいる。
ジュリアは長椅子に身を投げ出すように座った。彼の顔には疲労の色がはっきりと浮かんでいた。
「えと……『ジュリアお姉様』?」
「だまれよ……」
嫌がらせとしか思えないマーヤの発言に、ジュリアは溜め息をつく。
「というかお前、ミルシーがいきなり現れてもなんにもしなかっただろ? お前の仕事は一応俺の護衛だろうが。不審者が現れたんだから警戒しろよ」
「わたしは素早く、彼女がジュリアに害なす存在じゃないことを判断したんだよ!」
胸をはるマーヤに、「嘘付け」とジュリアは呟く。
「でも意外だなぁ、ジュリアに妹がいたなんて。……妹、だよね?」
「まぁな。公にはされてないけど……確かに妹だ。腹違いの、だが」
ジュリアはマーヤに簡潔に説明した。
王族には強い心と体を培うため、子を城から離れたところで育てる風習があるのだという。
ジュリアも四年前に初めてミルシーと会い、この風習、そして自分に妹がいる事を初めて知った。
「ふーん、可愛い妹に随分好かれてたみたいだけど」
「可愛いねぇ……」
マーヤの言葉に、ジュリアは歯切れの悪い返事をする。
「あれだけ自分のことを慕ってくれているのに、可愛いって思わないのかな?」
「好意は、なんというか……居心地が悪い」
彼女が慕っているのはジュリアではない。王女としてのジュリアだ。本当の自分ではない自分を好かれるのはいつものことだが、ここまで慕われるとなると……なんともいえない複雑な心境になる。
彼女が妹であるにも関わらず隠し事をいることもその理由の一つだ。
「それはジュリアが優しいからだよ?」
「なんでそうなるんだよ」
「だって嘘をついてることに罪悪感を覚えるのは、優しい人だもん」
そっぽを向くジュリア。表情には表れていないが照れてる、らしい。
「……ジュリアは素直じゃないよね」
そう微笑むマーヤ。その妙に温かい視線にジュリアは何も言えない。
「それはともかくジュリアはミルシーちゃんのことをどうするつもりかな? やっぱり秘密を教えるの?」
「どうもしないさ。いつまでも城にいるって訳じゃないだろ。
適当にごまかして、やり過ごすよ」
「そう上手くいくかなぁ?」
マーヤのその言葉通り、ジュリアの思いのように事は進まなかった。
少したって帰ってきたエミリアはジュリアに伝えた。
ミルシーが王城で暮らす事になった、と――