一週間前には終わっていました
「東橋は、本日より大型荷馬車の通行禁止!補修完了まで、東街道から王都へ入る大型車は西門へ迂回されたし!」
銀鹿亭で働き始めて八日目の朝。
西通りを、市の布告官の声が走った。
通りのあちこちで窓が開く。
店主が顔を出す。
荷車の御者が馬を止める。
「東橋が止まったぞ!」
「いつまでだ!」
「大型だけだ!徒歩と軽車両は通れる!」
「西へ回したら半日遅れるぞ!」
通りは一気に騒がしくなった。
リディアは銀鹿亭の前で布告を最後まで聞き、そのまま店へ入った。
受付では、既にベルタが予約表を広げている。
「聞いたね?」
「はい」
「東から来る連中が、全部こっちへ回る」
「そうなりますね」
「今日は忙しくなるよ」
「はい」
ベルタが顔を上げた。
そのまま数秒、リディアを見る。
「……何だい」
「何がでしょう」
「いや」
ベルタは何か言いかけたが、首を振った。
「後だ。まず仕事」
正しい。
まだ何も起きていない。
だが、起きるまでにあまり時間はなかった。
午前九時には、最初の予約変更が来た。
十時には二件。
十一時には、東側の宿から馬房だけ借りられないかという問い合わせが来た。
昼前には、今夜の客室がほぼ埋まった。
西通りの他の宿でも似た状況らしい。
「燕麦が売り切れた!」
昼過ぎ、隣の宿の使用人が通りを走っていった。
「南市場まで行け!」
「そっちも値段が上がってる!」
その横を、銀鹿亭へ燕麦を積んだ荷車が入ってくる。
ミロが受取書を見て首を傾げた。
「値段、変わってない」
荷を運んできた飼料商が嫌そうな顔をした。
「予約分だからな」
「今日から上がったって聞きましたけど」
「上がったよ。二割」
ミロがリディアを見る。
飼料商も見る。
「本当に知らなかったんだろうな?」
「何をでしょう」
「今日、こうなるのを」
「東橋の通行禁止が今日から始まることは知りませんでした」
「その言い方が嫌なんだよ」
飼料商は頭を振った。
「追加分は契約量まで同じ値段だ。それを超えたら時価だからな」
「承知しています」
男が帰っていく。
ミロが燕麦袋を見る。
「リディアさん」
「はい」
「これ、あの六週間の?」
「そうです」
「……何で六週間だったんです?」
「今は運んでください」
「あ、はい」
ミロが袋を担いだ。
質問している時間はない。
午後二時。
銀鹿亭の客室は満室になった。
だが、本当に大きな問題が来たのは午後四時だった。
店の前に、泥を跳ね上げながら大型荷車が五台止まった。
その後ろに馬。
さらに馬。
全部で十四頭。
先頭の荷車から降りた男が、転がるように銀鹿亭へ入ってくる。
ハインツも一緒だった。
「ベルタ!」
「今度は何だい!」
「こいつら泊められないか!」
「人数!」
ベルタは事情より先に聞いた。
「十一!」
「馬!」
「十四!」
「無理だよ!」
即答だった。
「部屋は?」
リディアが聞く。
ベルタが予約表を見る。
「さっき三組が到着を明日に変えた。五部屋空いた」
「十一人なら?」
「寝台は足りる。部屋は問題ない」
つまり、問題は人間ではない。
リディアは商隊の男を見る。
「荷車五台。馬十四頭ですね」
「ああ」
男は汗を拭う。
「東から来た。橋の手前まで行って戻されたんだ。南へ下って西門まで回ってきた」
「積荷は?」
「染め上がった布だ。水に弱い。五台ともほぼ満載」
「明日の予定は?」
「北市場の問屋へ、朝七時までに二台分だけでも渡さないといけない」
ベルタが顔をしかめた。
「無茶言うね。今から馬休ませて、明け方にまた五台動かすのかい?」
「だから困ってる!」
男は頭を抱えた。
「東側の宿はどこも満杯だ。西へ来たら今度は馬房がない。ここの前に三軒断られた」
ミロが裏から来る。
「馬十四って聞こえたんですけど」
「空きは?」
「九です」
「五頭足りない」
「詰めるのは?」
ベルタが聞く。
「駄目です」
ミロの答えは早かった。
「知らない馬同士です。疲れてる上に詰めたら蹴ります」
「だよね」
ベルタは商隊長を見る。
「悪いけど――」
「荷車を空にしてください」
リディアが言った。
三人がこちらを見る。
商隊長が聞く。
「どこへ荷を?」
「向かいです」
窓の外を指した。
大倉庫の隣。
普段は閉ざされている、小さな旧塩倉庫。
「……あそこ、空き倉庫じゃないのか?」
「夜間だけ銀鹿亭が借りています」
ベルタの視線が、ゆっくり倉庫へ動いた。
「リディア」
「はい」
「あの倉庫」
「はい」
「まさか」
「まず荷物を移しましょう」
商隊長はもう立ち上がっていた。
「使えるなら払う!」
「ベルタさん」
リディアが見る。
ここを決めるのは自分ではない。
ベルタもすぐ切り替えた。
「一晩の料金はこれ。荷の出し入れには銀鹿亭の人間を付ける。鍵の持ち出しは禁止」
金額を示す。
「構わん!」
「じゃあ使いな!」
決まった。
ミロがまだ考えている。
「でも荷車を空にしても、馬房は九ですよ」
「荷車をどこへ置けば、馬を増やせますか?」
「裏の車置場を空けられれば、屋根付きの区画に四頭。祭りの時にやったことあります。あと一頭なら隔離用の小さい馬房」
「十四頭入りますね」
「入ります」
「安全ですか?」
「荷車さえなければ」
リディアは頷いた。
「では荷車は市の臨時車置場へ」
商隊長が困った顔をする。
「荷を降ろした五台を、誰が運ぶんだ?うちの馬は休ませたい」
「二台あります」
ベルタがリディアを見る。
「二台?」
「荷車屋さんへお願いしたものです」
「火曜から木曜まで空けてもらった?」
「はい」
今日が火曜だった。
ベルタが目を閉じた。
「……あれもかい」
「何がでしょう」
「いい。後で聞く」
予約していた二台の荷車を使い、まず倉庫への荷移しを手伝う。
空になった大型荷車は順に市の車置場へ運ばせる。
二往復。
三往復。
通りを塞がずに済む。
車置場が空けば、ミロが馬を入れられる。
そこでミロが言った。
「十四頭入っても、餌が足りなくなりますよ。今夜の予約分もいるんで」
「今届いた燕麦では?」
「追加分まで入れたら足ります」
ミロは言ってから止まった。
燕麦袋を見る。
リディアを見る。
「……足りますね」
「はい」
「六週間の固定価格」
「はい」
ミロも何か言いたそうだった。
しかし、馬の方が大事だった。
「じゃあ先に水やります。疲れてるんで、餌はすぐ大量にやらないです」
「そこはお願いします」
馬についてはミロの仕事だ。
「夜まで掛かるな」
ベルタが外を見る。
荷降ろしだけでも時間が必要。
普段の宿泊客もいる。
厩舎も動く。
厨房も動く。
「ミロ一人じゃ無理だよ」
「夜番の方が来ます」
ベルタの顔が動いた。
厨房から、ちょうどマルタの甥が出てきた。
十日間だけ試しに増やした夜番だ。
「今日は早く来ました!」
「……夜番」
ベルタが呟く。
「はい」
「これも?」
リディアは首を傾げた。
「今日は必要ですね」
ベルタが何も言わなくなった。
夕方六時。
十四頭の馬は全て安全に入った。
五台分の布も濡らさず倉庫へ移せた。
客室には十一人分の寝床を用意した。
大きな事故はない。
商隊長がようやく椅子へ座る。
「助かった……」
だが終わっていなかった。
「明朝七時までに、二台分を北市場ですね」
リディアが言う。
男が顔を上げた。
「そうだ」
「大型荷車五台を全部動かす必要はありませんね?」
「急ぐのは二台分だけだ。残りは昼でもいい」
「荷を分けても契約上問題ありませんか?」
「ない。荷札で分かれてる」
「では、急ぐ分だけ今夜中に分けてください」
「何に載せる?」
男の声が止まった。
自分で気づいたらしい。
店の外を見る。
予約していた二台の荷車。
「……あれを使うのか?」
「明朝も使える契約です」
ベルタが額を押さえた。
商隊長は椅子から立ち上がる。
「待て。あの二台は馬も付くのか?」
「御者と馬込みです」
「うちの馬を休ませたまま?」
「はい」
男の顔が変わった。
東橋まで進んだあと、大きく迂回した十四頭。
明朝また無理に走らせる必要がない。
急ぎの布だけを、王都の道を知る地元の御者と休んだ馬で北市場へ送れる。
「何時に出ればいい?」
「四時四十分」
リディアが答えた。
「早いな」
「西門周辺は明朝も混みます。五時を過ぎると、同じことを考えた商人の荷車が増えます」
商隊長はすぐ頷いた。
「分かった。四時四十分」
ベルタが厨房を見る。
「じゃあ朝飯は?」
商隊長が苦笑する。
「そんな時間に食ってたら遅れる。途中で何か買う」
「持っていってください」
リディアが言った。
厨房の棚。
紙に包めるパン。
チーズ。
干した果物。
既に用意されている。
ベルタが振り返った。
しばらく、それを見た。
「……朝飯まで?」
「はい」
「これもかい」
リディアは少し考えた。
「朝食は、普通に売れますから」
「そういう意味じゃない」
知っている。
最近、この言葉を言われる意味が少し分かってきた。
商隊長は分かっていない。
「何の話だ?」
ベルタが手を上げた。
「今はいい」
それからリディアを見る。
「まだある?」
「何がでしょう」
「用意してるもの」
「今回必要なものなら、これで足りると思います」
ベルタが笑った。
乾いた笑いだった。
「そうかい」
朝四時。
銀鹿亭には灯りがついていた。
だが普段のように、全員が慌ただしく走っているわけではない。
夜番が先に二台の荷車を受け入れる。
倉庫では急ぎの布だけが既にまとめられている。
ミロは十四頭の馬を見ながら、地元の荷車屋の馬には手を出さない。
そちらは御者が自分で管理する。
厨房では三十食分の包みが並んでいた。
「十一人分」
商隊長が受け取る。
「御者二人分」
追加。
ハインツが横から一つ取ろうとして、マルタに手を叩かれた。
「あんたは食堂で食べな!」
「一個くらいいいだろ!」
「金払ってから言いな!」
いつもの声が響く。
四時三十五分。
急ぎの布を積んだ二台が銀鹿亭を出た。
五分早い。
商隊長も一台へ同乗した。
自分の十四頭は眠っている。
大型荷車五台も、今日はまだ動かさない。
午前六時四十分。
北市場から使いが来た。
「受け取り、終わりました!」
受付で声が響いた。
「七時前に全部入ったそうです!」
ベルタが厨房から顔を出す。
ミロも厩舎から走ってくる。
残っていた商隊の男たちが歓声を上げた。
「間に合った!」
「違約金なしだ!」
「契約継続だ!」
ハインツが笑いながらリディアの背を叩きそうになり、寸前で止めた。
「あんた、貴族だったな」
「今は宿務補佐です」
「じゃあ叩いていいのか?」
「そこは職業と関係ありません」
「駄目か」
「痛くなければ」
結局、軽く肩を叩かれた。
昼には残りの荷も動き始めた。
休ませた馬の状態は悪くない。
急ぎでない布は、大型荷車へ戻してから順に北へ送る。
銀鹿亭は二日続けて満室。
倉庫利用料。
厩舎料金。
食事。
持ち出し朝食。
追加の荷扱い。
費用も増えた。
だが、それ以上に売上が増えた。
しかも燕麦を慌てて高値で買わずに済んでいる。
夕方。
ベルタが帳簿を閉じた。
「過去最高だよ」
「売上ですか?」
「残った金が」
リディアは数字を見る。
本当だった。
祭りの日より多い。
無理に客を詰め込んだわけでもない。
馬を危険な状態で入れたわけでもない。
働く側だけに負担を押しつけてもいない。
「良かったです」
素直に嬉しかった。
ベルタが返事をしない。
代わりに、机の引き出しから紙を出した。
一枚目。
旧塩倉庫の夜間賃貸契約。
日付を見る。
七日前。
二枚目。
燕麦の価格予約契約。
六日前。
三枚目。
夜番の短期雇用。
六日前。
四枚目。
持ち出し朝食の発注。
五日前。
五枚目。
荷車二台の予約。
五日前。
ベルタは五枚を机へ並べた。
その横に、市から届いた今日の日付の布告を置く。
東橋、大型荷馬車通行禁止。
机の上だけを見れば、順番が逆だった。
対策の書類が先。
問題の布告が最後。
「リディア」
「はい」
「今度こそ全部話しな」
リディアは五枚の紙を見る。
「全部、ですか?」
「倉庫だけじゃない。餌も、夜番も、朝飯も、荷車も」
ベルタは一枚ずつ指す。
「何で必要になるって分かった」
もう、伏せておく理由はなかった。
現実が答えを出している。
リディアは椅子へ座り直した。
「最初に気になったのは、大型荷車だけが重量検査を受けていたことです」
ベルタも向かいへ座る。
ミロも、いつの間にか扉の近くにいる。
「荷物の中身ではなく、重さだけを何日も確認していました。密輸検査なら積荷を見るでしょう。車軸の規制なら、他の場所でも同じ検査が増えるはずです。でも東側だけでした」
「だから橋?」
「まだです」
リディアは続ける。
「同じ時期に、市が普段より太い梁材をまとめて買っていました。さらに測量棒と縄を持った作業員が東へ集まっていた」
ベルタの目が細くなる。
「大型車の重さ。太い梁。測量」
「はい」
「それで東橋の補修だと?」
「東側で、大きな荷重を受ける構造物に問題がある可能性が高いと考えました。候補は倉庫や門もありましたが、大型荷車だけの重量を何日も調べる理由としては、橋が最も自然でした」
「橋が壊れると?」
「そこまでは分かりません」
リディアは首を振る。
「完全閉鎖になる可能性も低いと思っていました。作業員を先に入れているなら、市も状態を把握しようとしている。ですから、起きるならまず大型車の通行制限だろうと」
ミロが口を開いた。
「そこから、何で燕麦になるんです?」
「東橋を大型車が通れなくなったら、大型商隊はどこへ行きます?」
「西門……」
「はい」
リディアは西通りの方を見る。
「東から来た商隊が西へ回れば、数時間遅れます。西通りはもともと新しい倉庫が増えていて、商人と馬が以前より多い。そこへ迂回した商隊まで来ます」
ベルタの顔が少しずつ変わっていく。
「客室より先に」
「馬房と飼料です」
リディアが答える。
「人間なら多少離れた宿にも泊まれます。でも馬を何十頭も急に置ける場所は少ない。飼料も、宿泊客が増えた人数分ではなく、馬の頭数分一気に減ります」
ミロが燕麦の契約書を見る。
「だから六週間」
「橋の補修が長引いても対応できるように。ただし最低購入量は普段使う分だけです。橋に何もなければ、予約料以外はほとんど損しません」
「じゃあ倉庫は?」
ベルタが聞く。
「馬が増えれば、荷車も増えます」
「……ああ」
「荷を積んだままの荷車は外へ追い出せません。雨に弱い商品もあります。荷を別に置ければ、荷車を車置場へ動かせる。銀鹿亭の敷地を、人と馬のために使えます」
ベルタが旧塩倉庫の契約を見る。
今日、まさにそうした。
「夜番」
「到着が遅くなります」
リディアは続けた。
「迂回した商隊は、普段より夕方から夜に集中する。馬が増えるだけでなく、荷を下ろす作業まで夜へずれます。ミロさん一人へ任せれば危険です」
ミロが黙った。
昨日までなら笑ったかもしれない。
今日は笑わない。
「朝飯」
ベルタが四枚目を指した。
「遅れて着いた商人は」
そこまで言って、ベルタ自身が止まった。
分かったらしい。
「翌朝、早く出る」
「はい」
リディアは頷いた。
「遅れた時間を取り戻そうとします。朝食を食堂で待つ時間を嫌がる方が増える。食べずに出てもらうより、持っていっていただいた方がいいです」
「……荷車は」
「疲れた馬を翌朝すぐ走らせられない商隊が出ると思いました」
商隊長の十四頭。
全部、当たった。
「急ぐ荷だけなら、地元の新しい馬と荷車へ積み替えられます。大型車五台全部を動かす必要もありません」
ベルタは最後の予約書を見る。
「五日前に、そこまで?」
「橋の通行制限そのものは六割くらいでした」
「六割?」
「はい」
「六割でこれ全部やったのかい」
「全部外れても損が小さいようにしました」
一枚ずつ指す。
「倉庫は一か月だけ。夜間利用だけなので安い」
次。
「燕麦は普段使う量を最低購入量にして、余分なのは予約料だけ」
次。
「夜番は十日間の試用」
次。
「朝食は売れなければ通常の食事へ回せるものだけ」
最後。
「荷車は三日間の予約金だけ。使わなければ運賃は発生しません」
ベルタは何も言わない。
リディアは少し不安になった。
「説明が長かったでしょうか」
「違う」
ベルタは低く答えた。
「逆だよ」
「逆?」
「今、ようやく全部分かった」
五枚の契約書。
一枚だけを見れば、小さな支払いだった。
使っていない倉庫。
少し多い燕麦。
一人増えた夜番。
売れるか分からない朝食。
何を運ぶかも決まっていない二台の荷車。
「私はね」
ベルタが言った。
「倉庫は倉庫。餌は餌。夜番は夜番だと思ってた」
「はい」
「全部別の話だと思ってたんだよ」
リディアは少し考えた。
「別の契約ですから」
「そこだよ」
ベルタが机を叩いた。
「違うんだ」
ミロが五枚の紙を見ている。
「あの大型商隊」
ぽつりと言った。
「倉庫なかったら、荷車をどかせませんでした」
「はい」
「荷車どかせなかったら、十四頭入りません」
「はい」
「十四頭入っても、燕麦なかったら困った」
「はい」
「俺と夜番の二人じゃなかったら、夜中まで荷と馬を見られなかった」
「そうですね」
「朝は飯待ってたら、二台出すの遅れてた」
ベルタが続ける。
「そもそも、その二台がなきゃ疲れた馬をまた走らせるしかなかった」
誰も何も言わなくなった。
五つの準備。
一つずつ便利だったのではない。
全部揃ったから、あの商隊を受けられた。
一つ欠けていれば、どこかで止まった。
ベルタが市の布告を持ち上げた。
「私たちがこれを見たのは、今日の朝だ」
「はい」
次に倉庫の契約書。
「こっちは七日前」
「はい」
燕麦。
「六日前」
夜番。
「六日前」
朝食。
「五日前」
荷車。
「五日前」
ベルタは最後にリディアを見る。
「橋が止まった時、私たちは『どうしよう』って考え始めた」
「そうですね」
「でもあんたは」
そこで一度言葉を切る。
「あの時には、もう終わってたのか」
リディアは少し考えた。
「終わってはいません」
ベルタが眉を寄せる。
「まだ何かあるのかい」
「実際に橋が止まるかは分かりませんでしたから。当日の調整は必要でした」
「そういうところだけ妙に正確だね」
ベルタが深く息を吐く。
「じゃあ言い直す」
五枚の契約書を重ねる。
「私たちが問題に気づく前に、必要な物だけは全部揃えてた」
「はい」
それなら正しい。
ベルタは天井を見上げた。
「恐ろしい娘を雇っちまったね」
「解雇しますか?」
「するわけないだろ!」
即答だった。
リディアは少し笑った。
「なら良かったです」
「笑い事じゃないよ」
ベルタも笑っていた。
その日の夜。
ハインツが食堂で、帰り支度をしている商隊長へ酒を注いでいた。
「どうだった」
「助かったなんてもんじゃない」
男は銀鹿亭の受付を見る。
リディアは明日の予約を整理している。
「橋止めが出た朝、俺はどうやって荷を運ぶか考えた」
「普通そうだろ」
「あの人はいつ考えたんだ?」
ハインツが肩をすくめる。
「知らん」
「聞いたのか?」
「前に聞こうとした」
「で?」
「途中からやめた」
商隊長が怪訝な顔をする。
「何で」
ハインツは酒を飲む。
「予定だけ先に伝えた方が早い」
翌朝。
ベルタが一枚の紙をリディアの机へ置いた。
「これ、見て」
「何でしょう」
「西通りの倉庫主から。橋が止まってる間だけ、夜間荷扱いを銀鹿亭と組みたいってさ」
リディアは条件を読む。
少し考える。
「この条項を一つ加えても?」
「何のためだい」
ベルタは聞きかけた。
口を閉じた。
数秒考えてから、質問を変える。
「いくら掛かる?」
リディアは顔を上げた。
「追加費用はありません」
「外れた時に困る?」
「いいえ」
ベルタはペンを出した。
「なら入れな」
「理由は?」
今度はリディアが聞いた。
ベルタは鼻で笑った。
「必要になったら、その時まとめて聞くよ」




