鏡像Ⅰ
須永や塚本などの小説を読んでいた時期に、安易に旧仮名遣いに挑戦してみたものなので、とても読み難いと思います。書き難くもあるため、もうやることはないと思います。
鏡像Ⅰ
或る日、朝起きて洗面台の鏡を見ると、そこに見慣れぬ貌が在つたので、驚いた。これは一体誰だらうかと思ひ、貌に触れるけれども、触れたとて何が分かると言ふでなし、只、私の鏡像の貌が違ふと言ふだけのことである。
さう言へば、どこかで見かけたことのある貌の気がした。一体何処で見ただらうかと思ひ返し、私の心は昨日行つた映画館に迷ひ込んだ。さうだ、この貌は、昨日観た映画の俳優に相違ない。私は確信した。
映画館にて、私は中段、右手側の座席に坐つてゐたと思ふ。私の右隣には齢二十ほどの女が坐り、ポップコーンをむしやむしや食つてゐた。無意味に積みあがる、骨の山のやうな様相のそれを貪り喰う為に、何とも無気味に思はれ、又腹立たしいのだつた。
別に食ふのが気に入らないといふ訳ではない。只、飲食の場ならまだしも、映画館で食べることに重きを置いたやうな素振りを見せられるのが気に入らないだけだ。それはまさしく極上のデザートを前にして、何故だかその写真写りを躍起になつて確かめるが如く所作である。そのやうな場と行動の不一致が私に車酔ひにも似た不快感を与へ、無意味だと分かつて居ても、何か悪いことの先触れのやうに思はれるのである。
左隣には男が坐つて居て、恋人連れだつたと思ふのだが、その辺りいまいち記憶に自信がない。これがまた頗る美しい男で、私は映画の始まる暫くの間、彼を盗み見ては左隣の女のことを努めて忘れやうとした。思ふに、男の美しさには二種類在るのだが、彼の場合は如何にも希臘彫刻的な肉体的強度に根差した美ではなく、人の持ち得る心根の美しさとも少し違ふ。それは今にも掻き消えてしまひそうな存在の不安定さに根差した神経質な美しさである。彼は花火によく似てゐたのだ。
彼は恋の最中にある少年のような爛々とした双眸で、じつと映画の始まるのを待つてゐた。漸く映画が始まると、その気配は増々強まるばかりである。
私はそれを目の端で捉へながら、スクリーンに映る俳優の貌と見比べてゐた。映画が始まって早々に取るに足らぬ映画だと見切りをつけた私は、この思ひがけず見出した美しい男のことを観察して居ようと思つたのだつた。
彼はその俳優が画面上に現れる度に、熱心に見つめてゐた。その異様な熱の入り具合と言つたら、この映画を樂しむことのできない私からすれば、殆ど狂気の沙汰である。そして、私が最も気に入らなかつたのは、彼ほどの美しい男がさして特筆すべきことのない、三流役者を熱心に見詰めてゐたことである。それは、私にとつては、人物と行動の不一致とでも言ふべきもので、即ち、その時点から彼は私の右隣でポップコーンを食つてゐる女と変わらないものになつてしまつたのだ。
改めて、私の貌を眺めてみると、あの映画の俳優によく似てゐた。ちつとも面白くない、凡愚のやうな貌である。
私はここに到つて、漸くこれが夢なのではないかと疑ひだした。今朝、目覚めたときに、私はふと自分が誰であるのか確認するやうに、自分の名前を蒲団の中で反芻した。眠つてゐるとき、肉体だけがその場に居残り、人は只の物質になる。その間、意識は夢が織りなす光彩の海の中、泳ぐ間に己の名を喪つたとて、何ら不思議ではない。
ふと、私の鏡像に——本当は私ではないのだけれども——僅かにひびが入つてゐることに気が付いた。左頬から唇にかけて、それは薄らとではあるが、確かに在る。半ば無意識に左頬に触れると、鏡像の中の私の貌に大きな亀裂が走つた。無論、触れたところで、実際にひびなど在るはずもなく、痛みや痒みなどもない。このまま鏡像の貌が裂けると、私は一体どうなつてしまふのだらう。私は好奇心の赴くままに、再び貌に触れる。
すると私の鏡像の貌がまるで蜥蜴の脱皮の如くぼろぼろと崩れ、新たな貌が出てきた。ぎよつとして、私は鏡像をまじまじと見詰める。それは昨日、私の右隣に坐つてゐた女の貌だつた。そして、その貌には、またひびが入つている……。
マトリョーシカ。露西亜の人形のことをふと思ひだし、このまま鏡像を砕いて行くと一体どうなるのだらうという好奇心が胸の奥からどろどろと広がり始めた。もしかしたら最後には、私の鏡像に辿りつくかも知れない。
私は女の貌をした私の鏡像を砕いた。
美しい男の貌。鏡像を砕く。連絡の途絶えて久しい旧友の貌。鏡像を砕く。服毒自殺した恋人の貌。鏡像を砕く。世話になつた教師の貌。鏡像を砕く。病に伏せた母の貌。鏡像を砕く。飲んだくれの父の貌。鏡像を砕く。私を小間使いのやうに扱う姉の貌。鏡像を砕く。
いつの間にか私の周りには砕けた貌の残骸が積み上がつてゐた。それでも私の貌は一向に現れる気配がなく、寧ろ、より遠退いて行くやうである。まるで永遠に続くやうな気配さへ漂はせ、ただ、瓦礫のみが増え行くばかり。気が付けば、無為と空虚がそこにあつた。即ち、懐かしき私の貌である。
鏡の中には、まるで合はせ鏡のやうに私の貌が無限に広がつてゐる……。




