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3.掃除

 現在は、八月の猛暑日。

 雨宮蓮にとって、大学四年の夏である。


 不幸中の幸いと表現していいものかわからないが、雨宮蓮は就職活動を既に終えており、大学の単位も問題なく取得済。秋以降の中間テストと後期試験、卒業論文作成のみを残す状態だった。 

 事故が起きる前までは、近所の居酒屋でのアルバイトに勤しむ毎日で、そのアルバイト先も雨宮蓮の現状を把握しており、現在は休暇を与えられている。


 葬儀を終えた今、警察や検察の書類送検が行われるまでは、束の間の暇ができたのだが、自室のベッドの上で頭を悩ませていた。


  雨宮蓮の前には、背面に銀色の桃のマークが刻印された黒色のスマートフォン。画面には割れ防止のガラスフィルムが貼られ、背面とサイドは透明なケースに覆われている。


(電源いついれっかなー)


  普段は暇さえあればスマートフォンを操作しているのだが、連日通知音が鳴り止まないため、昨夜就寝前に思わず電源を落としていた。


 正午を迎えた今も、その画面は真っ暗なままだった。



(えーどうしよー)


 上下グレーの半袖短パンのパジャマに身を包む雨宮蓮は、腕を組み天井を仰ぎ見た。寝癖で爆発している髪が、ふわりと揺れる。

 

(とりあえず、入れてみる?)


 こてん、と頭を右に傾ける。


(もし連絡が入っていたら、優先順位として…警察、弁護士、叔父さん、バ先、その他?)


 こてん、と頭を左に傾ける。


(警察からは多分暫く連絡来ねえし、弁護士も叔父さんも《示談》断れってうっせえし)


 ぐるん、と頭を一周させる。


(バ先もその他も、俺の心配とか近況確認ばっかだし)


 ぐるん、と反対周りに一周させる。


「…うん、決めた」


 そして雨宮蓮は何かを決したように頷くと、スマートフォンへと手を伸ばし掴んで持ち上げた。手の中でくるりと回転させて、画面をベッドに向けると……そのまま置いた。


 背面の桃が、天井を見上げる。


(とりあえず夕方まで入れなくていいや……掃除しよ)


 スマートフォンから逃げるようにベッドから降りた雨宮蓮は、自室を後にした。


 ベッドの上にぽつんと残された雨宮蓮のスマートフォンはその後暫くの間使用されることはなくなるのだが、雨宮蓮は知る由もない。



***



――ガラッ


 家の中の掃除をすると決めた雨宮蓮は、まず最初に、バルコニーに繋がる窓を開き、網戸へと切り替えた。


 バルコニーから見える空には雲一つなく、快晴。部屋は9階建てマンションの3階に位置しており、時折通る車の音や、夏休みではしゃぐ子供の声などが聞こえてくる。


 新鮮な空気が部屋の中へと流れこみ、こもった空気が和らいでいくのを感じて、雨宮蓮は深く息を吸い込んだ。


 脳裏に、幼い頃の両親との記憶が蘇る。


“パパ…このマンション、バルコニーで洗濯物干してる人あんまりいないのよね”

“ママ…ということは?”

“洗濯機、この乾燥機能付きドラム型洗濯機に変えるのはいかがでしょうか”

“うーん”

“蓮も欲しいって言ってた。外干しのせいで同級生にからかわれるって”

“買うかー”

“今ならなんと、蓮のハグ付き。って、蓮も言ってた”

“ダヤマ電機とマコジ電機、どっちに買いに行く?”

“っしゃ。あざすっ”


 雨宮蓮が、小学生くらいの頃の記憶。


 なにもかもが悪ふざけの母親に、母親の話が冗談とわかっていながら、乗っかる父親。小学生だった雨宮蓮は、繰り返し自分の名を利用する母親に呆れながらも、いつも通りふざけ合う二人の様子に、思わず笑みをこぼしていた。



「…よし、始めるか」


 鼓舞するように、両手で軽く頬を叩く。

 懐かしい思い出に釣られ、まずは洗濯物から手を付けることにした。



「くっせ」


 真夏という時期もあり、かさばるような物は特になかったが、靴下など細かいものや、バスタオルなど、臭いを放つものが多く放置されていた。

 それらをつまむように拾い、洗濯籠の中へと入れていく。床やソファー、リビングテーブルの椅子などを巡った後、ドラム型洗濯乾燥機に回収した衣類を全てつっこむ。

 

(あー…靴下はネットのがいいよな)


 洗濯機横の網棚から洗濯ネットを手に取った雨宮蓮は、数日分の靴下をネットの中に放り込み、チャックを閉めて、洗濯機の中へと投げ入れる。


(補充は…いらねえな)

 

ガチャ――ぴっ、ぴっ、ぴっ


 補充式の液体洗剤と柔軟剤の残量が十分にあることを確認。念のため、投入漏れの洗濯物がないか辺りを見渡して蓋を閉じると、慣れた手つきでボタンを押していく。


カタ…カタカタ……


 上部のランプが終了目安時間を表示した後、洗濯機の内部が静かに回り始めた。



ウィーン


 次に、雨宮蓮はワイヤレス掃除機を手に取り、順々に掃除機をかけていく。


 玄関、廊下、両親の寝室、雨宮蓮の自室、リビングと、順々に丁寧にかけていく。埃っぽかったフローリングの床が、次第に艶を取り戻していった。


 リビングの床を綺麗にするときは、放り投げられていた封筒も、拾い集めた。


 事故翌日から数日間、どこから住所を知り得たのか、同じような被害にあった者、新聞やテレビ関係者、情報系配信者など、面識のない者から郵便物が届くようになった。届いた初日は開封していたものの、高野愛菜への怒りをぶつける者も多く、ここ最近は封を開けずに放置していた。


(うーん……一応、あとで開けるか)


 ゴミ箱に捨てるか迷う様子をみせたが、そのままダイニングテーブルの上に置いた。



 雨宮蓮は掃除機片手に、残す一部屋、父親と母親の『趣味部屋』へと向かう。


ガチャ


 レバーハンドルを下に回して、扉を押す。

 扉の隙間から、バニラのような甘い香りが漂ってきた。


「……久々に入ったけど、相変わらず、すっげぇな」


 雨宮蓮は、呆れながらも頬を緩める。

 壁三面に2台ずつと、部屋の中央に背中合わせになっているものが二列、全部で14台の白い本棚。本棚の段全てには、《漫画本》が綺麗に並べられていた。

 さらに、棚には出版社や五十音の見出しプレートが取り付けられており、まるで本屋や漫画喫茶のような作りになっている。

 

  所謂、漫画部屋。


 取り出した漫画を読むためのスペースとして、丸いカフェテーブルと座り心地のよさそうな椅子が二脚。テーブルの中央には小さな観葉植物と、白狗の置物が飾られている。また、それぞれの椅子の前に、一冊ずつ漫画本が表紙を下にして置かれていた。


 ここは、リビング以外の部屋で最も広く、雨宮蓮の両親が最も大切にしている空間だった。


 雨宮蓮は、ぐるりと部屋全体を見渡す。


 両親の影響で漫画を読む習慣ができてはいたが、漫画以外への興味も持つなど、雨宮蓮自身は両親ほど漫画を読むことにのめり込んではいなかった。

 その為、自宅でありながら、この漫画部屋に足を踏み入れたのは、雨宮蓮も久々で、郷愁の念に駆られる。

 

「ごりごりの異世界漫画やんけ。タイトルなっが」


 雨宮蓮は、左側の椅子の前に置かれていた漫画を手に取った。

 露出度高めな服装の美少女四人と、不愛想な青年が表紙に描かれたタイトル名の長い作品。タイトル名に『異世界』の入っていることから、なんとなくだけれどもストーリーが予想できつつ、興味本位でぱらぱらと頁をめくる。


「母さんって、そういえば転生ものはまってたっけ」


 読書スペースには、左側に母親、右側に父親と、二人の定位置があった。その光景をよく見かけていた雨宮蓮は、漫画の置かれた位置から、この異世界漫画をどちらが読んでいたのかは、容易に想像ができた。


「んー……おもしろそ。けど、《この人たち》かわいそー」


  中途半端な巻数からも、おもしろさを感じた異世界漫画。


 しかし、主人公が敵を攻撃するのと同時に馬車の部品が空高く飛んでいき、近くの家に落下したシーン。家主たちは食事中と、コミカルに表現されているが、現実として自宅に隕石のように降ってきたらたまったもんじゃないな、と雨宮蓮はストーリーとは逸れた部分で感想を漏らした。




 ――わっかるぅぅぅぅぅうう。


「だよなぁ……え?」


 無意識に返事を返してしまったが、雨宮蓮はすぐに違和感に気が付いた。

 雨宮蓮しかいないはずのこの部屋に、少女のような少年のような、幼い子供の声が響いたのだ。


 誰だ!と雨宮蓮が叫ぶ前に、部屋全体が白い光に包まれた。


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