ep1.死と転生と再生と。
* * *
目を血走らせた小汚い男は突如現れ、その手に持つ牛刀を私の胸に突き立てた。
不思議と心はいつものように静かだ。
この男に憎まれていることは知っていた。遠くない未来、こんな日が訪れるだろうということも予測はしていた。予測から常日頃警戒もしていたし、この瞬間も避けることは容易かった。だが、それでも私は男の刃を受け入れる選択をしたからだろうか。とても静かだった。
「お前さえ居なければ……俺たちは……全部お前の所為だ」
静まり返ったパーティ会場に男の呟くような恨み言は誰の耳にも届いた気がした。
それ程までに、この男の言葉にはある種の重みがあったからだ。
最期の時、こんな言葉を吐かれるなんて実に"らしい"とさえ思う。今まで他者を虐げ、利益の為だけに行動してきたのだ。当然のことだろう、と。
「この男を取り押さえろ!!」
「怜凪様!」
一瞬の出来事にパーティ会場が沈黙したのも束の間、目だけで周囲を見渡すと、警備の黒服は明らかな焦りを浮かべて動き出し、私の付き人は悲痛の表情で駆け寄ってきていた。それら以外の悲鳴や怒号も飛び交い、場は混迷極まる。
男が腹ばいに取り押さえられるまでの間、視線を交わしていたが私の心が動くことはなかった。或いは彼も同じだと思う。
そして男が視界の外へと消えていった頃には、失血からか身体はピクリとも動かず、正面の天井から吊り下げられたシャンデリアを眺めるだけとなった。
キラキラと光りを反射させながら輝いているのに、どこか無機質なガラス細工はまるで自分自身のように思えてならない。
名家という光を受けて、輝けるように自分を磨き上げ、実際に家やグループに貢献してきた。だが達成感や高揚感のような物を感じたことは一度もなく、私の心はいつも凪いでいた。
取り留めのないことを考えていると、だんだん身体が冷たくなってきた。
死がすぐそこまで這い寄ってきたような感覚を覚えた時。
――もし次があるなら……春の日差しのような穏やかで、温かな日々の中で生きてみたい。
誰にも言えず、自分すら騙して隠し続けてきた願いが溢れ出し、思わず頬が緩んでしまったが、もう周囲の目を気にすることはないだろう。私にはあと数分の猶予もないのだから。
音も遠くなりやがて瞼も落としたが、この先訪れることのない馬鹿らしい情景が脳裏を巡っては消え、悪くない心持できっと表情は綻んだままだと思う。
そして私はこの世界にさよならを告げた。
* * *
「レーナ、そろそろ晩御飯の準備しましょ!」
張りのある小気味良い声が狭い部屋に響いた。
私はクレヨンを置いてお母さんの言葉には返事をせず、紙を持ち上げて見せた。
「見て! 上手に描けたでしょ??」
「あら、綺麗な魔方陣が描けてるわね! でも、まだまだこの辺りに改善の余地がありそうよ?」
お母さんはそう言って私の描いた魔法陣に、淡く光った指先でさっと線を付け足した。
これも線を描く簡単な魔法の一種だけど、私はまだ魔力をコントロールする技術を教わっていないから魔法は使えない。
まずはお勉強からというのがお母さんの教えだ。
「むぅ~……お母さんみたいに早く魔法が使えるようになりたいなぁ」
「レーナならすぐ私以上の魔術師になれるわよ! 焦らずコツコツと、だね。
さ、良い子はお母さんのお手伝いしてくれるよね~?」
「毎日コツコツやる! お手伝いもする!!」
私は足の付かない椅子からぴょんっと飛び降りて、お母さんの下へ駆け寄って晩御飯の準備をすることにした。
広いとは言えないお家で、お父さんお母さん私の三人で過ごしてるけど、元々二人は名の知れた冒険者だったらしい。
だから私も二人のように将来は冒険者を目指して、特にお母さんのような大魔導士になるのが夢だったりする。まだお母さんたちには内緒なんだけどね。
ちなみにお父さんは凄い剣術家だったみたいで、私には魔術より剣の才能の方があると言ってくる。けれど、身体を動かすのは好きじゃないから適当に理由をつけては稽古から逃げてたり。
今年九才になる私にとって料理のお手伝いは手慣れたもので、渡された食材を切り分けては返し、お母さんが調理している間に洗い物を済ませて、盛り付ける皿をぱぱっと出していった。
次々と完成していく手料理をテーブルに一通り並べ終わりそうな時、ボロボロで開きにくい木製の扉が、バンっと音を立てて開かれた。
「ただいまー! 今日も良い匂いが外まで漂ってたからお腹が空いてきたよ」
「お父さん! おかえり〜!」
お父さんは村の自警団に所属しているから夕方に帰ってきたり、夜更けに出掛けたりと大変そうだけど、今日はお昼の見回りで夜は家にいる日らしい。
駆け寄った勢いのまま飛び付くと、私はそのまま抱き上げられた。
「いい子にしてたか??」
「うん! お母さんのお手伝いもしたよ!」
「おかえりなさい。
もう晩御飯出来てるから先に夕食にしましょ。
レーナは今日も手伝ってくれたのよ」
お父さんは「そうかそうか」と私の頭を撫でると、そのまま食卓の椅子に降ろしてくれた。
「二人の手料理を帰ってすぐ食べられるなんて俺は幸せ者だなぁ!」
いつも大袈裟なことを言うけど、お母さんも私もそんなお父さんのことが大好きだ。
そうして三人で食卓を囲んでる時だった。
「明日武具の手入れに王都へ行こうと思うんだが、レーナも連れて王都に出ないか?」
「丁度良かったわ。
レーナに魔道具を買ってあげたかったのよ〜」
「なに?! レーナの教育方針はまだ決まってないだろ!?」
「あら、そうだったかしら??
それじゃあ今から勝負して勝った方の方針に従うというのはどうかしら?」
お父さんの顔が凍りつく。
聞いた話だとお父さんは模擬戦で一度もお母さんに勝ったことがないらしい。
私の将来についていつも夫婦喧嘩を始める二人だけど、本気じゃないことは私にもわかる。最後には「レーナの気持ち次第だ」ということに落ち着くからだ。
今回もお父さんがそのセリフを言って決着となったが、家族での王都行きは変わらず、三人であそこに行きたい、あれが欲しいとか会話をして楽しい夕食時を過ごし、私は初めての王都にわくわくしながら寝る時間を迎えた。
翌日、私たちは朝早くから王都行きの馬車に乗り、五時間くらいの道を穏やかに過ごし、着いた頃にはお尻が痛くなったけど、そんなことを忘れるくらいに、私は初めて来た王都の風景に驚いていた。
「どうだ、村とは全然違うだろー!」
「レーナは初めてだものね。
今日はいっぱい楽しみましょ」
目に入るもの全部が新しくキラキラして見えた。
土の道じゃなく、どこも煉瓦が敷いてあったり、三階建て以上の建物が沢山並び、そのどれもがお店であったりと、村にはない光景が広がっている。何より、今立っている場所から一番遠くにあるはずなのに、とても大きく見えるお城がとても印象的だった。
馬車から降りてぼーっと辺りを見ていて、お父さんたちの話を半分聞いてなかった私は「あ、え?」と聞き返したが、二人は笑顔で「行こうか」と私の手を引いた。
お父さんの用事は後回しでいいということで、最初にお母さんの知り合いがやっている魔法書店に行くことになった。
初級の魔法書をお母さんが持っていなかったから、私の為に魔道具と一緒に買い揃えてくれるみたいだ。
やってきたお店の扉を開けると、ズラリと並んだ魔法書に私はまた驚いた。
「わぁ……! 凄い数の本だ!!」
「いらっしゃい……あら、久しぶりエレナ! ……って、まさかその子レーナちゃん!?」
店主さんっぽい人はお母さんの顔を見て挨拶をした後、手を引かれている私に気付いて驚いていた。この人は私のことを知っているみたいだったけど、私に思い当たる人はいなかった。だから声も出さずペコリとお辞儀だけしてみる。
「きゃー! お辞儀したわよ!? 超可愛いじゃない!!」
「もう九歳なのよ?
ほらレーナ、お辞儀だけじゃなくて、ちゃんと挨拶しなさい」
「……こんにちは。レーナ=リバー=ホワイトです」
「こんにちは! 私はマチルダ。庶民だから姓はないわ。
気軽にマチルダお姉さんって呼んでね!」
なんだろう。
最後だけ凄く怖い感じがしたけど、お母さんとそんなに変わらない年齢ならお姉さんと呼ぶのも変だと思うから、マチルダさんと呼ぼう。
私が心の中でそう決めている間に話は進んでいて、お母さんはマチルダさんに私の魔法書を数冊出してもらいながら世間話を始めていた。その間にお店の中を見て回っていると、魔道具がいくつか置いてある場所を見つけた。
魔道具は魔法を発動させる為に便利な物で、魔力を集中させやすい杖タイプや、紙に自分で魔術を書いて保存しておく本タイプ、変わったものだと魔力を流して使う剣などの武器タイプもある。
私は初心者だから杖が並んでいるところを見ていると、後ろから「レーナちゃんはどれが好き?」と声を掛けられた。
「んー……初心者でも使いやすいのがいいなぁ」
マチルダさんの顔を見るよりも、目の前の魔道具たちを眺めながら答えた。
「それならやっぱり杖かしらね~。
ここには初心者でも扱いやすい道具しか置いてないけど、私が見繕ってあげよっか?」
「いいじゃない。
マチルダも有名な魔術師なのよ。魔道具なら私よりも詳しいしお願いしなさい」
「それじゃあ、マチルダさんお願いします」
自分で選ぼうとしても何が良いのか、自分にどんな物が合うのかわからない。だから私はお母さんに言われるまま、マチルダさんにお任せすることにした。
どうせなら、ということでお店にあるものだけじゃなく、売り物じゃないけど倉庫に置いてある魔道具も探してくるから、夕暮れ時にまた来てと言われて私たちはお店を出た。
お父さんもマチルダさんとは知り合いらしいけど、苦手なのかお店の外でずっと待っていたから、私たちが出てきた時は待ちくたびれたように「やっと出てきたか」とげんなりしていた。そこまで長い時間いたわけじゃないのになぁ、なんて思うけど、待たされる方は長く感じるのかもしれない。
次はくたびれたお父さんの用事を済ませに武具店に行くことに。
歩いて数分の場所にあった馴染みのお店へ、お父さんは仕事道具をがちゃがちゃと担いで入っていった。お母さんも付き添っていったけど、私は魔法書を早く読んでみたくて、お店と道路を挟んで向かいにあるベンチで読書をしたいと言って、二人が出てくるまでの間、自分の世界に入り込んでいた。
知っている魔法も知らない魔法も沢山書いてあって、心のわくわくが止まらない。
「貴女、魔法の練習をしているの?」
いつの間にか隣に座っていた綺麗なドレスを着た知らない女の子に声を掛けられた。
「うん! 今までもお母さんに教えてもらいながら練習してたんだけど、ちゃんと魔法書を見て練習した方が良いってお母さんが買ってくれたの!」
「見たところ、まだ初級じゃない。ぷぷっ……」
小馬鹿にしたような態度に私は少しムッとして女の子の方を見た。
「じゃあ貴女は初級以上の魔法でも使えるの?」
「勿論よ!
私はもう中級魔法の鍛錬に入ってるわ!
仕方ないから私が指導してあげましょうか?」
女の子は得意げにそう言ったけど、そこに嫌味な感じはない。
「私はまだ初級だけど教えてくれるの?」
「仕方ないわね。まずは……」
魔法書の一ページ目から解説を始める為に女の子は更に肩を寄せてくる。
同性の私でも綺麗だと感じる少し大人びたその声は少しだけ眠たくなったけど、親切に教えてくれているのだから、と頑張って話を聞いていた。
どれくらいの時間が経ったのかはわからないけど、お店の方から「そろそろ行くぞー」とお父さんの声がしたから、顔を上げて笑顔で手を振る二人の姿を確認して、女の子に「またね」と別れを言って駆け出した。
駆け出して、お店とベンチの間くらいで私は何かにぶつかった。
視界が反転し、次にオレンジ色の空が映った、と思ったら物凄い衝撃に襲われた。
痛みはない。
けれど、身体は動かないし音が遠くなる。
――あれ? この感覚前にも……
目だけは動かせたから声のする方に目を向けると、お父さんとお母さんが涙目になって私に何か言っている。その横には私と同じ歳くらいの金髪碧眼の少年も、落ち着きのない顔で私を見ていた。
私がどうなったのかはわからないけど、とにかく寒い。
あぁ、夕日がキラキラしてる。
視界も段々ぼやけて目を開けていられなくなった私は、そのまま深く閉じることしか出来なかった。
* * *
重たい瞼を開くとそこは見知らぬ天井だった。
どこかでそんなセリフを聞いた気もするが瑣末なことだろう。
それよりここは何処だろうか。
辺りを見回した感じ、中世ヨーロッパのような雰囲気。その中でも作りは庶民的というよりは富裕層の家なのではと推察出来る。
そんなことより私は死んだはず。それにしては現実味を帯びている。手を動かす感覚、視覚嗅覚、聴覚から空気感に至るまで現実そのものだ。
死ぬ寸前だった私の身体をなんとか生かして、脳に繋いだ電極で見せられている光景なのかとも疑ったが、現代にそんな技術があることを私は知らない。更には視覚や嗅覚、触覚以外の感覚がそれは違うのではないか、と私の中で否定的な意見を齎していた。
それは体内に巡る血液とは別の何か。
流動的だが、集中すると体内で偏らせたり手に集めたりすることも出来そうだ。
試しに指先にその何かを集めてみると、淡い輝きを持って発光し、仄かに温かみを感じる。
「魔法……?」
突拍子もない言葉が口を衝いた。
動揺しているわけではないが、そうとしか考えられないこの現象に名前を付けるとするなら、手品やトリックではなく、【魔法】それが一番相応しいと思ってしまう。
そうして自分の指先を眺めていて気が付いたことがもう一つある。
私は幼くなっている。明らかに手の大きさが大人のものではない。私が死んだと仮定するなら享年二六歳。今のこの身体は背伸びをして見積もっても精々一〇歳程度だ。
状況を整理していく内に脳内が完全に覚醒し、記憶も定まってきた。
白川怜凪はあのパーティ会場で死んだとするのが自然、か。そしてレーナ=リバー=ホワイトとして転生した。だが怜凪としての記憶はなく、ただのレーナとして過ごしていたところ、買い物途中に馬車に撥ねられて記憶を取り戻した。断片的な記憶を統合するとそんなところだろう。
これからどうするべきか、と思案しているところ、コンコン、コンコンと軽やかなリズムで扉が叩かれた。
「どうぞ」
一人悩んでいても何も始まらないと思った私は、間髪入れず口を開いていた。




