第8話 エリートの証明
共生学園のアリーナでは、観客席のざわめきが波のように広がっていた。
「次、如月凛音だってよ」
「オメガ・クロノスっていうんだろ?あの機体……政府系のデータ連携入ってるらしい」
「相手、どこだったっけ?」
「誰だったっけ。ていうか、相手が誰でも同じだろ……」
その名前が告げられた瞬間から、勝敗など問題ではなくなっていた。
《如月凛音》――共生学園の絶対的なエース。
完璧な成績、政府系スポンサー《クロノス社》による全面支援、そして量子演算型ロボット《オメガ・クロノス》との連携。
まるで"生徒"と"兵器"の融合だった。
*****
「機体接続、正常」
「思考ルート、ノイズなし」
「相互同調率、98.8%……安定してるわ」
凛音は淡々とした口調で確認を終え、端末を閉じた。
オメガ・クロノスは、背後に静かに立っていた。
漆黒の装甲に紅のライン。鋭利な手足は猛禽類を思わせる。
『オメガ・クロノス。スタート位置についてください』
「行くわよ。オメガ」
淡い紅の目を細めて、凛音は一歩を踏み出した。
――――
《ロボティクス・グランプリ予選Bステージ:フィールドミッション、オメガ・クロノス出走──!》
アナウンスの直後、フィールド中央に配置された複雑な立体迷路が一斉に起動を始めた。
回転する地形、ランダムに跳ね上がる床板、透明な落とし穴、赤外線センサー地帯、そして最後には"消える壁"。
正面から挑めば、戦闘用でも機体が破損するような構成だ。
「開始5秒以内にルート解析完了……できるのか?」
教員席で1人がつぶやいたとき、凛音の声がスピーカー越しに聞こえた。
「オメガ。予定ルートα−6に移行。フェイズ1、3.7秒以内」
『了解。予測スキーム再展開。対応完了』
その直後だった。
オメガ・クロノスの機体が、"滑るように"迷路に突入した。
躊躇も予備動作もなかった。
ステップは計算され尽くしていて、浮遊障害物との距離は常に5cm以内をキープ。
次々と変化する地形を、まるで"それが起きると知っていたかのように"事前動作で回避し、進み続ける。
「やば……これ、予知かよ……」
「違う。全部、計算と予測だけだ」
観客の1人が絶句した。
「あり得ない……ここ、エリートの競技じゃなくて、彼女のための舞台じゃねぇか……」
――――
観客席の一角。翼は、その様子を黙って見つめていた。
隣に座るユノは、表情を変えず静かに視線を向けていたが――
翼の内心は、穏やかではなかった。
「……すげえな。動きに“迷い”が一切ない」
「如月凛音さんの指示は、最小限です。オメガが処理の大半を担っているように見えます」
「いや、たぶん……凛音が、最初から全部組んでるんだ。こう動けば、こう対応して、最短距離を最短時間で抜けられるって……」
翼は唇を噛んだ。
思い出すのは、自分たちのフィールドミッション。
苦戦。ミス。混乱。
最後はジェネシスの進化に助けられた――"偶然の勝利"だった。
「俺たちとは……レベルが違うんだな、あの人たち」
ユノが、ほんの一瞬だけ寂しげな顔をした。
だがすぐに、その表情を消し、淡く微笑む。
「ご主人様……私は、未熟です。だから、成長します。次は、偶然じゃなく、必然にしましょう」
翼はハッとしてユノを見た。
彼女の体に宿る、確かな意思。
その言葉に――救われる気がした。
――――
その日の最後、試合が終わり、控えブースの外で翼は凛音とすれ違った。
「……如月先輩」
声をかけると、彼女は立ち止まり、振り返る。
少し髪が乱れていたが、表情はいつも通り冷ややかだった。
「何かしら?」
「今日の戦い、すごかった。正直、俺たちじゃまだ到底……」
「ええ、そうね」
あっさりと、凛音は肯定した。
少しも嫌味でも謙遜でもない。それが事実だというだけ。
「でも勘違いしないで。今日の私たちは、"スタートライン"に立っただけ」
「……え?」
「私もオメガも、“もっと先”を見てるの。あなたたちがどこまで来るのか、それは正直まだ読めない。けれど――」
彼女は目を細めた。
「見せてもらうわ。あなたたちの《進化》を。本物なら、せめてこの背中の影くらいは踏めるでしょう?」
そう言い残して、凛音はオメガ・クロノスと共に歩き去った。
その背中を、翼はただ静かに見つめていた。