第5話 操縦士訓練(心のチューニング)
土曜日の午前九時。共生学園の第七演習棟――通称“リンクドーム”には、薄明かりの中、緊張感の漂う空気が満ちていた。
この施設は、人間とロボットがペアで挑む《操縦士訓練》のために設けられた専用設備だ。
強化ガラスの天井からは柔らかい光が差し込み、中央のステージには複数のサブアリーナとシミュレーション用の障害物が配置されている。
「うわ……広いな……」
翼が唸るように言うと、彼の通学カバンの中からひょっこりと顔を出したリプロが反応する。
「おぉっ! ここが伝説の“リンクドーム”! マスター、初リンク訓練だね!? ドキドキするよ!」
「リンクドームの良さがわかるなんてリプロちゃん玄人だねぇ」
操縦士としての訓練をしようと思い姉と一緒に来たがふんわりした姉の雰囲気に力が抜けてしまう。
「ドキドキするのはお前じゃなくて、俺なんだけどな……姉ちゃんも訓練の教官頼んだんだから真面目にしてくれよ!」
「「はぁーい☆」」
「……」
……ふざけた家族である。
そのやりとりを、静かに見上げていたのはユノだった。
彼女の目は、いつもどこか観察者のように冷静だったが、今日はほんの少しだけ、目尻が揺れている。
「マスター……あの、わたし……少し、緊張してます」
「……そっか。俺も……だよ」
翼は不器用に笑いながら、腕の装置――ジェネシス(ユノとリプロの合成体)の起動パッドに触れた。そこから、光の粒子が広がる。
「ジェネシス、起動」
「任せてよっ☆接続完了。おねえちゃん。ナノ中枢とマスターの感応領域、調整するよ!」
ユノの耳元に、小さな通信ウィンドウが現れる。
そして肩に乗っていたリプロがまばゆい光を放った。その後に現れたユノは――幼女の姿になっていた。
「「「ええっ!!??」」」
予想外の姿に翼とユノ、奏から驚きの声が漏れる。
幼女……いやよく見るとリスのようなしっぽのついたメイド服を着た幼女の姿だ。
……。
…………。
「……リプロさん??」
「なぁに?マスター?」
「君たちの今の姿について説明してくれるかな?」
「ベースフォームだね☆」
メイド服胸元のリボンの装飾部分が音声と同時に点滅した。
どうやらジェネシスになった時のリプロの意思は、こちらにあるようだ。
「父さんの研究データからナノマシン操作機能とフォームチェンジ機能があるのは、知ってたけど何で幼女化してるんだ?」
「リスとかの小型哺乳類の生存能力って高いからね。その特性を活かしたものをベースフォームにしてるんだよ☆だから幼女姿なんだ☆」
美少女ロボットを連れ歩いていることで茶化されることもあるというのに、今度は幼女化なんて……。違う意味で先が思いやられる。
「ちなみに別のフォームに変われたり……」
「無理無理☆それぞれ条件が設定されてるからね☆今は、このフォームだけだよ☆さ、マスター☆細かいことを気にしちゃ駄目☆訓練訓練!」
条件があるというなら仕方ない。
翼は、「尊い♡」とユノを抱き上げる姉を尻目に気持ちを切り替えることにした。
「姉ちゃん。準備整えたんだから操縦について教えてくれよ」
真剣に依頼すると眼鏡をかけた教師然とした姉に戻る。
「そうね。ユノちゃんをそのままの姿で維持してて。その間に操縦士のタイプについて復習していきましょうか。モニターに表示するから確認してね」
《操縦士とは》
――人間とロボットの未来を“つなぐ者たち”――
【基礎定義】
①操縦士とは、人型知性ロボットとペアを組み、ロボグラをはじめとする共生型競技・研究・実務活動において「指揮・補助・共同演算」を担当する人間のこと。
②ロボットに“命令”するのではなく、協働・共感・成長を共にする関係性が求められる。
③指揮者、教師、仲間――最も近い“人間らしさの模範”となる。
【主な役割】
①意思伝達・指示……技中・作業中に状況判断と方向性を伝える。(音声・視線・手振り・神経接続など多様)
②リアルタイム解析……ロボットが処理しきれない多義的状況や状況判断をサポート。
③メンテナンス……ペアロボットの整備・アップデート・サポートも担う。
④教育・チューニング……自律進化型ロボットの“個性形成”に間接的に関わる。
【操縦スタイル(タイプ)】
①直感型……感覚・即応タイプ。言語より身体で伝える。格闘・近接競技に強い。
②論理型……分析・計算重視。明確な戦術指示を行う。パズル・戦略系に強い。
③共感型……心のつながりを重視し、感情共鳴を軸に動く。成長型ロボットと相性良好。
④拡張型……脳波・神経などで直接接続し、仮想的に融合。高リスク高精度。上級者・企業系で主流。
【操縦士に求められる資質】
①高い柔軟性と観察力(ロボットの状態や癖を見抜く)
②論理的判断力(行動の是非を瞬時に判断)
③信頼関係の構築力(ロボットとの“心の距離”を縮める)
※特に**自律学習型ロボット(例:ユノ)**とのペアでは、操縦士が教師・友人・導き手の役割を同時に担う。
「姉ちゃん。これ義務教育で必修の内容だろ?知ってるって」
わかりきった内容を示されたことで翼がムッとした表情で奏に抗議する。
「復習って言ったでしょ?まず翼は、自分の操縦士適性がどんなスタイルか知らないとね。はい。これ」
奏から手渡された資料には、翼の操縦士適性数値・該当スタイル・アドバイスが記入されていた。
翼の操縦士スタイルは、《直感型、共感型の複合タイプ》だった。
「父さんの研究資料を読む限り……ユノちゃんと翼の相性良さそうよ」
「ありがとう。姉……ちゃん……」
姉へ感謝を伝えると急にめまいに襲われ座り込んでしまった。
同時にジェネシスとのリンクが切れてしまいユノとリプロが分離する。
「10分くらいか……最初にしては上出来ね。あとは、同調率をあげていくこと。まず30分持続できるよう頑張りなさい」
――――3時間後。
リプロと奏のサポートによって、翼との情報共有リンクが接続され始めていた。
「……あ。少し……鼓動が、聞こえる」
「俺の?」
「はい。少し早くて、不規則。たぶん、“緊張”ですね」
「バレてる……」
「でも、大丈夫。……わたし、ご主人様の鼓動、嫌いじゃないです」
その瞬間、翼の心拍が跳ねた。
そして、ユノの頬にもわずかに熱が差す。
――――2日後。
訓練開始の合図と共に、ステージ上に複数の反応ターゲットが浮かび上がる。
視認・音声・光感知によって状況判断力を試すこの課題は、リンク率の基本精度を測るものだ。
「ユノ、まずは左上、ブルーターゲット」
「了解」
ユノが駆け出す。小さい身体が宙に舞い、青い光の残像を描く。
翼の指先から走る意志が、ユノの動きに自然と重なるようだった。
「おぉっ……意外と動き、滑らかだな」
「マスターの目線誘導、正確だね!おねえちゃんの補正値、±3以内に収まったよ☆」
「それ、いいことなのか?」
「うんっ☆つまり“ほぼ以心伝心”だよ!」
「……さりげなく照れること言うな、リプロ」
しかし、そんな和やかな空気も長くは続かなかった。
次のターゲットが現れた瞬間、翼は一瞬迷った。
「――あ、右だ!」
だが、その声にユノが反応した瞬間――
《ガシャンッ!》
ユノの足元がトラップホールに落ち、転倒する。軽微な衝撃で衝突エリアに警告音が鳴った。
「ユノっ、大丈夫か!?」
「問題ありません……ですが、判断が遅れました」
「俺のせいだ……言うのが遅れた」
翼は拳を握った。言葉にしたつもりでも、“心の揺れ”が伝わっていた。
ユノは静かに立ち上がる。
「……ご主人様。指示より、“意志”でくれませんか?」
「意志?」
「どちらに行け、よりも――“私は信じてる、ここを越えられる”って。そう言ってほしいです」
翼はしばらく黙ってから、頷いた。
「……ああ。じゃあ言うよ。ユノ、次は一緒に行こう。失敗しても、俺は絶対にお前を責めない」
「それが……意志、ですね」
今度はユノが先に走り出す。翼の指示ではなく、**共有された“想い”**を感じ取って。
前方に現れたターゲットを、躊躇なく破壊する。
続くフェイントにも対応し、複数のターゲットを連続撃破――
《同期率:20%から40%に上昇》
「すごい……ユノ、今、完璧だった!」
「はいっ。ご主人様が信じてくれたから……私、迷わず動けました」
「……ユノ」
リプロが後方で飛び跳ねる。
「わーい! 同調成功☆」
「ちょっと、静かにしてくれよ。感動してるんだからさ」
――――
「次の課題は、情報リンク強化テストね。操縦士には視覚・音声の遮断が行われるの。ロボットは情報リンクを通じて操縦士の意志を感じ取り、ゴールまで到達してね」
奏の説明が終わると同時に、訓練フィールドの床が変形し、複雑な障害物コースが現れた。
「……まじか。これで“目隠し”って……無理ゲーだろ」
「ご主人様、私を信じてください。……私も、“感じる力”を、信じてみます」
翼は深く息を吸い、通信ヘッドセットを外す。
リプロが、リンク遮断設定を完了させると、彼の世界から光も音も消えた。
――聞こえない。見えない。
けれど、そこに確かに彼女の気配がある。
ユノが手をそっと取る。
「ご主人様。ここからは、“言葉じゃないもの”で、繋がりましょう」
そして、ユノは静かに歩き出した。
翼の心と共に。
翼の中に、ユノの思考が**“匂いのように”**漂いはじめる。
“次、段差が来る”――そんな直感が、身体を導いた。
右に回る。左に避ける。
心が動くたび、ユノの動きもそれに応える。
(……すごい。これ、言葉を使ってないのに)
翼の脳裏に、ユノの想いが微かに染み込んでくる。
「ここにいていいのか」「人間たちの中に混じって、自分は許されるのか」
そんな、誰にも見せたことのない不安。
(バカ。そんなの――)
翼の胸の奥が熱くなる。
(――当たり前だろ。いてくれ。ここにいてくれ。ずっと、一緒に)
その一念が、ユノの中に届いた瞬間――
彼女の足が止まった。
「……はい。ご主人様……いま、私、本当に“人間になれた”気がしました」
目を開けた翼の前には、ゴールラインを越えて立つユノの姿があった。
彼女の目には、涙のような光がきらめいていた。
―― 教官の評価室。
「……驚異的なシンクロ率ですね。」
「やはり、まだ隠された機能があるのかもしれん……」
監視室では、教官たちが固唾をのんでモニターを見つめていた。
その中には、一人だけ無言で席を立つ少女の姿があった。
――――
訓練観察室の上階――ガラス越しの特別席に、如月凛音はひとり座っていた。
モニターには、リンクテストを終えたばかりのユノと翼の姿。
完璧に近いシンクロ率。障害物コースの完全突破。
そして、何よりも“感情”に裏打ちされた動作の一致――
「……あれは、制御じゃない。“信頼”ね」
彼女は言葉に出すことで、自らの動揺を抑え込もうとした。
隣には、漆黒の義体を持つパートナーロボ《オメガ・クロノス》が静かに控えている。
「……凛音様、心拍数の上昇が検知されました」
「うるさいわ。誤差の範囲よ」
「否。“比較”の兆候。あなたは自分と彼らを無意識に比較しています。特に、“シンクロ率”という点で」
凛音は無言で立ち上がり、背を向けた。
背筋をぴんと伸ばしたまま、目を閉じる。
だが、脳裏には消せない過去の記憶が浮かんでいた。
――――
それは、ほんの数年前――まだ父と共に過ごしていたころ。
ロボット工学の研究者の家に生まれた凛音は、常に“合理”と“制御”を叩き込まれて育った。
父はこう言っていた。
『ロボットは道具だ。感情は無駄だ。制御こそが全てだ』
だから、凛音は感情を切り捨てた。
オメガは高性能だ。計算精度は秒単位で正確、反応時間も最速。
でも――あの時、凛音は知ってしまった。
感情の揺らぎを、恐怖を、戸惑いを、オメガは**“感じなかった”**。
そして、今――
翼とユノの“心のやりとり”を見てしまった自分は、その在り方に――
ほんの少しだけ、憧れてしまっている。
――――
「……オメガ」
「何か?」
「あなたは、もし私が間違えても、“信じてくれる”?」
「私はプログラム通り、あなたの最適解を導きます。それが私の誇りなのです」
「……そう。ありがとう。完璧ね」
凛音は再び視線を前へ向けた。
その目は冷静で、まっすぐで――けれど、ほんのわずかに揺れていた。