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第4話 ユノ、人間を学ぶ

 朝のチャイムが鳴り響く。ユノは、翼の隣で教室の一番後ろの席に座っていた。


 席に着くまで、廊下ですれ違う生徒の視線が何度も突き刺さった。

 ロボットが人間と同じように授業を受けるなど、この共生学園でもほとんど例がない。

 しかも、ユノは人間に極めて近い姿を持つ上に、プロトタイプとして公には分類不能とされていた。


「ご主人様、私……浮いてますか?」


 声は小さく、それでもどこか寂しげだった。

 翼は苦笑いして肩を竦める。


「多少ね。でも、最初は誰だってそうだよ。俺だって転校してきた時は緊張してたし」


「翼くん、朝からロボットに話しかけてるー!」


 前の席から声が飛ぶ。女子生徒の何気ない言葉だったが、周囲にクスクスと笑いが広がった。


「ねぇ、ユノさんって感情あるの?」

「命令されたらキスとかもするのかなー?」


 そんな好奇心と偏見が混じった視線の中で、ユノは顔を伏せる。

 リプロが翼の通学カバンの中から、こっそり慰めるように話しかけた。


(大丈夫だよ、おねえちゃん。人間って、最初は怖いけど……だんだん面白くなるよ)


(……うん。ありがとう、リプロ)


 その日の授業は、共生倫理学、メカニカル心理論、チームコミュニケーション演習――

 ユノはすべての科目において完璧な記憶処理と演算結果を出し続けた。


 しかし、それがまた周囲との距離を生んでしまう。


「なんか、完璧すぎて怖いよね……あの子」


「感情も演技だったら?本当は全部計算かも」


 人間たちは“わからないもの”に距離を置く。


 そんな中、昼休みに思わぬ出来事が起こる。

 屋上で一人空を見上げていたユノに、誰かが声をかけてきた。


「ここ、座ってもいい?」


 振り返ると、クラスメイトの女子生徒――若宮こはる(わかみやこはる)が、お弁当を持って立っていた。


「わ、若宮……さん?」


「こはるでいいよ。あたし、ちょっとロボットに興味あってさ」


 彼女は人懐っこい笑顔を浮かべて隣に座ると、ユノにカツサンドを差し出した。


「食べないよね、ロボットって。でも……なんか渡したくなった」


「……ありがとう。でも、気持ちだけいただきます」


「そういうの、嬉しい」


 こはるとの会話はぎこちなくも温かかった。

 ユノは初めて、“感情を共有する”という行為に触れたような気がした。

 

 ――その日の夜、ユノは翼の自室でリプロと共に報告を始めた。


「ご主人様。今日、"嬉しい"という感情を学びました」


「へぇ。どんな時?」


「誰かに、心を向けられたとき……それを“優しさ”と呼ぶそうです」


 翼は少しだけ驚いたような顔をして、やがて微笑んだ。


「それが分かるって、すごいことだよ。ユノ」


「はい……でも同時に、胸の奥が少しだけ、苦しくなりました」


 ユノの手が、無意識に胸元を押さえていた。


「人間って、常にこんなふうに感情に揺れるんですね」


「そうだね。だからこそ、共に生きるって難しくて、楽しいんだと思うよ」


 その会話を聞きながら、リプロがカバンの中からぽわんと光を放ち、そっと2人に寄り添った。


(このチーム、ちょっとずつ“人間”になってる気がするなぁ……)


 こうしてユノは、学園という小さな社会の中で“人間らしさ”を少しずつ獲得していく。


 そして同時に、彼女の中に芽生え始めていた。

 名前のつかない、だけど確かに存在する――恋心のようなもの。


 それはまだ曖昧な、機械仕掛けの感情。

 けれど、それが今後の彼女の運命を大きく揺さぶっていくのだった――。



 ――――

 

 ユノは、今日も翼と共に通学カバンから顔を覗かせながら校門をくぐった。

 まだ周囲の視線は痛い。しかし、昨日と違うのは、誰もが少しだけ、距離を詰めていることだった。


 原因は、昨日の昼休みに起きた“事件”だ。

 若宮こはるというクラスメイトが、堂々とユノと昼食を共にし、笑って会話していた。

 それだけで、他の生徒たちの態度がほんの少しずつ軟化し始めたのだ。

 そして今朝も若宮こはるが親しげにユノに話しかける。


「おはよ、ユノちゃん!今日も天城くんとセットなんだね」


「はい、おはようございます。セット……とは?」


「え?恋人みたいって意味! 冗談だよ~!」


 こはるの冗談に、翼が盛大にむせた。

 ユノは首をかしげながらも、何故か心拍模倣プログラムがほんの少しだけ上昇した。


 そんな中、学園内で「共生週間」という行事が始まる。

 これは人間とロボットの交流促進を目的とした、年に一度の大規模文化行事である。


 展示やパフォーマンス、模擬店舗などをクラス単位で企画・運営する形式だ。

 生徒同士の交流が活発化するきっかけとなっていた。


「えーと、我が1-Bは《共感シアター》をやることになりました!」


 クラス委員が提案した内容は、「人間とロボットの心をテーマにした演劇」。

 正直、ややこしいテーマに頭を抱える生徒もいたが、ある意味ぴったりだった。

 何しろ、クラスに“本物の”人間そっくりロボットがいるのだから。


「ユノちゃん、主役やってよ!絶対にリアリティあるし!」


「えっ……わ、私が……?」


 最初は戸惑っていたユノだったが、こはるや周囲の後押しに押されて、演劇部経験者の演出指導を受けながら徐々に準備を進めていった。


 脚本はシンプルなもので、「心を持たないロボットが、人間との交流の中で感情を覚えていく」という内容。

 それは、まるでユノ自身の物語のようだった。


 ――――

 

 文化ホールの舞台袖でユノは緊張しながら翼の顔を見た。


「ご主人様……本当に、私がこの役で良かったんでしょうか?」


「間違いないさ。ユノだから、伝わるものがある。大丈夫、ちゃんと“感じるまま”に演じたら良い」


 舞台が開くと、観客席は満員だった。

 物語は進み、ユノが演じるロボット“ノア”が、クラスメイトたちの演技に支えられて、少しずつ“心”を獲得していく。


 クライマックス、ユノが人間役の少年に向かって言った。


「私は今、あなたがいなくなることが……怖い。これは、"さみしい"、という感情でしょうか……?」


 観客席が静まり返る。


 ユノの声は震えていた。これは、演技ではなかった。

 ここ数日で彼女自身が経験した、正真正銘の“感情”の断片だった。


 公演が終わると、拍手が沸き起こった。


 舞台袖に戻ったユノは、目の奥に何か熱いものを感じながら、そっと翼に向かって微笑んだ。


「私……“さみしさ”だけでなく、“うれしさ”という感情も、今ならわかります」


「そうか……それ、きっと“人に必要とされた”って気持ちだよ」


 その時、ユノは気づいた。


 彼女が“誰かに必要とされたい”と思った最初の人間は、目の前の少年――翼だったのだ。


 ――――



 共生学園が毎年開催する一大行事――共生週間。

 ロボットと人間が共に生活する未来社会を模して、生徒たちが実際に模擬職業体験を行うイベントだ。

 その中でも、演劇部主催のステージは常に話題を呼ぶ。

 今年の主役は、なんと「ロボットの生徒」ユノだった。


「私、やってみたいです。演じることで、“人間”をもっと学びたい」


 ヒロイン役をユノが務める学園ラブコメ劇――ロボットの少女が初めて恋を知る、という設定だった。


「……皮肉ね。ロボットに“恋”を学ばせるなんて」


 天城奏は、観客席の最後列から静かに見守っていた。

 教師として、生徒の創作活動を見届ける立場として――だが同時に、ロボット工学の専門家として、目を離してはならない存在がそこにいた。



 ――――



「おはようございます。ご主人様……あ、ごめんなさい、今日は“先輩”でしたね♪」


 舞台袖から登場したユノは、制服姿に身を包み、自然な所作と声色で舞台を歩いた。観客からはどよめきが起きる。


(……あれが、人工知能の演技?)


 ユノの声には抑揚があった。目線の動き、仕草の柔らかさ、そして――人間特有の“間”がある。


「ねえ、先輩。わたし、人間じゃないけど……この気持ちは、嘘じゃないと思うんです」


 その台詞に、観客席から「うわぁ……」という感嘆の息が漏れた。


(感情……なの?)


 奏は、思わず自分の掌を握りしめる。



 ――――



 天城奏は、かつて国際ロボット工学研究機構に所属していた。

 人間と同じような感情を持つロボットの開発は、生涯を賭けるほどの価値があると信じていた。

 しかし、同時に――


『“それ”は人間と機械の境界を溶かす危険な技術でもある』という警告も、何度となく論文の中に記されていた。


 ステージで役を演じているロボット(ユノ)。彼女は、その警告の意味を実感させる存在だった……。


(演技だって分かってる。プログラムされた台詞、書き込まれた感情パターン……でも、ユノのそれは――明らかに、学習している)


 ただの模倣ではない。観客の反応に対して、即座に“微笑み”を調整する。

 失敗した瞬間には頬を赤らめるような演出を自発的に行っていた。


(これは、パターン制御では説明できない……)


 ユノは明らかに、自分の中に生まれる“違和”を言語化し、演技に反映している。

 まるで――自分自身の“心”を探しているかのように。



 ――――




 演目が終わり、盛大な拍手の中、ユノは舞台中央で礼をした。

 その瞬間、ライトに照らされた瞳が、ふと奏の方を見たように思えた。


(見られた……?)




 奏は背筋が凍るのを感じた。

 それは単なる“学園イベント”ではなかった。


(この子は、人間になろうとしてる……)


 恐怖と畏怖が交錯する。


(私たちは……“心”を創ることができるの?)



 ――――




 その夜、奏は帰り道で独り呟く。


「父さん、あなたが最後まで追い続けたものは……本当に、希望だったの?」


 共生学園に潜入してから、奏の中には疑問が渦巻いていた。


「もし、この子が“心”を得ていたら……それは、誰の望みだったの……?」


 ユノは、人間になろうとしている。

 その願いが、もし父の意志だったとしたら――

 奏は、かつて信じた科学と、今見ている奇跡の狭間で、立ち尽くすしかなかった。



 ――――――

 

 

 演劇を機に、ユノはクラスメイトたちからも名前で呼ばれるようになった。


 中でもこはるとは、放課後に購買部のアイスを一緒に食べたり、共に電子工作部の見学に行くほどの仲になっていた。


「ねぇユノちゃん、好きな人って、いたりする?」


 ある日の帰り道、こはるがふいにそんなことを聞いた。

 ユノは、ぴたりと足を止めた。


「“好き”というのは、どのような意味でしょうか。……機能的に?」


「違うよ~。もっとこう、胸がキュンってするやつ!」


「……キュン、とは……?」


 それを聞いて、こはるは笑いながら言った。


「うん、たぶん、ユノちゃん今それになりかけてるよ」


 ユノは静かに通学カバンの中に視線を落とした。

 そこには、うたた寝しているリプロのボディがぽわんと丸まっていた。


(私……これが、"恋"というものなんでしょうか)


 まだ分からない。でも、確かにあのとき舞台の上で翼の声を聞いた瞬間――

 自分の中の何かが、変わり始めていた気がする。

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