第2話 共生学園入学
ユノたちが起動した翌日。
翼は、父の旧研究所から姉と暮らす自宅にユノとリプロを連れて帰ってきていた。
ユノたちを見つけたのが金曜日の夜。今は、土曜日の朝だ。
休日は、これからどうするか考える時間が取れるのでありがたかった。
そう思い部屋で今後について考えているとドアがノックされた。
「どうぞ」
返事をすると落ち着いた雰囲気の女性が入ってくる。
「翼。これユノちゃんに着せてあげて」
姉の天城奏だ。
弟の翼から見ても美人。だが浮いた話のひとつもないまま29歳を迎えた真面目を絵に描いたような美人。
父と同じロボット工学の研究者として活躍している。そんな姉を見て天は二物を与える不公平な存在だと悲しくなったものだ。
奏の手には、かつて彼女が合コンに行くからと友達に渡されたあとタンスへしまい込んだ可愛い洋服があった。
「……姉ちゃん……。着せ替え人形じゃねえぞ」
「なによ……。こういう可愛いのは、ユノちゃんみたいな子にこそ似合うのよ!」
ユノをはじめて姉に会わせた時は、大変だった。
誰もが振り返る美少女ロボットだ。
女の子を連れ帰ったと勘違いした姉に俺が非行に走ったのだと大騒ぎされた。
鉄拳制裁を受けた頬がまだ痛い。
「ところで……これからユノちゃんたちどうするの?」
そう。廃棄された研究所に監視ドローンをつけているのだ。
ユノたちの存在を知らないとそんなことしないだろう。
翼の知る限りこの国の管理局の監視は厳しい。
ユノたちがいなくなったこともいずれ気づかれるだろう。
「ちょっとしたツテがあるんだ。悪いんだけど今晩……付いてきてくれない?」
――――数時間後。
翼と奏、ユノとリプロたちは一人の男に会っていた。
父・天城博士の旧友であり、家族ぐるみの付き合いがある。
現在は政府のロボット工学審査委員を務めている人物だった。
父の研究について知っていそうで信頼できる唯一の大人だ。
「……翼くん、本当に彼女を起動させたのか。それも支援ユニットまで」
男は白髪交じりの無精髭を撫でながら、ため息をつく。
筋骨隆々の身体は、とても研究者に見えないが父と並び立てる唯一の存在と言われている男。
名を、加賀見誠。
「父さんが何を遺したのか、確かめたかったんです」
「軽率だよ……だけど、この子たちは確かに……一応の完成はしている。学習が必要だけどね」
加賀見は横に立つユノとリプロを見つめる。
ユノは無表情ながら、ほんのわずかに首を傾げて答えた。
「私とリプロは、ご主人様と共に学習し、成長したいと考えています」
「……"成長"だって?天城の事故を考えたら稼働停止処分が妥当だ」
「……!?……父さんの事故って?……ユノたちが何か関係があるんですか?」
加賀見は翼をじっと見据えた。
「何も言えないんだ。だけど天城は、"共生"という可能性を信じていた。僕は一度だけ手を貸そう。でも――それは社会の中で学ぶことが条件だよ」
加賀美は一枚の申請書を差し出した。
《共生学園 特例入学申請書》
「共生学園……?」
ロボットとの共存共栄を掲げている国立学校。
入学できるのは、一部のエリートのみという触れ込みだった。
「今の政府は、ロボット共生政策を掲げている。完全自律型ロボットの現場観察対象として、正式にユノを登録できる。君も一緒にね」
「でもそんな特例、認められるんですか?」
「彼女の主人として君が登録されてしまっているようだからね。ただし、当然だが政府監視は入るし、周囲の偏見もあるだろう。それでも、"普通の生活"を望むなら唯一の道だ」
翼は静かにユノたちを見つめる。
「ユノ、リプロ……行くか?共生学園へ」
「ご主人様が望むなら、私も望みます。それが私の成長に繋がるならば」
「ユノが行くならもちろん僕も行くよ☆」
そう答えたユノの表情は、わずかに柔らかかった。
こうして、少年とロボット少女の「共生生活」が始まることとなる。
――――
朝の街並みを、初夏の柔らかな光が照らしていた。
翼は少し緊張した面持ちで、制服の襟を整えながら深呼吸を繰り返す。
「……よし。行こう、ユノ」
「はい、ご主人様。今日から正式に"学生"ですね」
ユノは制服の上に白いカーディガンを羽織り、どこか初々しい表情を浮かべていた。
長く艶やかな銀髪は、朝日に照らされて淡く輝いている。
その隣で、翼は黒い通学カバンのファスナーをそっと確認する。
カバンの内部には、特製の内装ケースに収納された、彼らの小さな仲間が静かに収まっていた。
「おねえちゃん、マスター、準備オーケーだよー!」
ファスナーの隙間から、わずかに浮かび上がる銀色の球体――リプロだ。
ふわふわと浮遊しそうになるナノマシンボディを、専用の安定ケースが優しく包んでいる。
コアアイがパチパチと瞬き、楽しげに喋り続ける。
「リプロ、あまり騒がないようにね? 学園では注目を浴びるのだから」
「わかってるよ〜☆でもワクワクが止まらないんだもん!」
リプロはそう言うと、軽く小刻みに震えながら再びカバンの中へと収まった。
共生学園では、ロボットと人間が共に学ぶ"共生"を実践している。
だが、ナノマシン型ユニットを伴った転入生など前例がなく、今日の入学はメディアでも密かに取り上げられていた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
3人での登校が静かに始まった。
共生学園の巨大な正門が見えてくる。近未来的なアーチと、ホログラムの校章が朝日にきらめいていた。
「わあ……」とユノが小さく感嘆の声を漏らす。
翼も思わず微笑んだ。かつて父が夢見た『人とロボットが共に学ぶ社会』の象徴が、今ここにあった。
登校中、すれ違う生徒たちが次々と2人――いや3人――を振り返る。
人間の学生、アンドロイド、四脚移動型のサーボロイドなど様々な姿が混在するが、やはり「新入生・ユノ」の存在感は圧倒的だった。
「あれが例の……」
「人型AIの特例入学者だって……」
「でも綺麗よね……あのカバン、何か入ってる?」
ざわざわと噂が飛び交う中、カバンの奥から小さな電子音が漏れた。
「ねえマスター、注目されてる! 人気者だね! ……これ有名人ってこと?」
「しーっ、静かにリプロ」
翼が小声でなだめると、リプロは振動をピタリと止め、大人しくなった。
校門前には、今日の入学を取り仕切る教師陣と、入学歓迎セレモニーのための生徒会役員たちが並んでいた。
その中央で、一人の少女が鋭い眼差しをこちらに向けていた。
漆黒の長髪と紅い瞳。完璧に整った制服姿――如月凛音である。
「……ようこそ、共生学園へ」
その声は静かだが、どこか挑むような色が滲んでいた。
――――――
――かつて、父はこう言っていた。
「“人間とロボットの未来”は、お前たちがつくるんだよ。奏。翼もな」
それはどこか寂しげで、それでいて確かな希望を孕んだ言葉だった。
そして――数年後、父は、事故とされる「爆発事故」で命を落とす。
だが、奏はずっと引っかかっていた。事故の報告書の矛盾。記録に残らない実験機の存在。
そして何より――
「あの研究所には、クロノス社の影があった」
父が生前関わっていた極秘プロジェクト。
本来政府直轄の研究所であるはずの施設に、企業のロゴがちらつく――不自然でないはずがなかった。
――――
共生学園・職員室。
その日、共生学園の人事データベースに新しい教員データが登録された。
名前:天城奏
所属:ロボット工学講師
前歴:特定非公開・国際ロボット工学研究機構所属
その背後でキーボードを叩く人物が一人。加賀美誠だ。
「……本当に良いのか?奏君。研究所に戻る道だってあったのに」
「私の家族が命を懸けた未来を、他人任せにするつもりはありません。私自身の手で、翼を守りたい」
奏の声には、冷静さと情熱の両方があった。
もう一人の父親とも言える存在。加賀美誠は、小さく頷く。
「共生学園はクロノス社と密接に繋がっている。彼らは**“次世代ロボット適合者”**を探している……君の弟、翼くんもその一人だ」
「ええ。だから、見守ります。教師として――それと、姉としても」
奏は、ロボットと人間が同じ場所で学ぶ未来に入り込むための「偽りの肩書き」を背負い、共生学園の門をくぐった。
――――
静かな放課後、奏は管理者権限でログインし、閉鎖された学園のデータにアクセスする。
目当ては――父の最後の研究プロジェクトに関するデータ。
パスワードが何重にも掛けられた暗号化ファイル。
だが奏の手は迷いなくキーを叩く。
《PROJECT: GENESIS》
《“自己進化型ナノマシン”――被験体名:ユノ》
《設計協力:天城教授/クロノス、ナノ部門技術責任者・コード000》
「……やっぱり。ユノは父さんとクロノス社の共同成果だったんだ……!」
だが画面に次の瞬間、アクセス拒否の表示が現れる。
【アクセス権限が不正です。ログをクロノス本社に送信しました】
「……!」
奏はすぐに端末を閉じた。
(動き出した――クロノス社の“監視”が……)
それから数日後――
奏は、「新任教師」として翼の前に姿を現す。
「ロボット工学担当の天城です。今日から授業を受け持ちます」
――あまりに突然な姉の登場に、翼は言葉を失う。
だが、奏は何も語らなかった。教師として振る舞い、弟を“監視する側”に身を置いた。
父が命をかけて生み出した存在――ユノ。
弟がいる世界。そして不自然な父とクロノス社の関係。
それらすべての狭間に立ち、彼女は誓う。
「父さんが守ってくれた私たちの日常を大切にする。でも……どうして父さんが犠牲になったのか真実を知りたい」