第1話 父の遺した秘密
夜の研究都市――第三区管理外エリアは、すでに無人となった廃墟のような姿を晒していた。
ネオンが滲む遠景を背に、天城翼は人気のない通路を慎重に進んでいた。
「まさか、本当に入ることになるなんてな……」
ロボット工学の鬼才と言われた父の死から半年。
失われた父の研究記録にアクセスするため、彼は禁じられた父の旧研究所へと忍び込んでいた。
監視ドローンの巡回パターンは、家にあった父の仕事用パソコンに保存されていた情報と一致している。
翼はその隙を突き、施設の奥へと足を踏み入れていった。
薄暗い廊下を進むたびに、床には散乱した資料や破損した装置が転がっている。
父の研究が突然打ち切られた理由も、いまだ公にはされていない。
ただ資材の持ち出しがされていないので穏やかな理由でないことが感じられる。
最奥の隔離区画。プレートには《Project Genesis》の文字が刻まれていた。
「……ここか?プロジェクト……ジェネシス?大げさな名前つけちゃってさ……」
まだ生きていた頃、「世界が驚く研究をしてるんだ!」と大見栄切っていた父の姿が思い出される。
父が最後まで詳細を誰にも明かさなかった最重要研究――その中身を知るため、翼は扉の端末にアクセスコードを入力した。
【認証コード:承認】
【隔離区画ロック解除】
重々しい機械音とともに扉が開く。
内部は意外なほど綺麗に保たれていた。中央のステージに設置された透明なカプセル。その中に――
「……は?人間?」
眠るように横たわる少女がいた。
「どうしてこんなところに女の子が……」
銀色の髪。白磁のような肌。眠っていても整った顔立ちなのがわかる。
街を歩いていれば誰もが振り向くであろう美少女だ。
――しかし彼女は、人間ではない。
翼の心臓が早鐘を打つ。
カプセルに取り付けられた端末が表示する彼女の型番は、《A_yk07 - Unit Name:YOU KNOW》。
「ロボット……?こんな精巧なモデルなんて見たこと無いぞ」
翼も父の影響でロボット工学に進んだ。
だが現代ロボットの基礎を創ったとまで言われている父には、遠く及ばなかった。
同じ道を歩めば偉大な父の功績が彼を苦しめている。
だが父の背中を追わずにはいられない翼のロボットへの熱意が彼の足をここに向けたのだ。
「ここに格納されてるってことは、父さんの研究成果がこの子?……なら……起動している姿を見てみたい!」
彼の中に流れる技術者の血の影響か。
はたまた鬼才と言われた父への劣等感か。
抑えきれない衝動が彼を襲った。
彼は迷わず起動ボタンに手を伸ばす。
途端に機械音声が起動を知らせる。
【起動シーケンス開始】
【ユノ、システムオンライン】
【自律モード起動中……】
カプセルが開くと、少女の瞼がゆっくりと持ち上がった。
蒼く透き通る光彩が翼を見つめる。
綺麗だ。
この世のものと思えない美しさを持つ彼女を見つめる。
翼は、目の前にいる父の研究成果であろう彼女に神秘性を感じていた。
「……起動認証、確認。はじめまして。あなたが――ご主人様ですか?」
機械的ながらもどこか柔らかい声が響く。
翼は一瞬言葉を失ったが、すぐに覚悟を決める。
「ああ。……よろしくな」
【起動シーケンス開始】
ユノがゆっくりと目を開けたあと、研究所の奥に異音が走った。
「……今の音、なんだ?」
翼はユノを連れて、かつて父が“立入禁止”と貼り紙をしていた金属扉の先へ向かった。
セキュリティ認証は、ユノが起動したことで自動的に解除されていた。
その奥にあったのは、真円のガラスケースだった。
中には、ふわふわと宙に浮かぶ銀白色の球体。
直径はわずか30センチほどで、中心に青白く輝くコアが存在していた。
「……これ、ロボット?」
と、その瞬間――
球体の表面が脈打ち、粒子がふわっと広がったかと思えば、小さな“猫耳”のような突起が形成された。
さらに細いアンテナのような“尻尾”がぴょこりと揺れた。
それは明らかに、見た目に「かわいい」と思わせる意図を持った、人工的な存在だった。
やがて、電子音と共に声が発された。
「……マスター、認証完了。A_yk07S- REPRODUCTION、起動……おねえちゃんも一緒?」
「えっ……今、喋った?」
「僕はリプロ。ユノのパートナー機……つまり、マスコットだよっ☆」
翼は思わず目を丸くした。ユノの肩にふわりと浮かび寄り、親しげに頬を擦り寄せる球体。
ロボットの補助機能とは思えない、その仕草はどこか人間的ですらあった。
ユノは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに小さく微笑む。
「……リプロ。あなたも、残っていたのね」
「もちろん。お姉ちゃんのこと、ずっと待ってたもん! マスター、これからよろしくねっ」
「お、おう……」
父の遺したもうひとつの“命”。
それは――笑顔で翼の肩に乗り、ぽよんと跳ねながら、まるで“生きているかのよう”に呼吸する小さな光だった。