ホシノシホさんの夜の冒険
このお話の主人公は、ホシノシホさんという女の人です。シホさんは、小さなお家に一人で楽しく暮らしています。この前も、50才になった誕生日を、お手製のどーんと大きなアップルパイと、ほかほかのシチューでお祝いしたところです。
シホさんの相棒は、2年前に買ったワゴン車です。この車で、月曜から金曜は毎朝会社に向かいます。隣町へ買い物に行く時も、車の出番です。ちょっと小ぶりだけど、シホさんの言う通りに動いてくれて、頼りになるのです。
さて、7月はシホさんにとって、とても忙しい月でした。毎日遅くまで働いて、シホさんも会社の仲間もへとへとになってしまいました。忙しい時期が終わったら、何か思いきったことをして、気分を変えたいとシホさんは思いました。
8月に入ると、シホさんの仕事はちょっと忙しくなくなりました。そこで、シホさんはドライブ旅行を計画したのです。
旅行といっても、ぜいたくをするつもりはありません。ただ、相棒のワゴンに乗って、気ままにちょっと遠くまで出かけようと思いました。もちろん、一人でです。シホさんは、誰かと一緒に過ごすよりも、一人でいる方が楽しいと思っていました。
金曜日は、朝からそわそわしていました。会社に行く前に、車に毛布や着替えの服、サングラスなどを詰め込みました。夕方になって仕事が終わると、お風呂屋さんに行ってから、ちょっとだけ仮眠をとります。目を覚ましたのは、夜の10時でした。シホさんは、車から降りてストレッチをして、また車に乗り込みました。
エンジンをかけて、まずはナビをつけずに、下道をのんびりと走ります。沿道に並ぶお店が、見慣れないものに変わっていきます。知らない信号の名前を見るのもシホさんは好きでした。
真夜中12時を過ぎてから、シホさんは高速道路へ入りました。スピードが上がり、周りの景色がぐっとかわります。まっすぐな道を、止まることなくすごい速さで走るのが
楽しくて、シホさんはつい鼻歌を歌い出しました。道の端の灯りがびゅんびゅん後ろに下がっていきます。時々現れるパーキングエリアの看板を品定めして、大きなサービスエリアまで行ったら休憩を入れようと期待を膨らませるのでした。
さて、この高速道路は、どこへ向かっているのでしょう?
シホさんは、だんだん上り坂になっていることに気がつきました。道路が大きな橋を渡っている時のようにぐーんと伸び上がって、そのまま下ることもなくずっと上に昇り続けるようです。面白いことになったとシホさんははりきり、アクセルペダルをぐんぐん踏んで道路を走り続けました。
たっぷり2時間は走ったかという頃、シホさんはいつのまにか車の周りを白い霧が包み込み、道路を囲む灯りが変にちかちかまたたいていることに気がつきました。
変な光景だと思いましたが、道路の真ん中で停車するわけにはいきません。路肩にちょうど広いスペースがあったので、ランプをちかちか光らせながら、シホさんはゆっくりと車を寄せました。幸い、後ろからやってくる車はいないようです。
車から降りてみて、シホさんは驚きました。
いつの間にか、シホさんとワゴンは、夜空の上に来ていたのです。白っぽい雲があたり一面に浮いていると思ったら、よくよくみるとそれは細かく張り巡らされたクモの巣でした。きらきら光る砂や小石のようなものが散らばっているのは、星くずでしょうか。シホさんは、誰も見ていないのをいいことに、車の屋根の上によじ登り、クモの巣が風に吹かれてちぎれたりくっついたりする様子や、小さな星がさらさらさらと流れて模様を作るのをのんびりと眺めました。
「景色はこんなにきれいだし、空の上は意外と涼しいし。なかなか良いところにきたもんだわね」
そう言って、持ってきたコーヒーを一口飲みました。
もぞもぞと何かが動いているような音がしました。車の上から見下ろすと、大きなクモが、クモの巣の上を歩いてきます。見上げたクモと目があったので、シホさんはあいさつをしました。
「こんばんは」
クモはくわっと口を開けて、あいさつを返しました。
「こんばんは」
シホさんはふと、この大きなクモは人間も食べるんじゃないだろうかと思いましたが、あんまり気にしないことにしました。
「ここはいいところだね。気に入ったわ」
「そうかい。ゆっくりしていくといい。僕は今困ってるんだ」
「困ってる?」
「ああ、困った困った」
クモは、シホさんの同僚のおじさんそっくりに、困った困ったとぶつぶつ言いながら車の周りをぐるぐるしています。何だか助けてあげたくなり、シホさんは声をかけました。
「何か手伝ってあげようか?」
クモはぴたりと立ち止まります。
「手伝ってくれるのかい。ありがたい、ありがたい」
クモはありがたいと繰り返しながら、また歩き始めました。シホさんは何だかじれったくなりました。
「あなたはどうして困っているの?」
「僕の仕事はのりみたいにくっつく糸で星を空に貼りつけることなんだが、星が糸にくっつかなくなってきたんだ」
クモは、空一面の巣をちょっと引っ張りました。すると星がざらざらとはがれ、何個かは下に落ちてしまいました。
「天の川にはのりがたくさんあって、それを食べれば前みたいにぴったりくっつく糸を作れるんだけど、天の川はけっこう遠くて、なかなか行けない」
「そういうことなら、任せてちょうだい」
シホさんは、車の窓から運転席にするりと降りて言いました。
「あんたも車に乗って、一緒にお空のドライブをしようよ」
シホさんと、助手席のクモは、空の道路をびゅんと駆け抜けました。涼しい夜風が窓から吹き込み、エアコンなんていらないくらいです。シホさんは、最近お気に入りのキャラメルを一つクモにあげました。
「あんた、いつもは何を食べてるの?」
「星くずとか、ちょうちょとか、いろいろさ」
キャラメルをもごもごと噛みながら、クモは答えました。
シホさんが大きな声で歌を歌うと、クモもてきとうに歌声を合わせてくれました。星で照らされた道路はどこまでもまっすぐに伸びています。
天の川のへりまで来ると、クモは車から降りて、天の川にじゃぶじゃぶと入っていきました。シホさんも靴を脱いでから。その後を追います。
天の川の水は冷たく澄み通っていましたが、すくい上げるとまるでゼリーのようにぷるんと揺れて、手のひらの上で固まります。
「この水が、僕の体のなかでのりのもとになるんだ」
そう言いながら、クモは水をごくごく、もぐもぐと飲んでいます。川の底には星くずが沈んでいました。シホさんの素足を、何かがちょんとつついたと思ったら、白い小さな魚が何匹も集まっていました。
クモの巣の上に戻ってくると、もう空の東の方が白くなっていました。
「もうそろそろ、帰った方がいいよ」
クモが言いました。
「そうだね。じゃあ、頑張って」
シホさんはそう言ってから、ふと思いついて尋ねました。
「記念に、星くずを1つもらってもいい? 小さな奴でいいからさ」
クモは、星くずの中でも、とりわけダイヤモンドのように美しい1つをくれました。
クモとお別れのあいさつをかわしたシホさんは、あくびを1つして、長い下り坂をワゴンで下っていきました。




