3 私にも生活があるんですが……?
王子様は俯いて黙り込んでしまった。
私は紅茶を一口飲んだ。
今にも怒鳴り出したい気持ちを抑えるためでもあるし、泣きたいような現実から逃避するためでもある。何とか気持ちを沈めて、口を開く。
「それで、また助けてもらおうって?」
王子様はゆっくりと顔をあげて、私と目が合うと気まずそうな顔をしてまた頭が下がった。
「……まあ、そう言うことだな。」
「何で?私、前回散々言ったよね?二度と来ない、次は違う人にしてって。何でまた私なの?別に私じゃなくても良いんでしょ?何で?」
言いたいことは口から溢れそうなほどあったが、同時に涙も溢れそうになったので一旦口を閉じる。
前回、帰るための魔法をセッティングしてもらうために、何人かの魔術師と話す機会があった。そのうちの1人から、私たちの世界には何人も浄化の魔法を持つ人がいて、私が選ばれたのは特に理由がなく、割とランダムだったという情報を掴んでいた。「世界の危機」「救えるのはあなただけ」と言われれば情も湧く。「また危機に陥ったら呼んでも良いよ」くらいの気持ちにはなる。でも「別にあなたじゃなくても良いんですけど、たまたまこっちに来たんで」と言われたら話は別だ。その話を聞いてから、私は毎日のように「二度と呼ぶな」「また何かあったとしても違う人にしてくれ」と言い続けた。帰り際にも念押しした気がする。なのに、なぜかまた私はここにいる。
目の前のこいつらがここに呼んだからだ。あんなに言ったのに。
「すまない……まさか、そんなに怒るとは。」
「はあ?」
散々待って、再び顔を上げた王子様が発した言葉に、一瞬怒りを忘れてしまった。
「なに、まさか本気じゃないとでも思ってたの?」
「いや、そういう訳じゃない。でも、一度は君の手で助けた世界だから、また危機にあると知ったら、思い直してくれるかと……。」
「一度命懸けで逃げ出した人間が、また喜んで助けてくれるだろうって?」
何度目かわからない気まずい沈黙が流れる。
「そ、それに、次元を超えた探知の魔法はまだ確実性がよくわかっていないんだ。いざ召喚したら何の力も持っていませんでしたってこともあり得る。でもスミレなら確実にこの国を救ってくれる力を持っているから……」
確実性か。確かに、能力も人格も未知数の人間と、一度世界を救った実績のある人間。どちらが確実かは明らかだ。気持ちはわかるが、それとこれとは話が別だ。そっちの事情なんて私の知ったことではない。
「それに、向こうの世界に戻る時は時間を超えられることは知っているだろう?前回と同じように、スミレが向こうの世界にいなかった時間はなかったことにできるんだ。何をそんなに……」
「エルム。」
側近が嗜めるように名前を呼んだ。
「いやいやいや、流石の殿下といえどもそれは言っちゃいけませんよ。」
魔術師も珍しく王子様を否定するように頭を振る。
「確かに帰還の魔法で時間を飛び越えることはできますけど、それはあくまで帰るときですから。二つの世界の時間の流れ自体は同じなんですよ。今この瞬間にも聖女様の世界では聖女様がいない時間が流れてるんです。さ、最終的に無かったことになるから良いとか、そう言う問題じゃないと思いますよ、僕は。そ、それに帰還の魔法は絶対に成功するとは言えませんし……」
「そうだな、すまない。無神経なことを言った。」
神妙な顔で頭を下げるが、本当にわかっているのだろうか。魔法の失敗は何が起こるかわからない、最悪死ぬと言われた時の私の気持ちを。それでも帰ると告げた時の決意を、魔法に身を委ねた時の恐怖を、全て踏み躙られた今の私の怒りや呆れを。
「そうだよ〜。聖女様にだって向こうの世界での人生があるんだから。ごめんね、嫌な思いさせて。後でよ〜く言っておくから。」
側近の方が申し訳なさそうな顔をしているが、こいつはいつもノリが軽いのでイマイチ信用できない。
「そう言うこともちゃんとぜ〜んぶ考えてからお喚びいただいたものと思っておりましたが、てっきり。」
思いっきり嫌味っぽく言ってやると、王子様はややムッとした顔をしたが、側近は「いやあ〜お恥ずかしい」とでも言いたげな笑顔を浮かべる。
「なにせ伝承にもないことだったからね〜。とにかく焦っちゃって。何とか早く浄化の力を持つ人が必要だってなっちゃってね〜。ほんっとにごめんね。きっとご家族も心配してるよね。」
「そうですね。父も母も妹も、彼氏もさぞ心配していることでしょう。」
「かれし……?」
紅茶を一口啜って顔を上げると、王子様が呆然とした顔でこちらを見ていた。
「何?私にも彼氏くらいできますけど。そんなに驚かなくても。」
隣で魔術師も目を剥いて私と王子様を交互に見ていた。何なんだ。私に彼氏がいるのがそんなに意外か。
「へえ〜彼氏か〜。なんか良いね。僕らはあまり恋愛とか縁がないから。」
側近は逆に興味津々な感じだ。
「ああ、政略結婚が基本って言ってたっけ。」
「そうそう。え〜彼氏ってどんな感じ?なんか……2人きりでお出かけしたりするの?」
「う〜んお出かけはたまにかな……。2人きりは……学校帰りが一番多いかも。」
「へえ〜。手繋いだりするの?」
「うん、まあ。」
「おお〜。」
謎の歓声が上がったところで、ようやく王子様が正気を取り戻した。
「と、とにかく、あまり考えなしに喚んでしまってすまなかった。それくらい切羽詰まった状態なんだ。スミレの向こうの世界での生活を邪魔してしまったことは申し訳ないが、我々の……国民達の生活も危機に瀕している。頼む、もう一度手を貸してはくれないだろうか。」
「お断りします。帰還の魔法を準備してください。」
そう言ってしまいたい気持ちもある。でも、残念ながら私の中の中途半端な正義感がそれを許さなかった。あるいはNOと言えない日本人らしさとも言う。私は目の前の真剣な眼差しをまっすぐに受け止めて、ため息を一つ吐いて口を開いた。
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