2 世界はもう救ったはずなんですが……?
王子様たちに続いて入った部屋は、学校の教室くらいの大きさで、真ん中に立派なソファが2つ、これまた立派なテーブルを挟んで置かれた部屋だった。調度品も豪華で、よくわからないが高そうな絵がたくさん飾られている。
王子様がまず片方のソファの真ん中に座った。魔術師がその左に座って、2人――王子様と魔術師、それぞれの専属騎士が2人の後ろに立つ。残りの1人――王子様の幼馴染で、側近の男は私たちの後ろにいつの間にかついてきていたメイドさんからお茶のワゴンを受け取って、「僕がやるから、君はもう良いよ〜。」と追い返していた。彼の名前は、確か……ヒース。
「まあ、座って。」
私も向かいのソファに座る。リリィは何だか居心地が悪そうだけど、私が腕を離さないので一緒に座ってくれた。
「久しぶりだね、スミレ。元気だった?」
「……向こうにいる間はね。」
「転移が成功したみたいでよかった。帰還の魔法は失敗すると……大変なことになると聞いたから、心配していたんだ。」
「まさかそれを確かめるために?」
「いやいや、違うよ。この国のために、どうしてももう一度スミレの助けが必要だったんだ。」
「何で?前に来た時に、『もう脅威は去った、これで後300年は安心だ』って神殿の人が言ってたじゃない。まさかもう300年経ったわけじゃないでしょ?」
「そうなんだけど……。」
「そういえば、今っていつ?私が向こうに帰ってからどのくらい経ってるの?」
すっかりこっちでも1年振りの気持ちでいたが、違う可能性があることを思い出した。私の世界とこちらの世界は、同じ時間軸を共有していないので、転移の魔法で時空を飛ぶ時、時間も飛ぶことができるらしい。前回帰る時も、私の世界では私が消えた直後の時間に飛ばすので、私がいなかった時間は1秒にも満たないはずと説明された。
「1年だよ。スミレと同じはずだ。」
「そう……それで?じゃあ何でまた私が必要な訳?」
「それは……」
言い淀んで、黙ってしまった。なんなんだ、まったく。勝手に呼び出しておいて、理由を聞いても答えてくれない。後ろの2人はともかく、隣に座る魔術師も何か喋る気配はなく、心配そうに王子様を見ているだけだった。
テーブルひっくり返して出て行ってやろうか、と思ったちょうどその時、側近がすっとテーブルにカップを置いた。
「ごめんね〜。こいつ、ちょっと失敗しちゃってさ。それで聖女様を呼ぶことになったんだけど、恥ずかしくて言えないんだよ。かっこつけだからさ〜。はい、リリィもど〜ぞ〜。」
「ありがとうございます。」
「失敗……?」
「おい、やめろよ。」
「あはは、でも本当のことだろ〜?ほら、あんまり怒らせる前に説明しなよ。あ、お2人さんは?」
「いえ、我々は結構です。」
ソファの後ろに佇む2人は首を振った。
「これ、ミルクとお砂糖。何も入ってないから、入れる人はどうぞ〜。」
側近はテーブルの真ん中にピッチャーとポットを置いて、自分もカップとソーサーを持って王子様の左側に座った。早速ポットに手を伸ばしている。
側近の紅茶は、前回何度も飲んだ。この人は王子様の幼馴染で、自身もそれなりの血筋と地位を持つはずなのに、自分で紅茶を入れるのが趣味の変わり者、なのだそうだ。紅茶くらい淹れたい人が淹れれば良いと思うけど、この世界では「高貴な方々」がすることではないらしい。
各々が目の前のカップに手を伸ばす。私も取って、一口飲んだ。おいしい。
「ヒースの紅茶は、いつ飲んでも美味いな。」
「でしょ〜?聖女様もどう?僕の紅茶、久しぶりでしょ?」
「……美味しい、とても。相変わらず。」
「それは良かった。」
あらゆる食べ物が美味しくないこの世界で、なぜか飲み物は美味しいものが多かった。その筆頭がこれだ。ヒースの淹れる紅茶。わざわざ選んで紅茶を飲もうと思うほど好きな訳ではないが、これだけは別だ。
「…………ふう」
美味しい紅茶のお陰で、張り詰めていた空気がリラックスした雰囲気に包まれた。
かちゃり、と微かな音をたてて、王子様がカップをソーサーに戻す。一度座り直して、深く頭を下げた。
「スミレ、まずは謝らせて欲しい。本当にすまない。」
「……それは、またこっちに召喚したこと?それとも、これからまたこき使うこと?」
「両方だ。本当にすまない。」
「はあ……さっきも聞いたけど、世界は救われたんじゃなかったの?みんなで旅をして、もう安心ってみんなが言ってくれてたじゃない。」
「そうなんだけど……違ったんだ。俺の見落としがあって……」
「見落とし?散々色々確認してたのに?私が帰るって言った後もあちこち連れ回して確認させてたのに?それって」
「え、エルムだけの責任じゃない!」
私が感情のままに王子様を詰っていると、突然魔術師が大声をあげた。
「何人もいて、誰も気がつかなかったんだ。俺も含めて……。だ、だからエルムだけの責任じゃないし、また聖女様を喚んだのも、エルムの独断じゃなくて、色々考えて、それ以外にないって結論になったから、それで……」
段々と声が小さく早口になって、最後はほとんど聞き取れなくなってしまった。
「オリバー、ありがとう。」
まだぶつぶつ何か言っていたようだけど、王子様に軽く腕を叩かれて、また大人しくなった。
「あの時は、スミレの浄化が上手くいったのか、もう毒は残っていないか、そればかりを確認していた。そこに見落としはなかったんだ。でも、そこじゃなかった。もっと根本的なところで、俺は間違いを犯してしまった。」
「根本的なところ?」
「ああ。……そもそもなぜこの国が毒に侵されてしまったか、スミレは覚えてるか?」
「ええっと、確か……毒を撒き散らす、魔獣……?が大量発生したって……」
「そうだ。本来魔力は人間だけのものだが、稀に魔力を持つ動物が生まれることがある。それを魔獣と呼ぶんだ。魔獣は人間には毒になる魔力……瘴気を放っているんだけど、普通はすぐに空気に薄れてしまって、人間に害を与えるほど濃くなることはない。」
「うん。」
「でも、極稀に……何らかの原因で魔獣が大量発生することがあるんだ。そうすると毒は濃くなる。時には人を死にいたらしめる程に……。それに、魔獣自体も凶暴化して、人や街を襲うようになる。これで滅んでしまった国もあったそうだよ。」
「そう……」
「俺も父上もこの事態に遭うのは初めてだったけど、幸い祖先代々伝承していてくれたから、国境近くで魔獣が大量発生したと言う報を聞いた時、すぐに対処することができた。」
魔力、魔獣、瘴気……久しぶりに聞く言葉の数々に、ああ、戻ってきてしまったんだなと今日何度目かの感情を抱く。この世界と菫の世界の決定的な違いがそこにあった。
ここは、『魔法』が存在する、とてもファンタジックな世界なのだ。
「それで魔獣をみんな倒した後に、毒を浄化するために私が召喚されたんだよね?」
「ああ。浄化の魔法を使える者がこの世界にいなかったんだ。それでオリバーが異世界から浄化の魔法を持つ者を召喚する魔法を作ってくれて…」
魔術師は居心地が悪そうにそっぽを向いた。
「スミレが来てくれたんだ。その後は……まあ、知っての通りだね。」
王子様はバツが悪そうにこちらを伺った。
知っての通りというか、やった通りというか、やらされた通りというか。こちらに召喚された私は、説明もそこそこに「浄化の力を使って見せろ。」と禍々しい黒い煙の中に突っ込まれた。その中で息を吸った瞬間、気管が燃えるように熱くなり、強い痛みで一瞬意識が飛びかけた。「ここにいたら死ぬ!」と悟った私は、何とか煙を掻き分けようと死に物狂いで手を振り回したところ、手のひらから光の球が出現して黒い煙が吸い込まれて消滅した。それを見た周りは大喜びだったけど、これ以上ない程「死」を感じて、部屋に戻った後1人で泣いた。あの時はまだリリィが私の側に来てくれる前だったから、本当に辛くて寂しかった。
「ってことは……魔獣がまだ残っていたってこと?見落としって言うのは。」
王子様はすごくまずい物を食べたみたいな顔になって、本当に認めたくないけど、でもどうしても認めなければならない……みたいに、頷いた。
「そうなんだ。最近、王都で魔獣の目撃情報が相次いでいる。謎の病の噂もある。……城の研究者たちの調査によれば、大量発生の生き残りが再び数を増やしている可能性が高いと。」
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