傑作
「どうした少年。黄昏るにはまだ若さが邪魔をして見てられないのだが」
借家の近くを流れる河川でヴィキャスは座り込んでいた。
先生の声は腹が立つほどに響いた。
「川を見ているだけだろ。別に何も物思いに耽てる訳じゃない」
「では、今君の中に流れる創作意欲を聞かせてくれ。今私は絶賛スランプ中で作品に手が付けられん状態なのだ」
嘘臭い。ジト目で答えた。
スランプであるのは嘘では無いのだが、言い回しが酷く。信じようにも信じられないでいた。
「クマが鮭を手で射止める瞬間。鮭は一体どんな気持ちなのか考えていた。訳分かんないまま死んでいくんだぜ。残酷だろ」
「クマさんも生きるのに必死なのだろう。鮭の気持ちが知りたいのなら、今日の夜食にでも出すとしよう。ムニエルがいいかな? それとも煮付けかな? お好みに」
「……あんたの方が一番残酷だ」
「鮭さんの気持ちが知れたな。これで悩みは一つ消えた。私も君の助けになれて心が軽い」
何故この話から夜食の話に繋げるのかが理解できない。鮭以外にもあるだろう。
……。これが鮭さんの気持ちだろうか。
俺が妙に納得してしまうと先生は「HAHAHA!」と嫌な笑い声を上げながら帰っていく。
「少年。考えるコト止めるな。悩め。お前の苦悩が私の創作意欲だ」
本当に嫌な人だ。
俺は手頃の石を見つけて水切りに励んだ後、工房に足を向けた。
工房には彼女が居て、時間だけを浪費していた。
何をするのでもなく、ただじっとしているだけのお人形の様に。
俺が来たというのに彼女は振り向く事さえしない。自分からは動かなくなった。
好都合だと思いながらも、意識は彼女に夢中なわけで、案の定声をかけてしまう。
「何を考えている」
「特に何も」
「そうか」
沈黙は気まずさに直結するのを彼女は知らない。俺は精いっぱいの勇気を振り絞ってこの場に居座った。
何を話したら彼女の気が引けるか考えると、当然の様に創作の事を考えてしまう。軽く頭を横に振って、気を確かに持った。それでも零れてしまった。自分の口から。
「お前を作った経緯を知りたいか?」
彼女はゆっくりと顔を向けた。一言。「はい」と。
何を口走っている、と自分に非難を浴びせながらも、言葉に出したことをひっこめる程の大胆さは持ち合わせていなかった。何より、彼女と話せる切っ掛けが出来てよかったとも思えた。
「別に彼女が欲しかった訳じゃない。ただ俺の中で、歯止めを利かす存在が欲しかったんだ。俺は作品を何度もダメにするから、費用がどんどん無くなって、生活が苦しくなるから」
今の借家や工房は先生が無料で与えてくれたもの(代金はもちろん出世払いになるが)。
俺がこれまでに得た全てのモノは与えられたモノで、俺自身が生み出したモノは何一つ存在しない。生み出しても破壊してしまうから。
「作品は残ってこそ評価される。一人の天才よりも百人の凡人の評価が世界の基準になる。だから俺の作品はこれから先、評価される事は無い。お前を除いては」
俺の独創的な表現は先生レベルでなければ評価されない。ならば自分の価値を下げて凡人の価値観に浸かるしかない。そうしなければ生きていけない。
現実的に考えて正しい判断だ。レベルを下げ、誰もが理解できる作品を作る。
それが彼女を生み出そうと思ったきっかけだ。
彼女は真剣に聞いていた。
「誰もが美しいと思える美貌。誰もが可哀そうだと思う傷。お前は俺が俗世を生き抜くために造った最低傑作だ」
俺は全てを口にした。彼女の存在を否定する真実。彼女は値踏みをされる為に生まれてきたという事に何を思う。俺は彼女の言葉を待った。
「その言葉を聞けて、よかった」