心
昼。工房に。男女が。2人。
彼女の一本しかない腕を掘るために。
向かい合い。座る。
「手を出してくれ」
手はしなやかで。石とは思えない。不思議な感覚だ。今から掘るのは本当に石なのか。本当は人間の肉体ではないだろうか。
そんな葛藤も来る途中まで、何度も繰り返した。
しかし。この手触り。間違えようがない。これは俺がいつも触っている材料に違いない。
彼女の手を優しく握る。
衝動を抑え。
優しく。
彫刻刀。その他を机に並べる。
「怖いか?」
「あなたの思うままに」
彼女は目を瞑った。俺への配慮かもしれない。
俺は彼女の腕をタオルで磨く。
今から。人の腕を掘る。
心拍が上昇して。手に力が入る。
お医者様の気分だ。それも大手術前の。誰か汗を拭いてくれ。
「ふーー」
深呼吸を一回。俺のペースで。俺の創りたいように。それだけだ。
黙々と掘っていく。
掘っている時は意外にも気が楽で。時間を忘れる程に没頭できる。今回は設計図なしのぶっつけ本番。いつものノートは閉じて。彼女の手に息を吹き込む。
……。
息を吹き込むと表現するが。もしかして今。俺の感情や思想、意思、無意識は彼女に流れているのだろうか。俺のこれまでの人生が。技術が。彼女の腕を伝って。
意外にも。掘っている時に考えているのは何時も作品以外の事だと気付く。
寝る時も。食べる時も。トイレの時も。考えるのは作品の事ばかりなのに。不思議だ。
もしリアルに。彼女が人として表れていたら。どんなモノを好むのだろう。ナニを苦手とするのか。ギャップは? ジョークは? 合わせるタイプ? 発するタイプ?
俺はどんな君でも愛せそうだ。顔がいいから。
将来はラベンダーの香るのどかな街に住もう。ラベンダーの香り知らないけど。
ヴィキャスは陥ると止まらない。集中力が極限まで高まった状態の彼の瞳にはもう何も映っていない。感触と感覚だけで進めていく。故に電気の付かない作業場で、暗闇だろうと作業ができる。
工房は2人だけの空間に思えて、実際は彼だけの空間だった。
作業は丸二日続いた。
休む事無く。続いた。
何度も腕が止まった。その度にヴィキャスは固まる。
彼女は目を瞑ったままだった。
そして、作業は終わりを迎えたのだ。
「終わった。もう目を開いていいぞ」
彼女はゆっくりと開く。
「どうだ。名画よりも綺麗な手に仕上げたぜ。しかも2日で。天才だろ?」
彼が得意げに口にした。
「……なんだよ。俺じゃなく、自分の完成された腕を見てみろよ」
彼が手をゆっくりと持ってくる。
以前の腕は影も形もない。滑々の肌は荒々しく。木彫りの様な。ダイヤモンドの様な。
しかし。腕の構造をよく理解した作品だった。
「なんか言えよ。それとも言葉を失ったか? それならそのまま石に戻ってくれていいぞ」
彼女はただ。静かに見つめ。
乾いた瞳に涙を溜めた。
ヴィキャスは彼女の意外な現象に戸惑う。
感動したのか。それとも酷い出来で失望したのか。
彼女が涙を流す理由。
ではなく。
涙を流す事そのものに驚いた。
「涙も出るのか……」
自然と指が彼女の瞳に近づく。
人差し指の腹で拭う。
「心。か」
2人の視線が交差する。
口に出さずとも。2人の意識はシンクロしていた。
何を言いたいのか。何が聞きたいのか。心の奥底にある衝動さえ。全て。包み隠せず。
彼女の望む事が。自分の望む事が。食い違う。
「俺は。やはり。お前を作品と認めない」