人間現象
午前6時。
作品は朝を迎えても動き続けた。
少年ヴィキャスも喉が渇き。話の腰を下ろした。
「先生に相談しよう」
自分だけではどうも収拾が着かないと判断。
信頼のおける先生に電話を掛けた。
『おはようございます。先生。早速ですが助けてください』
『いいだろう。すぐ向かうとしよう』
『聞き分けが良くて助かります』
聞き分け良すぎだ。会話の神経衰弱だろ。
とりあえず、先生が来ることになった。慌てずに待つ。それだけが自分にできる事だ。
午前10時。ヴィキャスの工房に。
先生が到着した。
聖職者の様な。司祭服。キャソックを着込み。
その上から白いエプロンを着た男。vie・etoile(38)である。
「君の口から『助けて欲しい』なんて言葉が聞けるとは夢にも思わなかった。いやぁ、初めは夢だと思い二度寝をしてしまった。が本音なのだが」
「来るのが遅すぎだろ」
「本音は語った。許せ」
先生は優雅に語った。
会話の先を読み、敢えて地雷を踏みに行く。この話し方をどうにかして欲しい。
「それで、用件は何かね。天才vie・casseともあろうお方が。一介の彫刻師にご指導をして下さるのかな? ん?」
帰ってほしくなる。
が、そうも言ってられないほどに、ヴィキャスは疲労していた。
「救いの手が欲しい。正直。俺には対処ができない程複雑なんだ」
「もちろん。君が望むなら私の腕の一本や二本。無期限に貸し出すとも」
「助かる。さっそく本題なんだが。……言葉では説明できそうに無い。まずは見てくれ。それからだ」
先生に俺の作品。動く女性像を見せた。
俺は先生の後ろに立っていたから、先生がどんな顔をしているのか分からない。
しかし、手で顎をさすりながら。冷静に観察している事は分かった。
「ヴィキャス。これはいつから動き出した?」
「俺が気付いたのは、昨日ここに来た時。今から14時間くらい前だ。それより前は知らん」
「こういった経験は前にもあったか? 隠さず話せ」
「初めてだよ。こんな経験。昔、寝床の屋根の墨が顔に見える位の事はあったが、ここまで立体的で説明できない事は初めてだ」
「動き出した後、手を加える様な事は?」
「手を加えるって加工って意味か? それならしてないぜ。ってか、触れる事もできなかった。怖くてな」
「怖い?」
「なんだよ。怖いもんは怖い。でいいだろ」
「怖い。そんな筈は無いんだが……いや。違うな。そっちか」
「で、何か掴めたか。新しい事実とか。そういうの。疑問に思ったら答えるぜ」
「ふむ……」
先生は優秀だ。それはヴィキャスが唯一先生と呼ぶにふさわしいと考える程に。
腕だけでは無く。知恵、知識と言った部分も含めて。彼はヴィキャスに足らない経験を積んでいる。自分にできなくても先生なら。そんな期待を孕んだ。逸材なのだ。
「気になる事と言えば。足だな。上半身を支えるには、いささか細すぎる。元々が作品として作り上げていたのなら、バランスが悪く、制作過程で崩れてしまう。それとも今回はそういう風に作ったのか?」
「言われて気付いた。そもそも前提が違う。俺はまだ足を掘っていない。誰かが手を加えたってことか?」
「いや。これはおそらく、お前以外誰も手を加えていない。そして加えていないが、足が生まれたという事実。……この現象を私は知っている」
「ほんとか⁉ 一体何なんだ。これは」
「あるものが人の形を得て、人の様に振る舞う現象だ。擬人化と言った方が分かりやすいが。あれはフィクション内のカテゴリー。リアルでは『人間現象』と言われたりする」
「……擬人? あの、何でもかんでも人で例える奴?」
「その認識で間違いはないが、フィクションと一緒にするな。何が起きるか分からんぞ」
先生は答えにたどり着いたらしい。一体どんな経験を積んだらこんな訳わからん現象の真相にたどり着けるのか。深く疑問が残るところである。が、知っているなら後は先生の判断に任せるべきだ。素人が口を出すものじゃないな。
「じゃ、後はよろしくお願いします」
「何を言ってる。これはお前の作品だろう。お前が対処しろ」
「……俺には手に余る」
「安心しろ。腕を貸し出すと言っただろ。補足は十分足りている。君が完成させるのだ」
「完成させるって……。どうしろって言うんだよ。俺に」
先生は振り向き。語る。身長差でヴィキャスが少し見上げる形となる。
腹立たしい悪い顔を張り付けて。語る。
「お前が知らないだけで、人間現象はありふれたものだ。この街では昔から存在する。過程を放棄するお前には馴染みの無い事とは思っていたが。いい機会だ。この体験を糧にしろ」
「おい。答えになってないぞ」
「コレは完成されることを望んでいる。お前が完成させるんだ。お前の作品だからだ。完成するまで、コレは動き続けるぞ」
コレ。とはこの動く女性像だろう。
有無を言わさぬよう。先生は言葉を付け足す。
「この意味。お前には分かるだろ」
先生は工房から去っていった。
完成させろ。それだけが対処法だと言う。胸につっかかったモノが拭えぬまま。ヴィキャスは先生の後姿を見つめる事しか出来なかった。
「ほんと。どこまで知ってんだよ」