許せなかった
優子はゆっくりと右手を上げ、はっきりと相手の顔を指さした。
失礼な行為だと承知の上で、それをする。
「ねえ宗像さん。わたしたち、顔を合わせたのは今はじめてですよね。一度も会ったこともなく、噂すらきくことも無いくらい、あなたとわたしは無縁だった。違いますか?」
唐突に何を言い出すのかと、久乃は顔を上げて訝しげに傾げた。
「そう、・・・そうです。」
「それなのに、わたしにどんな恨みがあったって言うんです?」
「は?」
「わたしの家族を、わたしの家庭をぶち壊すほどの恨みがあったんですか?わたしの子が、どんな思いで通学していたと思うんです?わたしの子が、学校であなたの子供を見る度にどんな気持ちだったと思うんですか?」
涙に濡れた瞳が見開いた。
まさか子供が知っていたとは、知らなかったのだろう。
たった15歳の子が、親の不倫相手の子供と毎日同じ教室にいると言う複雑な気持ちがわかるとでも言うのか。
だから今日の卒業式に、久乃の娘は欠席したのではないのか。
春人の顔を見るのが怖くて、学校へ来られなかったのではないのか。
「・・・で、でもっ・・・誘ったのは、克行さんの方です。わたしは悪くない!」
まだ言うのか。
まだ責任転嫁をして、言い逃れようというのか。
そんなことをしても、状況はよくならない。むしろ、悪くなる一方だというのに。
「断らなかったあなたも悪いんです。同罪ですよ。責任逃れは見苦しいです。」
「あなたが夫に喋ったせいで、わたしは離婚されそうなんですよ!」
「そんなの自業自得でしょ。あなたのせいです。」
もう一度、鈴子は相手を指差す。
「いいですか、もう一度言いますよ。わたしとあなたの間にはなんの接点もなかった。好かれも嫌われもすることも無かった。まったく無関係だった。なのにあなたはわたしに、わたしの子供たちに、酷いことをした。わたしにもわたしの子供にも、ただの一つも非はなかった。」
黒い筒に入った娘の卒業証書を手に、立ち尽くす久乃は何も言えなかった。
指差す手を下げ、一度視線を落とした優子はもう一度顔を上げて相手を見つめる。
「・・・私はあなたに何もしていないのに。それなのに、こんなひどい目に遭わされて。」
ひと呼吸入れてからもう一度言う。
「あなただけ何事もなかったように生きていくなんて、そんな自由を許せるわけがない。」
「・・・。」
「それでも自分は悪くないと言いはるのなら、あなたのご主人とお子さん達は、あなたが母として妻として自覚有る行動が出来るような接し方が出来なかったからいけなかった、というわけですね。・・・ああ、うちの夫も、勿論そうですよ。自分は悪くない、世間ではよくあることだ、そこまでされるような大袈裟なことじゃない、とそういうのなら、わたしが妻として至らなかったのかもしれません。」
「・・・ほら、あなただって悪い・・・」
「でも、私は充分すぎるほど罰を受けました。身に覚えのない罰をね。私の子供たちもね。・・・次は、あなたのご主人とお子さんの番ですよ。身に覚えのない、罰を受ける番。」
優子の言葉に、久乃はそれ以上何も言い返すことは出来なかった。
「恨むなり憎むなりするのなら、わたしではなくあなた自身、もしくはウチの主人・・・おっと、もう、元主人なんだったわ。にしてくださいね。」
「え・・・」
「もう離婚届を出しましたので。なんの恨みも無かったはずの、赤の他人の家庭をぶち壊して、離婚までさせたんですよ、あなたが。満足ですか?気分がいいですか?・・・だから、わたしはあなたを恨むし、憎みます。元夫はともかく、子供の苦しみとわたしの苦しみの分、あなたを憎みます。先にやったのはあなたの方。わたしはあなたに何もしていない。恨まれて当然なのはわたしではなくあなたです。それをお忘れなく。・・・それでは失礼します。」
桜舞い散る公園に、宗像久乃一人を残して優子はその場を立ち去った。




