サレ夫と会う
宗像浩未と言えば、宗像久乃の夫である。その男が自分に名指しで連絡をしてくるとすれば用事は一つしか無い。仕事で関わったのは、初対面の時のみだ。それも、単に社内の会議室へ案内しただけなのだから。
突然の電話だったために取り乱しそうになったが、優子は己を取り戻した。電話口を手で抑え、小さく深呼吸をする。
「どのようなご用件でしょうか?」
勤めて明るく尋ねた。余計なことは言ってはならない。ここは会社だ。
「個人的なことで大変恐縮なのですが、大滝さんに直接お会いしてご相談したい事象が発生しました。俺の方では会社をお訪ねする他に連絡手段がなくて。突然で驚かれたことでしょう。」
社長の方も堂の入った物言いだ。
とても妻の不貞に動揺しているようには思えない。まさか慣れているわけでもあるまいに。あまりにも落ち着いている。その事に、優子のほうが動揺してしまいそうだった。
「左様でございますか。では場所を変えてお話をうかがうほうがよろしいですか?」
「そうして頂けますか!助かります。早急で申し訳ないのですが、今日明日中にでもお会いしたく。」
「少々お待ちください。」
優子は一旦電話を保留にし、机の上に置いてある卓上カレンダーを確認する。スマホのスケジュールにも入力済みだが、卓上カレンダーにも予定を書いてあるのだ。忙しい日常なので、いくつもメモを取っておかないと成り立たない。
「お待たせしました。今日の夕方でしたら大丈夫です。余り遅くなれませんが。」
保留を解除して、電話口で告げると、
「6時でよろしいですか?」
すぐに声が返ってくる。その声音は第一印象と変わらない。
「かしこまりました。どちらへ向かいましょう?」
場所と時間を指定して、先方が電話を切る。客先が切ったのを確認して、優子も電話を切った。
取引会社の社長が直接会うというのだ、只事ではあるまい。
昼休みに夏樹へ電話を入れて、今夜の夕食を買ってきてもらうように頼んだ。深夜に及ぶようなことはないだろうが、夕食には間に合わないだろう。現在は夫の克行もほとんど定時あがりで帰宅しているので、とりあえず食べさせなければならない。
娘には仕事関係の人と会わなくてはならない、と告げておいた。
嘘ではない。
会う理由が、仕事でないにしても。
指定されたのは市内の繁華街に有る居酒屋チェーン店だ。大学生やサラリーマンになりたての若い人がよく集う大衆居酒屋なので、この選択にはちょっと驚いた。
仮にも社長と言われている人が、こんなラフなところで人と会おうというのだ。まあ仕事上のことではないので、外聞を気にしないと言うのなら、優子の方もこのくらいがありがたい。余計な出費をしなくて済む。
車のトランクに積んである小型のスーツケースを取り出した。鍵が二重になっている旅行用のものだが、素材も強固だし引きずって持ち歩けるため使いやすい。
夫の、不倫の証拠の書類やデータは複製も全てここに入れてある。あとは実家にコピーがおいてあるのみだ。
ひいては、これから会う男の奥さんの不貞の証拠でもある。
スーツケースの外観は、とてもそんな厳重そうには思えないほどポップな柄付きで若草色を塗装された可愛らしいものだ。中身の深刻さを考えたらさらにギャップがあった。実を言えば、娘の夏樹用に買ったものを一時的に借りている。
地味で中年の年増の女性が持つとは思えないようなその荷物を引きずって、優子は居酒屋から最寄りのコインパーキングを出た。




