被害者意識
慌てた久乃は母が実家に帰った後、削除した番号をスマホに打ち込んだ。スマホの住所録や履歴からは削除したけれど番号そのものはメモ帳に書いておいたのだ。
ところが、相手から着信拒否されていた。
わけもなく腹が立つ。
自分も一度は着信拒否していたが、相手にそれをされていると思うとむかっ腹が立った。それが自分本位で勝手な気持ちであるとは気付かない。
「こんなことにしてくれて!!なんで出ないのよ!!」
ネイルアートを貼った爪をテーブルに立てた。絵にひびが入って剥がれてしまう。
イライラしながらその爪を噛んだ。
とんでもないことになってしまった。テーブルの上の封筒を睨みつけるが、捨てるわけにも行かない。とりあえず夫が帰る前に隠さなくては。
克行の嫁という女、あれだけ言ってやったのに平気でこんな真似を。
それにしても録音してるなどと言うから慌てて切ってしまったのはまずかった。相手を調子づかせてしまったのかもしれない。
こうなったら、母に言った言い訳をそのまま流用しよう。
変な写真を撮られて脅迫を受けていた。そんな風に言って被害者として振る舞う。自分は何も悪くない。被害者ならば不可抗力だ。万が一夫に知られても泣きつけばいい。最悪の事態だけは避けられる。
大体において、不倫の一つや二つに弁護士を持ち出してくるなんておかしいだろう。なんであの男は嫁一人言いくるめることも出来ないのだ。使えない。
スマホが着信音を立てる。
30分ほど前にかけて着信拒否をくらった相手、大滝克行だ。折り返してきたのだろう。一度は電話して文句を言ってやろうと思ったが、もういい。
久乃はスマホの電源を切った。
出勤して一時間ほども経った頃、優子は己の部署の電話を取った。
「はい、第一開発部です。」
「宗像建設の林と申します。そちらに、大滝様はいらっしゃいますか?」
「・・・?はい、大滝はわたくしですが。」
取引先からの電話で、自分が名指しされることは稀だ。
優子の業務はあくまでアシスタントであり、外部との取引に置いて責任者となることも窓口の役割をすることもない。電話は取次ぐが用件内容について出来ることも言えることもないのだ。
「よかった。では、このままで少々お待ちください。電話を替わります。」
「え?はあ、わかりました。」
どういうことだろう。
確か、宗像建設の林さんと言えば総務部の人だ。取引内容の総括を行っているはずである。実務ではなく契約内容などについて細かく折衝繰り返していたはずだ。そんな人が何故自分を名指しで連絡してきてのか。しかも電話口を替わるというのは。
心当たりのない優子はいくら考えても用件がわからなかった。
電話口の、保留用のクラッシック音楽が不意に消えると、
「お電話替わりました。・・・宗像浩未です。大滝さんですね?」
低く柔らかな低音が聞こえた。
名乗ってもらってなんだが、すぐに相手が誰だが思い出させない。
だがやがて思い至った時には思わず声が上ずってしまった。
「・・・あ、こ、これはどうも。大滝です。宗像社長、でいらっしゃいますか?」
「そうです。お久しぶりです。」
たった一度顔を合わせたことがあるだけの優子のことを、まさか覚えているとは思わなかった。




