夫、父親、その自覚
優子は久乃の電話の後に、実父へ連絡した。
「夜分にごめんなさい。お父さん、ついさっき、相手から電話が来たの。通話を録音していると言ったら、途端に電話を切ってきたわ。予想通りね。」
通話先の父は、微かな笑い声を立てた。
「やっぱり連絡してきたのか。随分強気だな。よし、内容証明を送るように今夜のうちに電話しておく。克行君の方は、どうなった?」
「あれから随分とおとなしいわ。春人はどう?迷惑かけてない?」
長男の春人は、学校が休みになったからと言って、3日ほど前から母親の実家に滞在している。家にいたくないと言い続けていた彼なので、優子は彼のことを両親にお願いした。
「うちの母さんとカレー作ってる。春人は優しい子なんだな。凄く気を使ってるよ。可哀想なくらいだ。」
「・・・うん。本当はお父さんのところに厄介になる事も悪いと思ってるんだと思うの。早く新居を決めなくちゃね。」
「焦らなくていいぞ。無事に進路が決まってるんだ、慌てなくていい。俺と母さんはいつでもお前と孫たちの味方だ。ゆっくりと策を練りなさい。」
「ありがとう。」
両親にはいくら感謝をしてもし足りない。
一人娘でありながら家を出て結婚を許してもらったと言うのに、こんなことになってしまって、本当に申し訳ないと思っている。そう言って、頭を下げた時の父は、
『お前が夏樹と春人のために行動するのと同じだよ。優子が母親なのと同時に、俺と母さんはお前の親なんだ。出来るだけのことをしてやりたい。』
泣き崩れる娘を労ってそう言ってくれたのだ。
家庭を壊さなければ。子供に迷惑をかけなければ。自分だけが傷ついたことを隠し通して済むのなら。優子はどこまでも夫の不貞に目を瞑っただろう。どんなに影で泣くことになっても。
本当は、それは誰のためにもならないのだとわかっていたとしても、だ。
子供のためにいい父親ならば、浮気者でも不倫常習者でも、耐える。子供が大人になるまでは。
それが優子の、母親としての覚悟だった。責任だった。
克行にはそこまでの覚悟が果たして有るだろうか。バレなければいいとしか、考えていない浅はかな男が。
今になって父親としての自覚を、男しての価値を、問われている。それにやっと気付いた。だから、もう、彼は何も言わずおとなしいのだろう。
優子は淡々と、次へ進むだけだ。
夫の克行はすっかり大人しくなった。
協議書の内容もしっかりと吟味し、優子と頭を突き合わせて条件をすり合わせる。
「慰謝料はいくら請求するつもりなの?」
「黙って協議離婚に応じてくれるのなら慰謝料は請求しません。」
その言葉を聞いて明らかに安堵した表情の夫。
「その代わり、財産分与と二人の子供の養育費を一括で請求します。この条件を飲んで貰えないのなら、弁護士を挟みます。それでいい?」
「一括って・・・どのくらいの金額になるのかな。養育費を支払えば、夏樹と春人に会わせてくれる?」
情けない声を出して、悲しそうに尋ねる。
すっかり二人の子供に嫌われていることを自覚したので、克行も面会については下手に出るしか無いのだろう。
「面会に関しては、わたしは関知しないつもりよ。」
「えっ・・・」
「夏樹も春人ももう高校生よ。父親と会うかどうかは本人の判断に任せるわ。もうすぐ春人の携帯電話が来るし、そうしたらあなたの連絡先を登録する。そこまではわたしがやるけど、電話して会うも会わないも、あなた達次第です。夏樹の携帯にはもうあなたの携帯が登録してあるんだから問題ないわよね。」




