不知って知ってる?
「お宅様のご主人から、ご連絡を頂きまして。こちらとしては、何一つ心当たりが無かったものですから。」
夫の不貞相手が、いきなり何を言い出すのか。意味がわからない。
優子は深呼吸を一つして、出来るだけ静かな声で応じた。
「はあ、どういう意味でしょうか?」
「なんでも、お宅様はご夫婦で揉めていらしゃるそうで。」
不躾で失礼なことをズケズケと言ってくる。まるで義母のようだ。慇懃無礼とはこのことだろう。
きっと義母も若い頃はこういう女だったんだろうな、などと思ってしまった。
「それで?」
「こちらには何の関わりもないということを、奥様にお話して念押しをさせて頂きたかったのです。きっとご聡明な奥様ですから、わたしの言っている意味がおわかりですよね?」
「何をおっしゃっているのかさっぱりわかりません。それに、うちの揉め事の事情について失礼ながら他人のあなたに指図されるいわれもございませんけど。」
きっぱりと言い返すと、久乃はしばらく黙っていた。
そこに、優子は畳み掛ける。
「そもそも、なんでうちの主人があなたにうちの揉め事について連絡しているのかわかりませんが。うちの主人とどういうご関係ですか?」
「ですから、なんの関わりもないと申し上げているんですけど。」
「じゃあなんでわざわざ念押しに電話なんかしてくるんですか。意味がわかりません。」
「・・・わかりました。では、おいくら支払えば口を噤んでいただけますか。」
「何に対しての口止めですか?」
「余り調子に乗らないほうがよろしいかと思いますよ。わたしの父は」
きたな、と思った。
対峙したら必ず言ってくるだろうと思っていたのだ。
宗像久乃の名前を知った時に調べておいた。彼女の夫は社長で、父親は元代議士。かならず持ち出してくるだろうと。
「元代議士さんでいらっしゃるんですよねぇ?それはなにかの脅しですか?」
「脅しだなんて。ただ、お互いに、何事も穏便に済ませたほうが良いかと思いましたからお電話差し上げた次第です。」
言葉は丁寧だが、明らかに上から言っている。
元代議士の父親に言えばどうとでもなるんだぞ、と脅しているのだろう。
ごくん、と生唾を飲み込む。
「そうですか。ああ、いい忘れてましたが。わたしはかかってきた電話は全て録音しているんですよ。心当たりのない電話番号からでしたんで、そのくらいの自衛は当然ですよね。詐欺とかも流行ってますし。それで、一体どうやってわたしの番号を見つけたんですか?」
途端に、通話が切れる。
録音されてると聞いて、焦ったのだろう。
ふーっと大きく息を付いて、その場に膝をついた。板の間が冷たいけれど、頓着できないくらいに弛緩する。緊張が解けたから。
向こうはこちらがなんの対策も取っていないとでも思っていたのか。これから訴えようかと思っている相手のことを、何も知らないとでも。
優子は随分前から夫との会話でさえ録音するようにしているのだ。見知らぬ番号からの電話など、警戒して当然である。
案外社長夫人も甘いな、と思った。
優子は時間をかけて綿密に計画を立てていたのだ。相手を知らずして勝負を挑めるわけがない。
今日は強気に出たけれど、本当は一時期怖かった。
怖くて、父親に相談したこともあった。代議士の娘を相手に、自分はやりきれるかと。
父は、窮地に立つ娘に言った。
「面白いじゃないか。やってみなさい。ただし、下調べは入念にな。」




