対峙
電話を切ってから、大きく息をつく。
職場の昼休みを使って電話するのも、しばらくぶりの事だった。以前はあんなにも優しい声だったのに、今日の久乃の声は氷のように冷たく感じた。
”わたしは何も悪くない。”
"わたしに迷惑かけるなんて。"
彼女の言葉は刃物のように克行の胸を貫く。
確かにこうして迷惑をかけることになったのは、自分が迂闊だったせいだ。もっとうまくやってれば、妻の言うようにそれこそ墓場まで隠し通すくらいの周到さでやっていれば。こんなことにならなかったのかもしれない。バレないと思い込んでいた自分が実はスキだらけだったと言う事実は、自業自得と言う他ないだろう。
だが本当にそうなのか。
不倫は一人では成り立たない。必ず相手が必要だ。
久乃の方は家族に全くバレていないらしいので、彼女のほうが自分よりもはるかに警戒し、慎重に事を行っていた。それはわかる。
お互いに自分の家庭を壊したくて続けていた関係ではないのだから。
だから悪いのは本当に克行だけなのか。
日陰の関係だとわかっていて続けたのは久乃だって同じだ。それなのに、自分は悪くないと言われ、ひどくショックを受けた。
口先では克行も自分が悪いと言ったが、それでも久乃だって同罪だと思っていた。彼女が好きだったから、憧れの女性だったから、あえて自分が悪いとカッコつけて言っただけだ。
高嶺の花の、冷たさを知る。
やはり、自分には手の届かない女だった。
克行がもう役に立たないと知ると、自分でなんとかするつもりなのだろう、妻の連絡先を知りたがった。
だがさすがの克行もそれは最初断ったのだ。これ以上、事態をややこしくしたくない。
自分のことだけで手一杯の克行は、あんなにも憧れていた久乃と、もう関わりたくないと本気で思った。
知らない番号からスマホに電話がかかってきた。
非通知なわけではないが、優子にはこの番号に全く心当たりがなかった。なので、一度目にかかってきた時は切れるのを待った。もしかしたら間違いかもしれないので。それに、夕食時だったこともあってゆっくり話は出来ない。
夫との味気ない夕食を済ませ、夫が寝室へ引っ込んだ後に子供たちが食卓につく。この頃はそれをわかっていて、克行も早々にリビングを引き上げている。呆れるほどに逃げ腰の夫。自分から謝罪し弁解し、歩み寄ろうという気持ちも無いのだろう。
二度目にかかってきた時は、夏樹にご飯をよそっていたときだった。
「お母さん、電話出ていいよ?自分で食べるから大丈夫。」
「ありがとう。ちょっとごめんね。」
スマホを手に玄関まで行く。外に出ると子供たちも気にするので、廊下で出た。
知らない番号からなので、少し警戒していたのだ。
「大滝優子さんのお電話ですか?」
優しそうな、綺麗な声だった。アナウンサーのような歯切れのいい発音。
「どちらさまですか?」
美しい声だが自分から名乗らないことに不信を覚えたので声音を硬くする。
「・・・突然お電話を差し上げてすみません。宗像と申します。まことに勝手ながら、お話をさせて頂きたくて。」
一瞬スマホを取り落としそうになった。
「どのようなご要件でしょうか・・・。」
自分の声が震えている気がした。
今までは、相手は自分の夫だった。どんな人間か熟知しているから、何も怖くなかった。
だが、夫の不倫相手と対峙するのは、これがはじめてなのだ。




