注意喚起
着信拒否にしてある相手からの連絡に気付いて、久乃が眉をひそめる。
もう当分、というか二度と連絡はいらない。それは向こうもわかっていたはずだ。もはや個人的に会うことはないと思っていたので、驚愕の余りに引いていた口紅が少しずれる。
何か起こったのかも知れない。
あるいは、もう収まったから安心して欲しい、という連絡かもしれない。
後者だったら、電話に出る必要はないと思った。
だが、前者だったら困る。
念を押すためにも、久乃はかけなおそうと思った。自分以外に、現在は誰もいない自宅だ。夫は勿論仕事だし、子供たちは学校である。週に3日ほど家事手伝いに来てくれる実母も今日は来ない。
それでも何か怖くて思わず全部の部屋を確認してから、寝室の鏡台の前でスマホを取った。
「もしもし。」
「大滝です。連絡してごめんなさい。一言だけ、注意喚起と思って。」
「注意喚起?」
「うちは離婚になりそうです。もしかしたらそちらにも飛び火が行くかも知れない。迷惑をかけてごめん。もう二度と連絡はしないから。」
「えっ!どういうこと!?」
「最後まであなたのことは喋らなかったんだけど、全部うちの嫁は知ってたんだ。俺が全部悪いんで、出来るだけあなたのところに迷惑が行かないようにって庇ったんだけど・・・それが余計嫁を怒らせたみたいで。本当にごめん。」
「なに、それ。」
久乃の声は震えている。
「嫁の方が俺よりずっと上手だった。とっくの昔に証拠も全部つかんでいたんだ。もう俺に出来ること、多分ないから。本当にごめん。」
「ちょっと待ってよ!やめてよね、わたしに迷惑をかけるなんて!元はと言えばあなたが誘ってきたんでしょ!?わたしは何も悪くない!なんとかして奥さんを止めてよ!」
「もう、無理だ。今月中には長男も家を出るってきかないし、嫁も俺が何を言っても聞いてくれない。」
冗談じゃない。
今まで何事もなくうまくやってきたのに、突然そんな事を言われても困る。
大滝克行がどうなろうとその息子が家出をしようと、それはそっちの話。自分には関係ない。彼自身がどうにかして責任を取るべきことだ。自分を巻き込まないでもらいたい。
それなのに、嫁を止められないだって?なんて情けない男だ。
「・・・わかった。わたしが奥さんに直接話すから。奥さんの連絡先を教えて。」
優子は引っ越しを初夏頃に考えていた。
春先は引越し業者も繁忙期で高いし、物件探しも大変で、不動産屋も売り手市場だと足元を見る。だから年度内の引っ越しは無しだ。
長男の春人はインフルエンザの流行もあって早めの春休みに入り、後は卒業式だけ出席すればいい状態だ。だから、優子の実家へ引っ越す準備を進めている。一刻も早くこの家を出たいのだ。辛いが、母親として、息子の意見と気持ちを尊重したいから、両親にお願いした。もっとも、春人を実家に置いておくのは、自分が引っ越すまでの短い間だ。
しかし、長女の夏樹はまだ高校の授業が有るし、塾もあるので春人のようなわけに行かない。
「わたしは平気よ。別に卒業までお父さんとここで暮らしてもいいし。」
涼しい顔でそういう娘に、母は申し訳なく思った。
「夏樹が通学に問題ない場所を探したいと思ってるのだけど。中々・・・」
長女の通学する女子校は県内でも五本の指に入る進学校だ。両親の離婚くらいの理由で転校するなど、とても考えられない。都心寄りなので、優子の実家とはどうしても反対方向になってしまうのだ。
だが、それも優子の両親が簡単に解決してくれた。
「塾は諦めてもらって、別の塾を探したら。高校は新幹線で通学させたらいいよ。」
駅までは車で送ってやればいい、と。