妻の前職
ファイルをめくる度に、妻が怖い、とさえ思った。解説を加える冷静な声音がますます不気味だ。
何が正直に誠実に、だ。
そんなこと出来るはずがないのはわかりそうなもんじゃないか。こっちにだって立場があるし、相手のことなどそうやすやすと明かせるもんじゃない。それなのに勝手にこんなことを調べるなんて信じられない。
最初は探偵でも雇っているのかと思った。しかしそんなお金があるはずない。二人の子供の学費でさえ捻出するのが大変なのに、そんな出費が出来るわけがない。
それならやはり克行のスマホを見たのだ。メッセージの内容まで詳細に知られている。写真のこともある。どう考えてもプライバシーの侵害だ。
自分の妻がこんなことをするなんて夢にも思わなかった。こんな卑怯な真似をする女だなんて。信じていたのに。
こちらをまっすぐに見つめる優子の顔は、もう妻の顔じゃない。
敵を見る目なのだ。
「もう一度言っておくけど、わたしはあなたのスマホは見てないから。ドライブレコーダーはわたしが確認できることはあなたも知っていたはず。」
非難がましい顔をしていたのだろうか、まるで考えを読んでいたかのように優子が付け足す。
確かにドライブレコーダーのことは迂闊だった。自家用車に装備していることさえ忘れていたのだ。
「ドライブレコーダーってのは、事故の時とかに確認のために記録を残すんじゃなかったのか。なんで車内のことまで・・・。」
「設定次第で車内も車外も記録するように出来るのよ。・・・あなた取扱説明書も読んだことないでしょう。家電の取説も一切読んだことないものね。車を買う時だけはあんなにもご機嫌ではしゃいでいたのに。手入れのことは全部ディーラーとわたしまかせだったじゃない。」
克行がやっていたのはガソリンをいれるくらいのことだ。それだって、カードで入れていたのだから、支払いは家計からである。二人の子供が中学生になった頃、ミニバンのファミリーカーを乗用車に買い替えた。子供との外出がだんだん減ってきたからだ。通勤に使っている夫がほとんど使用し、今回のような遠出でなければ、優子はほとんど乗ることはない。優子は自分用に軽自動車に乗っていた。
ちゃぶ台の上に頬杖をついた妻の父親が言い添える。
「最近は取説も冊子じゃなくてウェブで、ってことも増えたけどな。」
そういう彼は、有名家電メーカー勤務だ。
優子の実家から車で10分ほどの距離に、大きな工場が有る。勤続20年を超え、職場が近い事からここに家を建てたのだ。
克行はそこまで思い出して、ふと気がついた。妻の前職のことを。
ぽかんと口を開き、何故妻が夫と不倫相手との会話を知っていたのか、写真まで持っていたのか、ようやくわかったのだ。
ネットを当たれば数あるメッセージアプリの中であれを選んだのは、見覚えがあったから。だからこれにしよう、と思ったのだった。優子が以前務めていた会社が作ったアプリだったから。
なんて迂闊なことをしていたんだろう。今となっては何もかもが後の祭りだ。




