居間と客間
義実家からの帰りの車中で、優子はちくりと釘を差した。
「明日はあなたがわたしの実家にくるのよね?わたしはちゃんと今日行ったんだから、絶対に来てもらうわよ。もしも反故にしたらただじゃ置かない。」
運転席でハンドルを握っている夫は、機嫌良さそうに、
「行くに決まってるだろ。クリスマスプレゼント用意してくれるなんてありがたい話じゃないか。きっと春人も夏樹も行くんじゃないか。」
気楽に答えている。
優子が、助手席から自家用車のバックミラーをちらりと見る。
見ているのは、ミラーの中ではない。そこに付属しているドライブレコーダーのランプが点滅しているかどうかだ。
「お前が考え直してくれてよかったよ。やっぱり頼るべきは親だよな。」
「へえ、そうなんだ。」
いつ妻が考え直すと言っただろうか。
前に渡した書類を破棄していい、と言っただけだ。相変わらずおめでたい男だと思う。思慮が浅いにもほどが有る。
新しい書類を作成して、また渡すだけだ。何度でも。最終的には、弁護士や行政書士を雇うことも検討している。
そして、もう義実家に顔を出すことはないだろう。今日は最後の挨拶だ。もう二度とあの義母の顔を見なくて済むと思えば、自然と優子の顔にも笑みが浮かぶ。
妻の顔に浮かんだ笑みをどう解釈したのか、克行は鼻歌交じりに家路を急いだ。
翌日の朝には、夏樹と春人を連れて鈴子の実家へ出かけた。車中では二人の子供は一切口をきかず、夏樹はスマホをいじってばかりで、春人は寝ている。終始機嫌のいい克行が子供たちに相手にされていないことも気にせず、妻に話しかけた。妻はそれに当たり障りない相槌を打っている。
二時間ほどのドライブの後に辿り着くと、到着に気付いた優子の両親が玄関から出てきて迎えてくれる。
「いらっしゃい。元気だった?まあ、上がって上がって。」
「遠いところを来てもらって悪かったね。」
祖父母の顔を見ると、車中ではむっつりしていた二人の子供は途端に和やかになり、祖母の後を追いかけて実家へ上がり込んだ。
「おばあちゃん、こないだの模試、あたし偏差値また上がったんだ。」
「凄いわねぇ夏樹。よし、お昼は奮発しちゃおうか。」
「俺、焼き肉がいいな。買ってきて焼くのでも、食べに行くのでもいい。」
「食べざかりの春人を食べさせるなら、買ってくるほうが良さそうね。じゃあ、買い物に出ましょうか。お留守番お願いしてもいいかしら?」
自分とは全くと言っていいほど会話をしない娘と息子が、楽しそうに祖母と話しているのを見て、克行は少し拍子抜けした。反抗期の子供が、妻の実家で失礼な態度をとったらどうしようかと思っていたのだ。
姉弟も祖母と一緒に買い物に行くといい出したので、祖父と優子と克行が留守番することになった。
「こんにちは。ご無沙汰しております。お義父さん。」
「よく来たね克行君。」
克行にとって義父にあたる優子の父親はとても親しみやすい。自分の父親より一回りは若いのだ。
愛想よく挨拶をする夫を伴って、勝手知ったる自分の実家へ上がり込む優子が、リビングを通り過ぎて和室へと通る。
それを見て、克行は頭を傾げた。いつも妻の実家にくれば、広いリビングで歓待してくれるのが常だからだ。10年ほど前にリフォームした義実家のリビングは広く、孫たちは幼い頃にここで遊ばせてもらっていた。食事を取るのも話をするのもいつもここだった。
リビングの向こうにある和室はやや狭く、それでも八畳ほどである。入れば部屋は暖められ、木目のちゃぶ台に座布団が用意されていた。
「まあ、座りなさい。話をしようじゃないか。」
上座に腰を下ろした舅が、そう言って婿の顔を見た瞬間、克行は凍りついた。
「昨夜うちの娘から聞いたのだが、君はどうしても協議離婚に応じないそうだね?」




