同居だと?
夏樹と春人の夕食を用意して温めて食べるだけにしておく。夏樹は塾の前に、春人は自分の食べたいタイミングで食べるだろう。塾の帰りは迎えに行くと伝えた。その時間までには、義実家を辞するつもりだ。
義実家は義父が50年近く前に建てた家である。昭和の佇まい懐かしい、古風な二階建てだ。もっとも住んでいるのは老夫婦二人だけなので、今となっては無駄にスペースが広いだけだ。掃除も行き届いていないのか、客間と夫婦の生活スペース以外の部屋は手入れがされていない。例えば、二階の部屋はまるで物置だ。
六畳もあるとは思えない狭い客間へ通され、優子は手土産のクッキーをそっとちゃぶ台に置いた。
「つまらないものですが」
「そんな、気を使わなくていいんだよ。」
義父が穏やかに言ってそれを下げ、キッチンへ持っていった。義母とともに客間へ戻ってくるときには、急須と人数分のお茶碗がその手にある。
年齢の割には化粧の濃い義母の、香水の匂いが鼻につく。
優子は基本的にベースメイクしかしないので、女子力の高い義母の姿を見て凄いなぁといつも思う。客がいるから気合を入れているのか、あるいはいつものことなのか、それは知りようがないけれど。
「それで、優子さんが何か揉めてるらしいって克行から聞いてるのですけど。」
「はあ」
気のない返事をすると、克行が口を開いた。
「優子は何か誤解しているんだ。俺が浮気してるとかなんとか言いがかり付けて、離婚だの何だのって騒いでるんだよ。まだ夏樹も春人も学生なのに、離婚とか現実的じゃないのに、おかしいだろ。」
「優子さん、そうなの?なんでそんなことしてるの?いつまでも下らない意地を張ってないで仲直りしたら?」
常に上から目線の義母の口調は、いつ聞いても胃の奥あたりがぐらぐらとする。
「別に喧嘩をしているつもりはありません。わたしは克行さんに書類の記入と捺印をお願いしているだけですが。」
「その書類が離婚届とか離婚協議書とかなんだぜ。おかしいだろ!離婚なんかするつもりもないのに。」
「なんでそんな大げさな事になってるの。どうせちょっと寝言で他の女性の名前がでたとかそんなことなんでしょ、原因は。そのくらい許してやんなさいよ。随分と狭量なのねぇ優子さんは。これだから女のくせに大学なんか出てるから理屈っぽくて。」
また始まった。
優子は誰にもわからないように小さな息を吐く。
義母は何かと言うと優子の学歴をあげつらう。女が大学を出ていて何が悪いというのだ。今どき女子が大学へ行くのなんて当たり前のことだ。
「そうですか。お騒がせして申し訳ありません。おっしゃることはよくわかりました。では、寝言のことは何も気にしないでいいと。」
寝言の話など一度だってしていない。夫はそんなふうにでっち上げて義母に伝えていたのだ。嘘もいいところだ。だが、面倒くさいので、ここではそれに触れないでおく。
「そうそう。いちいち目くじら立てないでね。」
息子が可愛い義母は、いつだって夫の味方に決まっている。
「本当にわかったのか、優子。」
念を押すように克行が言う。
「ええ。お義母さまのおっしゃったことはよくわかったわ。」
「じゃあ、わけのわからない書類の事もなかったことにするんだな?」
「あなたに渡した書類はもう破棄してくれて結構よ。」
その言葉を聞いて、克行が安堵したようにため息をついた。
柔和な顔で義父が笑う。
「よかったな。まあ、夫婦喧嘩なんか長く一緒に入ればよくあることだから。」
「じゃあ、娘の迎えが有るので今日はもう失礼します。」
義母も嫁をやり込めたと思ったのだろう、嬉しそうに頷く。
「これからも仲良くやってね。いずれは同居して面倒を見てもらうことになるんだから、いちいち細かいことで喧嘩しないのよ。」
聞き捨てならない台詞をどさくさ紛れに言われ、一瞬だけ優子は目を剥いた。
「そうだよな。」
当たり前のように賛同する夫の方を、未確認物体でも見るかのような目で見てしまう。
同居の話なんか聞いていない。一度だって話が出たこともない。
「失礼します。」
それでも、優子は玄関でにこやかに笑ってそう言った。深々と頭を下げる。
どうせもうすぐ縁が切れる義両親と同居など、有り得る話ではないのだ。




