見える潮時
昼食を食べている時間にスマホが鳴った。
表示された番号を見て、首を傾げる。誰だろうと怪しみながらも通話ボタンを押した。
「もしもし、久乃さん?ちょっと緊急で話したくて」
他には誰もいない広いリビングを無意識に見回し、思わず片手で口元を隠した。
「・・・直接電話はしないでって言ったのに。」
小声でひそひそと応じる。
「ごめん。だけど、なんか女房が勘付いたらしくて。離婚とか慰謝料とか怖いこと言い出したんだ。絶対バレるようなことは無いはずなんだけど。」
久乃の顔色が変わる。
元々白い肌が、紙のように白くなった。
「もしかして携帯電話、覗かれた?」
「いや、女房は見てないって言っているし、俺も肌身離さず持ってるし、まず有り得ないと思うんだ。なのに、全部知ってるみたいなこと言って脅してくる。相手の女性の名前や住所を教えろって何度も」
「絶対に駄目。見られてないのなら証拠は無いんでしょ。否定し続けて。認めなければなんとでも言い抜けられるから。しばらくは連絡を取り合うのもやめましょう。メッセージも全部削除したし、ずっと連絡を取らないでいればそのうち奥さんの気持ちも収まるわ。」
「証拠・・・」
「え、なんか証拠を持ってるの?」
「その・・・写真、何故か知られてた。一緒にいるところの写真を。」
「まさか、あの時の写真!?」
「うん・・・。」
頭痛がしてきた気がして、片手で頭を抱える。入念にセットされていた髪型が乱れた。
「・・・とにかく絶対に認めないでね。写真はどうにかして削除してもらうか、あなたが探して消して。奥様の機嫌を取ってあげて。これからわたしはあなたの連絡先も名前も全部消すから。あなたもそうして。それじゃあね。」
相手の返答も聞かずに通話を切ってしまう。そのまま、着信拒否を設定する。
夜までには、彼に関するあらゆる痕跡をスマホの中から消してしまおう。
面倒なことになってしまった。
克行とは、再会してすぐにつきあうようになった。初恋を美化しているのか、久乃の言うことをよく聞いて、彼女を女神のように崇め奉ってくれるから、凄く便利で気持ちのいい相手だったのだ。
不倫は、相手の配偶者にバレた時、絶対に認めない事が大事だ。ちょっとでも認めれば鬼の首を取ったかのように責めてくるだろう。
まあ、しばらくの間なりを潜めていればいい。配偶者の方だって好き好んで事を荒立てたいわけがない。むしろ、他人には知られたくないはずだ。たとえバレたとしても、飛び火がこっちに来なければいいだけの話。当人同士で解決してもらう。
食べていた昼食の皿を下げようと立ち上がった。まだ途中だったのに、すっかり食欲を失ってしまった。
克行に対して妻が彼の不倫相手の名前や住所を執拗に聞いてきたということは、そこまでは知られていないということだ。ならば、久乃はじっと大人しく影に身を潜めていればいい。下手なことをしてボロが出るより、黙って嵐が去るのを待てばいい。
写真が知られているとしても、それがどこの誰かわからなければどうしようもないのだから。まさか世の中の同年代女性の全てと面通しするわけにもいくまい。
それにしても、随分と迂闊な男だ。あっさり知られてしまうなんて。離婚する気はないしこのままの関係をうまく続けたいなどと、調子のいいことを言っていたくせに。詰めが甘すぎる。
もう、かれこれ三年近く関係を続けている。そろそろ潮時だったのかもしれない。半年くらい大人しくしていれば、また向こうから接触してくるかも知れないが、もう次は無くていいだろう。
次はもっと若い男もいいかな、などと思いながら。
久乃は食べ残した昼食の残りを残飯入れに捨てた。




