愚かな行為
まな板の上にきゅうりを並べる。しっかりと洗って軽くこすると包丁でぶつ切りだ。軽く塩を振るだけの手抜きサラダ。これにミニトマトを添えておしまい。
作業の手を止めずに、優子は淡々と答える。
「・・・わたしは書類を記入し捺印してくれって頼んだわよね?早く帰ってきてくれって頼みましたか?土日は家にいてくれってお願いしましたか?」
「・・・それは」
「帰宅を早めればわたしが怒りを鎮めるんじゃないかって、あなたが勝手に考えただけよね?土日も家にいるようにすればきっと許してくれるんじゃないかって、あなたが勝手に思っただけでしょう?わたしがいつそうしてくれって言った?」
「そりゃ、言ってないけど・・・そういうことなんだろ。俺が家にいないからあんなこと言い出して俺を困らせようとしてるんだろ。」
「勘違いも甚だしいわ。」
克行は頭を抱えた。
なんて厳しい。こんなにも妻は厳しい女だったのか。いつも優しくて穏やかな女性だと思っていたのに。克行が優子のためにすることにはなんだって喜んでくれていたのに。
「・・・頼むよ、優子。どうすりゃいいんだ。慰謝料だの調停だの馬鹿げたこと言うのはやめてくれ。心臓に悪いんだ。確かに家庭サービスをおろそかにしたのは、悪かったよ。でも、俺だって仕事があったんだから仕方ないだろ。勘弁してくれよ。」
「家庭サービス??は?昭和のオッサン?あなたにとって家族はサービスする相手なんだ??無料奉仕しなきゃいけないもんなのね。」
「いや、だから、それは言葉のあやで」
「あなたが家庭サービス以上に大切にするお相手はなんて方?お住まいはどちらなの?年齢はおいくつかしら?」
「だから!そんなのいないって!!」
やっと優子は手を止めて、大きく息をついた。
睨みつけるように、ダイニングテーブル脇に立つ夫を見る。
「なんて言われてもとぼけるようにアドバイスされたのかな?否定し続ければどうにかなるとか?狡猾ですこと。・・・ふふ、そして、あなたはおめでたいね。まんまと言いなりになっているのね。」
暗に相手を非難する妻の言葉に、克行が怒りの声を上げる。
「そんなんじゃないっ!そんな人じゃないんだ!」
むきになって優子の言葉を否定した。
怒りを超え呆れを超え、もはや笑いさえ出てくる。いないと言ったそばからこれである。
夫は余りにも滑稽だ。やることなすこと全て裏目に出ていることがわからないらしい。
許してほしいのなら、黙って妻の言うとおりにすべきだ。それが、罪を犯した人間が、許しを乞う相手に対する唯一の手段である。それが相手に誠実である証明と成る。何を聞かれても素直に正直に白状すべきだし、相手が望むことを誠心誠意やるべきだ。他に出来ることなどない。相手の意志を無視してご機嫌を取ろうとするなんて怒りを助長するだけだ。今更帰宅時間を早めようが、自宅の滞在時間を延ばそうが遅すぎて意味が無い。
ましてや不倫相手をかばうなど、もっての他である。
克行にはわからないのだ。それがどんなに優子を傷つけているか。家族をないがしろにしている行為であることか。
どこまでも愚かだった。
そして、優子はまた自嘲する。
そんな馬鹿な男が自分の夫である。その事実だけでも自己肯定感が目減りする気がした。そんな男が父親だと思わねばならない子供たちは、どれだけ辛いことだろう。
ドアが開く音が聞こえ足音が近づく。春人が部屋を出てきて、リビングへ顔を出した。リビングに繋がるダイニングに父親がいると気付いた途端、
「・・・っち」
小さく舌打ちをして、すぐに引き返していった。
なんという態度だろう。怒りで克行の表情がにわかに険しくなる。
「春人っ・・・」
「何を言っても無駄よ。一緒に暮らしたくないって言う程毛嫌いしてるって教えたでしょ。あなたが悪いのよ。」
はっきりと言われ、克行は顔色を失った。




