その勝手を許せない
何も言えなくなった夫を、優子は本当に悲しそうに見つめた。
愚かな男。その場だけ凌げればいいと、安易に考えて今までいい加減なことを口にしてきた。そのことがどれほど後になって響いてくるかなど、考えもせずに。
けれども、これが自分の夫なのだ。
この人を選んだ当時の自分は、若気の至りとは言えないほどの大きな間違いを犯してしまった。
「春人の進路が決まったら引っ越しも考えてるの。その頃までには、協議書もちゃんと完成させたいわね。夏樹と春人の将来にも関わることだから、きちんと決めましょう。とりあえず、一週間、その書類あなたに預けるわ。相手の方と別れるなり話すなりして、そちらはそちらで対応を決めてちょうだいね。」
「わっ・・・!別れたら、離婚は考え直してくれるんだろうな!?」
活路を見出したと言わんばかりに勢い込んで、克行が怒鳴った。
「さあて、どうなるかしらね。」
「そんな・・・。そうだ!こんなの、子供たちになんて言えば・・・。」
「知ってるわよ。」
「えっ」
この上、まだ驚くことがあったのか。
まさか子供たちが知っているなんて。
「子供に知られるなんて、大人としても父親としても男としても、本当に最低だと思う。言ったでしょ、完璧に隠し通してくれれば、わたしは見逃してあげてもよかった。それなのに、迂闊過ぎるでしょう。」
「お前が二人に言ったんじゃないのか?」
「逆よ。子供たちがわたしに教えたのよ。・・・まあ、わたしはうすうす知っていたんだけど。わたしも完璧な妻ではないし、あなたばかりを責められない、と思ってた。だから、絶対にバレないようにしてくれれば、知らないフリしていたのに。」
散らばった書類をもう一度集め、きちんと揃えて夫にそっと手渡した。克行は押し付けられるままに、両手でそれを受け取る。
「よろしくね。」
妻の声に、夫は力なくうなだれるしか無かった。
子供たちが帰宅する前に買い物に出かけないと、夏樹の送迎に間に合わない。
夫をリビングに残して、優子は家を出た。
夕食のメニューを考えながら、ふと思う。
今日は一気に話してしまった。夫はさぞかし驚いたことだろう。衝撃と狼狽の余り、食事が喉を通るだろうか。
そこに同情するつもりはない。優子だって何度となくそういう思いを味わってきた。
夫が不貞していたことも辛いし、嘘を付いて騙していたことも辛い。
でも何よりも、子供たちを傷つけてしまったことが辛かった。
自分のことはいい。どんなに傷ついても、悔しくても、なんとでも自分で気持ちに折り合いを付けて、どうとでもする。それが大人というものだ。
夏樹も春人も、傷ついている。特に春人は家を出たいと言ってきかない。父親と一緒に暮らしているという事実が嫌で嫌でしょうがないのだと言っている。
夏樹のほうはもう少しだけ大人だった。父親だと思わなければいいのだ、と割り切ったことを言う。いわゆるATMだと思えばいいと。
ここまで傷つけられたしまった二人の傷は大きい。すぐに癒せるものではない。それが本当に辛くて苦しいことだった。
優子一人が我慢してどうにかなる事態ではなくなってしまった。
家族は、家庭は、壊れてしまったのだ。
夫の不倫という事実によって。
到底許せることではない。夫もその相手も、許すつもりはない。
自分勝手なことをした大人を野放しになど出来ない。彼らの自由を許すわけにはいかない。
夏樹と春人に一生消えない傷を付けたことを、絶対に許すわけには行かなかった。これを許したら、今度は自分が自分を許せなくなるから。




