社畜夫
二学期が始まってすぐのことだった。
中間テストもまだ始まらない。体育大会や文化祭などの秋行事が目白押しになる時期である。
仕事から戻ってきた優子は、それを待ち構えていた息子に捕まった。
「あらおかえりなさい。どうしたの、そんな顔して。」
「母さん、俺、推薦貰えるって。例の、高専。」
「やったじゃない。どうやって説得したの。凄いわ。」
春人の喜ばしい報告に、優子も表情をほころばせる。
「へへ。成績はギリだけど。二年生の途中からかなりがんばったからなんとかなるってさ。」
興奮の面持ちで鼻息も荒く述べる長男は、そこが玄関であることに初めて気がついたように床に散らばる靴を数えた。
「親父、帰ってないよな、まさか。」
「急病でもない限り、帰る時間とは思えないけど・・・、うん、靴はないわね。」
かがんで靴を丁寧に並べながら、確認した。自分も靴を脱いで並べ、長男を押しながら廊下へ上がる。いつまでもここで話しているわけにもいかない。
「あとで姉貴にも報告すっけど。推薦が貰えれば、ほぼ合格確実らしいんだ。試験は名前さえ書き間違えなければいいって程度で。」
「それって入試の意味あるのかしらねぇ・・・。でも、気を緩めちゃ駄目よ?在学中の成績は進学先にも報告されるんだからね。」
「わかってるよ。今日の夕メシ何?」
「うーん・・・冷凍庫の中身を見て考える。」
すっかり大きくなった息子の背中を軽く叩いて、ダイニングへ移動する。
塾から帰ってきた夏樹は、弟の知らせを聞いてとても喜んだ。
「やったわね、春人!まあ、それも色々教えてあげているあたしのお陰もあるかしらねぇ〜。でもよかった、本当によかったわ。これで安心だね母さん。」
「ええそうね。夏樹には、苦労をかけてしまうけど。」
母親として、娘を気遣う言葉がでるけれど、本人はけろりとしている。
「そんなことないよ。全然平気。」
二人の子供の笑顔が、優子にとっては何よりの救いだった。
会う約束をキャンセルされたのは三回目だ。
はじめの頃は、ほとんどそんなことはなかったのに。
やりとりの履歴を抹消してからスマホの電源を落とす。その辺りは抜かり無い。夫以外の男とやり取りしてた証拠などあってはならないからだ。
出かける時もぬかりなく裏付けをしている。久乃には幼馴染の従姉妹がいて幼い頃からの付き合いであり、親友だ。夫も知っている。何度も会わせたことが有るし、身体が弱いので、よく久乃に頼ってくるのもいつもの事だった。
だから外出の時はいつも彼女ところへ行くことにしている。
口裏合わせも完璧だ。
「ママー、そろそろお腹空いたんだけど。」
寝室をノックする娘の声がする。
はっとして顔を上げた。
「今行くわね。」
そういって、腰を下ろしていたキングサイズのベッドから立ち上がる。
勿論、長女の同級生の父兄の一人とそんな関係に陥ってることなど、誰にも知られてはならない。
大丈夫。
彼と会う時は費用の一切も自分は支払わないし、基本的にはいつも自家用車での移動にしてもらっているから人目にもつかない。外を歩いたのは、本当に一度か二度。その時はさすがに気が気ではなかったけれど、おそらくは誰にも見られてなかったはず。久乃の身の回りには一切の証拠はないはずなのだ。万が一見られていたとしても、どうとでもいいわけは立つ。
寝室を出てダイニングへ向かうと、息子と娘が待っていた。
大きなテーブルの上にパソコンを出して、二人で動画を眺めている。
「二人共お待たせ。お腹が空いたの?もう待てそうにない?」
椅子にかけてあるエプロンに視線をやりつつ、それに手を伸ばすこともない。
「ママ、外行く?」
まだ学校のジャージを来ている娘に、
「ちゃんとあなたが私服に着替えてきたら、外食にしてあげてもいいわよ?」
と言うと、娘は両手を上げた。
「やったぁぁ!着替える着替えるぅ。」
高校生になった長男が、怪訝そうに肩をすくめる。
「・・・この頃、外食増えたよな。いいの?ママ。」
「どうせあの人は夕食に間に合う時間に帰ってこないんだから、いいわよ。行きましょ。」
団塊の世代みたいな猛烈社員ばりの社畜夫は、夕食時間に間に合うように帰宅することが殆ど無い。
あとで、食べるものを用意しておいておけばいいのだ。
外出前に化粧を直そうと、久乃はもう一度寝室へ戻った。




