7
石の背後の立つ男達が、人とは思えない不気味な動きを繰り返している。そして、時折男達は擦り寄るように石に絡み付く。
ロイは呆然として座り込んだまま、その様子を眺めていた。
「人一人吸収した石は、急激な進化…いや、変異を遂げ、研究室を吹き飛ばした。その爆発で、妻と共にいた息子もそのまま行方知れず。まああの爆発で幼い子供が生きている筈はないがね」
「それが…崩落事故の原因、なのか…?」
「ああ」
石に絡み付く男達は、皆うっとりとした眼差しで石を見つめ、各々抱きしめたり、唇を落としたりしている。その様子は、まるで…
「虫の求愛のよう、だろう?」
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「変異した石は『女王』となってこの領に君臨した。表面からフェロモンのような物質を揮発、拡散させ、この領内に充満させた。そしてそれを吸った男の何割かは幻惑され…この『女王』がその人物に取って『最も愛しい女性』の姿に見えるようになるのだよ」
「幻惑された男を、私は『傭兵』と呼んでいる。この傭兵達は『女王』の敵…女王以外に繁殖する女性を本能的に強制排除するようになる。それが身内だろうがお構いなく、目に入った女を手当たり次第攻撃対象とする。当人は最も愛する女性を外敵から守った英雄とでも認識するのだろうさ」
サリノ伯はロイに近付き、顎を掴んで上を向かせる。そして出会ったその日にされたことと同じように顔を近付けた。ロイは顔をしかめたが、抵抗はしなかった。
「幻惑されると、僅かに虹彩が赤みを帯びる。君の目は此処に来た初日から赤くなっていたのに…アレがただの石に見えるとは。女に執着も感情もない…諜報員として良い育てられ方をしてるな」
「…私は…貴方の甥だ」
「舐めるなよ、若造」
サリノ伯が乱暴にロイの顔を掴んだ手を振り払った。ロイはそのまま床に転がる。
「この傭兵達は普段は普通の人間と変わらんが、一旦視界に入った女を排除、殲滅させるまで驚異的な生命力を発揮する。銃弾を何発撃ち込もうが、首を刎ねようが、女の命を全て刈り終わるまで止まらない。まあ勿論、そこまで攻撃を受ければその後傭兵自身も死ぬがね。
この特性に皇帝が目を付けた。これを更に進化させて、男女問わず指定した目標を殲滅するまで戦う人間兵器を作れ、とね。その研究成果を見る為、こうして定期的に運ばれて来る実験体に女のフリをさせた男を混ぜてはいるが…今の所失敗続きだ。外で女に見えるように処置を施して持ち込んでも、彼らは的確に見分けてしまう」
「…吐き気がする」
「支配者なんてどこも似たり寄ったりだろう!君の敬愛する女王陛下だってなかなかのモノじゃないのか?」
「………」
「反論もしない忠誠度。悪くないな。実に惜しい」
サリノ伯が指を鳴らすと、石に絡み付いていた男達がフラフラとロイと地下牢にいた男に近寄って来る。そして数人で引きずるようにして石の前に連れて行く。
「幻惑の効果は、今の段階では効果もまちまちだ。すぐ傭兵化する者もいれば、何年経っても変化しない者も居る。その中で特に効果を発揮し傭兵化した者を効率的に見つけるため、この領の至る所に人工的に作った女王の子供達を入れた箱を設置した。適性者は子供達の帰巣本能に共鳴して、箱を持って女王の楽園へやって来る。それを積み重ねることで更に高い適性を得て、やがて触れることを許され、次の段階へ進むことが出来る」
「…ひっ!や、やめ…!」
サリノ伯の指示で、地下牢にいた男が男達の手によって力づくで額を石に押し当てられる。しばらく暴れていたが、そのうち力が抜けてぐったりしたのを見計らって男達が手を離した。
「こうして『女王』に直接触れれば、『傭兵』から『伴侶』に変化する」
地下牢にいた男が再び意識を取り戻して起き上がると、他の男達と同じように陶酔した表情で石に擦り寄った。
「『伴侶』とは、直接触れることで体内に破片を植え付けられた人間をそう呼んでいる。破片…いや『卵』と言った方が分かりやすいかな?『卵』は人間の養分を吸って成長し、数ヶ月から1年程で孵化するのだよ。ここまで来ると、鉱物と言うよりももはや虫の生態に近い進化だ」
サリノ伯は、上着のポケットから複数の赤黒い石を取り出した。親指の爪大の石で、大きさも形も不揃いだった。
「その石はまさか…」
「そう。伴侶から孵った女王の子供達だよ。残念ながらこれらは大した力も価値もないただの屑石だ。僅かな幻惑の力しかなく、繁殖力もない。それでも傭兵を呼び寄せる為の餌にはなるし、価値のない屑鉄を金の延べ棒に見せかけるくらいの役に立つがね。『女王』に強く心酔した傭兵から伴侶に進化した者より孵る子供達ほど質が良いのはこれまでの研究で分かっている。だが繁殖力を持った『女王』が誕生するにはまだ条件が満たされていないようだ。まあ幾らでもこの地には男共が押し寄せる。皇帝も協力的だ。実験には苦労しない」
サリノ伯は手の中の石をバラバラと足元に落とした。その目には何の感情も宿っておらず、空洞のようだった。
「君のように『女王』本来の姿しか見えない者もなかなか珍しいからね。いいデータが取れることを期待しているよ」
「あんたは。あんたもそうじゃないのか」
「残念ながら私は他の男と変わらない。『女王』はちゃんと妻に見えているよ」
「だがねえ。すぐに偽者だと分かってしまうんだよ。良くは出来ているんだがね。
そう、妻は美しいオパールの瞳を持っていた。白く半透明な水晶体に、内包する水分が太陽の光を反射させて煌めく…まさに生きた宝玉。私の、私だけの愛しい宝石。
こいつは妻の外殻だけは良く似せてあるが、瞳は屑石だ。ただの紛い物。B級品に過ぎない。こんな粗末なモノを見せるくらいなら、本来の石の姿を見せてくれた方がまだマシなものを」
サリノ伯がロイを見て、男達に指示を出す。男達は今度はロイを石に向かって引きずって行く。数人の男の力に敵う筈もないが、ロイはそれでも身を捩って抵抗を試みた。
「…!ま、待て!」
それまで薄笑いを浮かべて様子を見ていたサリノ伯が、急に顔色を変えて制止の声を上げた。
その声で男達が一瞬動きを止めたが、抵抗していたロイとの力のバランスが崩れて、ロイは自ら頭を叩き付けるように石に激突した。
「ああ…!」
何が起きたのか急に態度を翻し血相を変えて駆け寄って来たサリノ伯が、倒れたロイを抱え起こした。固い石に叩き付けられた衝撃で、ロイは額から血を流している。
「何ということだ!よりにもよって頭だと…!ああ…腕や足なら即切り落とせば間に合ったものを…ああ…」
(そうか…『卵』とやらを植え付けられたのか…)
破片を植え付けられた影響なのか、脳震盪でも起こしているのか、ロイはぼんやりとする意識の中でサリノ伯の叫びを聞いていた。
「私はまた失うというのか…!シディ…私の美しい宝玉…」
「シ、ディ…?」
抵抗した時に胸元から零れたのか、指輪のついた鎖がシャツの上で揺れていた。
「この指輪は…この石は私が妻と息子に贈った物だ!シディ…生きていたのか…何故、こんなことに…!」
「俺は…孤児で…家族、は、ない。ただ…拾っただけ、だろう」
「この石は妻の髄液から作製した特別な石だ!妻の血を引く者以外が持つと醜く濁る。この色になるのは妻と息子…シディだけ…」
ロイの胸で青色に輝く石と、「女王」の中心で手を模した彫刻の指の部分で光る青色の石。紛れもなく同じ輝きを有していた。
「ああ…シディ…あれほど美しかった黒曜石の瞳が…醜い幻惑の赤が入ってしまった…こんな…こんなことに…ああ…」
サリノ伯は呻きながら狂ったように頭を掻きむしる。まだぼんやりとしているロイは、その様子を呆然と見ていた。
「この…この醜い下級品があああぁぁぁっ!」
サリノ伯が、傍にあった椅子を掴んで「女王」に殴り掛かった。
二度、三度と振り下ろす度、椅子の破片が飛び散り、そして石にも亀裂が入る。何度目かの衝撃を加えようとした時、遅れて女王の危機を感じたのか傭兵、あるいは伴侶となった男達が止めに入る。だが、石の亀裂はいよいよ大きくなり、中心から裂けるように真っ二つに割れた。
そして、その裂けた場所から虫の翅に似た薄い透明な石が重なるように伸びた。それはまるで御伽噺に出て来る、浄土というこの世ではない場所で咲く高貴な花のようにも見えた。
一瞬、その石の花は生き物のようにふるり、と震えると、辺りの空気が急激な熱を帯びて陽炎が立ちのぼった。
次の瞬間、まるで爆発するような勢いで石から炎が立ち上がり、ロイは爆風に吹き飛ばされて転がりそのまま意識を失った。
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領主の屋敷から火柱が上がったのは、深夜を回って少し過ぎた刻限だった。
その炎は一瞬で空高くまで燃え上がり、鉱山の岩肌を赤く染めた。風に炎が揺れる度、無数の光る火の粉が夜空に巻き上げられて消えて行った。
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「う…」
ロイが意識を取り戻すと、屋敷の庭にいた。誰かに背負われて、屋敷から遠ざかっている。
「もう歩ける。すまない、助けてくれ、て…?」
声を掛けて背中から降りると、助けてくれたらしい人物が振り向いた。
「…ドナ?」
あの「女王」の前で「伴侶」にされていた男達の中にいたドナが、ロイの前に佇んでいた。
「あんた…無事、なのか?あの石には触れてない、のか…?」
「いや…俺もあの石の『卵』とやらが産みつけられてる。全く…普通の人間よりは毒や拷問に耐性があるつもりだったが…ざまあねえな。意志を保てるのはほんの僅かだ。むしろ、ずっと夢を見てた方が楽かもな」
ドナは皮肉気な顔で笑い、ポケットの中からくしゃくしゃになったメモを取り出し、ロイに手渡した。
「これは…!」
「約束してた情報だ。渡せて良かった」
不意に、ドナの体がふわりと揺れた。次の瞬間、その顔からは表情が抜け落ち、燃えている屋敷に向かって足を向けた。
ロイは咄嗟にドナを腕を掴んで止めた。
「歌が…聞こえる。歌姫の、女神の歌声が…」
ドナはやんわりとロイの腕を外すと、恍惚とした微笑みを浮かべた。
「あの子守唄を聞きながら眠れる。最高の夜だ」
ロイはそれ以上動くことが出来ず、ただ燃える屋敷の中に歩みを止めることなく消えて行くドナの後ろ姿を見送るしかなかった。
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領主の屋敷は一晩中燃え続け、全てを燃やし尽くして明け方に鎮火した。深夜だったこともあり屋敷にいた人間は逃げ遅れ、領主サリノ伯を含め邸内にいた全員の死亡が確認されたのは、翌日の夕方のことだった。