5
深夜、ソワソワした様子でドナが箱を運ぶ列に並んでいる。
温室の入口には屋敷の使用人が箱を確認していて、どういった基準なのか不明ながらも列を選別していた。
ドナが割り振られた列は、箱を持って立ち去るように指示された。そこから中の様子を伺うことは出来るが、それ以上奥に行くことはことは許されない。別の列に振り分けられた者は、夢見心地でフラフラと温室の奥に入って行った。
(…クソッ!今夜も駄目か)
ドナは、もう何度も深夜に箱を持っては温室に続く列に並んでいた。
並ぶ列には過去に温室の奥に入った男達の姿はなく、同じように箱を持ち帰るように指示された者か、新顔の男達がドナの後ろに続く。時折、ドナより後から来た筈の男が温室へ案内されることもあった。どういった基準で選別されているのは分からないまま、ドナは何度も並び続けた。
列を選別している使用人は一人であったし、内部に護衛らしき者は見当たらない。強引に突破することも考えたが、騒ぎを起こして温室にいる「彼女」に万一のことがあってはならないと思い、ただ指示に従う日々だった。
もう、どれくらいの回数を並び続けただろうか。
ドナは、自分の思考力がだんだんと鈍くなって行くのを感じていた。だが、それをおかしいと思うよりも、温室の奥に居る「彼女」を求める想いの方が勝っていた。これ以上この箱を持ってここに来ては行けない、と心のどこかで警鐘が鳴っていたが、それを越える渇望が思考を支配していたのだ。
持っている箱は全ての面が固定されていて、中を見ることは出来ない。強引に見ようとすれば箱自体が壊れてしまうだろう。試しに振ってみたこともあったが、何か小さな物が入っているのかカラカラと乾いた音がしていた。
しかし、何故か日々箱が重くなって行くような気がする。そろそろ持ち歩くのが辛くなって来たが、それを止めるという選択肢はドナの中からとっくに消えていた。
「ようこそ、『楽園』へ」
ついにドナが選ばれ、温室の奥に続く列へと導かれる。ドナはうっとりとした表情で温室へ入って行き、目的のモノと対面する。
「ああ…俺の女神…!」
ドナを含む男達が箱を捧げ跪く先には、赤黒い石の塊があった。そして男達は次々と恭しくその石に触れ、思い思いの愛を捧げていた。涙を流し縋る者。口づけを落とす者。有名な愛の詩を諳んじる者。
その場では誰一人、おかしいと思うものは居ない。皆、目の前の石以外が目に入っていないかのように、うっとりと縋り続ける。
ドナも、全ての疑いも不安も消し去り、彼らと同じようにその中に加わった。
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ロイは夢を見ていた。
まだ少年だった彼が、母親の手を引いて歩いていた。足場はゴツゴツとした岩場で、二人とも躓きながらやっとといったふうに進んでいた。繋いだ手の指には、揃いの石の嵌まった指輪が光っている。
(ねえお母様、ホントにイイの…?)
(ねえお母様、大丈夫ですか…?)
(ねえお母様、ほんの少しだけ水を飲ませてください…)
少年が額の汗を拭い、腰に下げた水筒を開けようとほんの一瞬だけ母親から手を離した。
(お母様!!)
少年の視界から母親の姿が溶けるように消えた。少年は慌てて手を伸ばすが、その先にあるのは闇だった。
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「!」
ロイが跳ね起きた。
今夜もドナの動向と温室の様子を見に行く予定だったが、いつの間にか机に向かいながら眠ってしまっていたらしい。慌てて机の上の時計を掴んで時間を確認する。日付を少しばかり過ぎていた。
ロイは肩で息をしながら時計を戻し、額の汗を拭う。そして震える手で、肌身離さず下げている胸元の鎖に繋がる指輪を握りしめた。
彼の脳裏で、夢の続きがぼんやりと展開される。
少年は一人、手探りで暗い岩場を歩いて行く。やがて、淡い月の光の中の差す場所に出ると、少年は倒れ伏した。やがてその少年を見つけた小さな影が父親を呼び、父親の影が少年を抱えてその場を立ち去った。
ロイはドナの様子を見に温室に行くか悩んだが、時間的にはもう返されている時間だった。そのまま眠ってしまっても良かったが、少し厨房で酒でも貰おうと部屋の外に出た。
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廊下を進んで行くと、少し離れた場所に人の気配を感じてロイは柱の陰に身を潜めた。
目を凝らすと、サリノ伯と家令が何やら話をしている。ロイには聞こえなかったが、別の使用人の一人が慌てた様子で外套を持って来ると、それを無造作に着込んで小走りに玄関の方へ去って行った。
(こんな夜中に何かあったのか…?)
しばらくすると、外で馬の嘶きと馬車の車輪の音が聞こえて来た。どうやらサリノ伯は急に外出することになったらしい。
(今なら彼の寝室を調べられる…!)
サリノ伯が不在の時は家令の手によって施錠されている寝室だが、あの様子ではもしかしたらまだ鍵がかけられていないかもしれない。ロイは、見送りに出たであろう家令が戻って来る前にサリノ伯の寝室に向かった。
やはり予想通り、寝室の鍵は開いていた。ロイは躊躇うことなく素早く寝室に入り込んだ。しばらく物音を立てないように息を潜めていたが、外からカチャリと施錠する音と共に家令の気配が遠ざかるのを確認してから行動を開始した。
ここを出る時は窓から出ればいい。ロイからすれば、この屋敷の窓の鍵なら糸さえあれば外から閉めることも可能だった。
部屋の中の家具は豪奢だが、必要最低限な物しか置いていない。ずっと起きていたのか、シーツには皺一つついていなかった。ロイは寝室の中を探しまわったが、特にめぼしい物は見つからなかった。鍵付きの引き出しすらない。溜息を吐きながら、諦めて退出しようとした時、ふと奥の壁にある扉が目に留まった。
(確かこの扉の奥は、今は閉ざされている夫人の私室…)
脳内の屋敷の見取り図を思い返す。
(奇妙な扉だ…ドアノブが最初から付けられていない…)
ロイが扉を良く調べようとかがみ込んだ時、胸元でカチリと音がすると同時に扉が僅かに開いた。
(これは…特定の金属にでも反応するのか…?)
常に身に付けている、鎖を通し首から下げたサイズの合わない指輪。それがシャツ越しにではあったが僅かに扉に触れた瞬間に開いたのだ。偶然にしては出来すぎているような気もしたが、サリノ伯がいつまた戻って来るか分からない為、あまり迷っているのも得策ではない。
ロイはそう判断して、そっと扉を押すと中に入り込んだ。
夫人の部屋はサリノ伯の部屋より狭く、同じように余分な物は置いてないようだったが、掃除はされているのか埃は積もっていなかった。机の上にはランプとインク壷と羽ペン、その脇に投げ出されるように幾つかの本と書類が置かれていて、サリノ伯の寝室よりも生活感があった。彼はこちらの部屋で生活しているのかもしれないとロイは思った。
(日記…?ここになにか「幻獣の核」の手掛かりが書かれていれば…)
ロイはランプを点けると、日記に目を滑らせた。
(セシリウムの新芽、ソドミヌスの実……シヴリオンエキス…解毒剤や解熱剤の処方に必要なものばかり…こちらは…気持ちが落ち着く効能のあるハーブに、睡眠薬の材料)
『真珠月◯日 妻が、食事に異物を入れられたと訴える。声の高い若い女だったというが、先日妻付きの侍女は年配のものに変えたばかりの筈。それとも、誰かが隙を突いてか?』
『紅玉月◯日 ティーカップに虫が入っていたと知らされる。使用人達は否定している。シディも分からないと言う。…妻の気のせいでは?』
『翡翠月◯日 シディが熱を出す。だが、妻は頑として薬を飲ませない。自分の目を潰した毒の匂いがすると言い張っている。目の見えない妻は匂いに敏感だが、思い込みの知識ででたらめな薬草を与えようとする。どうしたら分かってもらえるのだろう』
『白虹月◯日 帝都から戻ると、妻とシディが居なくなっていた。使用人達に問い質すと、丸一日誰も姿を見ていないと言った。あいつらが仕えるのは誰だ!今まで、私に気付かれぬように妻を蔑ろにしていたのか。妻の訴えは本当だったのか…?』
『あれは、妻か?妻に見える…だが、妻とは思えない…。妻の真似をする、偽者。女王のように振る舞ってはいても、私の目には妻以下のB級品でしかない…私のシディも、愛しい妻も、皆が奪った』
『従うさ。女王陛下のお望みのままに』
(ここで記述は終わっている。最後の方は日付は書かれてなかったが、おそらく20年前の崩落と奇病が広まった頃だ。シディ…資料にあった幼くして亡くなった彼の息子か…)
ロイは脳内でここに潜入する為に渡された資料をめくる。
だが、不意にその合間に女性の影がよぎり、一瞬頭を抱える。ロイの脳内でこれまで脳内に刷り込んだデータがバラバラになって襲いかかって来るような感覚に、思わず膝をつく。だが、それはほんの僅かで、ロイは指でこめかみを押さえて口の中で奔流するデータを呟く。
やがて落ち着いたようにロイは立ち上がった。しかし、その顔には疲労が濃く出ていた。
(女王とは…誰だ?)
このビート領を有する帝国には皇帝がいる。建国以来男子継承で女帝は存在しない。ここ数十年、女王と呼ばれる地位に即いているのはただ一人。
(俺をここへ送り込んだ…あの国…)
美しく、目も眩まんばかりの豪奢な宝飾品に包まれた女王。その微笑みはゾッとする程冷たく、常に他者を見下すことを隠そうともしない目を思い出す。
(サリノ伯があの女王に従っているとすれば、何故わざわざ親戚として潜入させたのか…いや、今は「幻獣の核」についての手掛かりを探すべきだ)
ロイは日記の次は書類を手に取り、次々とめくって行く。途中何度か手が止まりそうになるが、感情は後回しにしてひたすら機械的に脳に刻み込んで行った。
(帝都から連れられて来た死刑囚の女達の死亡記録…死刑が確定した重犯罪者が、医療や科学の発展の為に身体を捧げさせる事例などどの国でもよくあることだ。しかし…何故全員が『撲殺』としか思えない死因なんだ…?)
書類をめくる手が一瞬止まり、最初に戻った。そして再びめくり始める。
(受入数と死亡者数が合わない。生き残りがいるのか?)