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「安心しろよ、俺は同業者だ」
諜報員としてそれなりに実力はあると自負しているロイの背後を容易く奪うことの出来る相手に、探るような視線を向けた。おそらくまともにやり合って只で済むとは思えない。少しばかり背中を冷たいものが流れるのをロイは感じた。
男は余裕のある表情でニヤニヤを笑いながら静かにするように指示をして来た。ロイが頷くと拘束を外し、着いて来るように無言で手招きした。
その男に連れられて、敷地内にある寂れた礼拝堂の地下に降りる。窓一つない真っ暗な地下だったが、男が持って来たランプに明かりを点すとようやく互いの顔をはっきり認識出来るようになった。
麦わらのような艶のないくすんだ金髪の男。小柄なせいか、それとも本当に若いのか、顔立ちは少年と言っても通用しそうだった。
「あんた、領主の甥を名乗っているが…北の隣国から送り込まれた諜報員だろ?」
「……この鉱山を調査しに来た、地質学者だ」
「ふん…まあいい。俺は…そうだな、ドナと呼んでくれ。ここの風土病を取材しに来た帝都の記者ということになっているが……探偵だ」
「南の出身だろう?」
「只の間抜けじゃなさそうだな」
ロイの指摘に、ドナはおどけたように肩を竦めてみせた。
「帝都の者にしては息継ぎの位置と、僅かに鼻濁音が混じる単語が不自然だ」
「ほーう、良く分かったな。結構訛りを厳しく矯正されたんだがな」
「耳は良い方でね」
何となく少しだけ意趣返しが出来たような気分にはなったが、油断ならない相手と言うのは変わりがない。ロイはドナの手の届くところには近寄らないように慎重に距離を取った。
「この領に出稼ぎに来た者で、頻繁に行方不明者が出ているのは知っているか」
ドナの問いかけにロイは首を傾げた。
「聞いたことはあるが…出稼ぎ者が失踪するなんてそう珍しい話じゃない」
「そうじゃない。この領内で、同じような経緯で行方が分からなくなる人間だ」
ビート領は、枯れる気配のない金の産出に常に人手不足と言われている。奇病のせいで男ばかりの街だが、出稼ぎに来る人間は後を絶たない。
最初、男達からは定期的に手紙や仕送りが故郷で待つ家族や恋人の元に届く。だが、半年を過ぎた頃から間遠になり、更に半年から1年後には全くの音信不通になるという。そして、心配になった家族が他の男手を頼って探してもらうも、男達はビート領内から出たという記録もないまま、忽然と街から消えているというのだった。
「ここの鉱夫の賃金は帝都の相場よりも高い。慣れない大金を手にした人間が身を持ち崩して事件に巻き込まれる、なんてよくある話だろう」
「確かに、俺が調査した者の中には酒やギャンブルに溺れて借金まみれになってお決まりの末路を辿った奴もいたさ。ここはそれなりに栄えてはいるが、品行方正な帝都のお膝元じゃない。しかし、それにしてはその数は異常だ。そして行方不明者の中には奇妙なことを言い残して消える者達がいた」
ドナは一旦言葉を切って、大きく息をつくと、ギリギリ聞こえる程度にまで声を落として言った。
「『楽園』へ行く、とね」
「!まさか…」
少し声の大きくなったロイを咎めるようにドナが声を潜めさせる。
「あんたもあの温室が『女王の楽園』と呼ばれているのを知ってるんだろう?昔からあの温室には色々な噂が着いて回る。禁止されている違法薬物の元を栽培しているとか、密輸した武器を隠しているとか…そして必ず最後に挙がる名前…」
「サリノ伯…か」
「ああ。ここの領主サマは何か隠してる。俺はそれを暴いてやる為に何年も追ってるんだ」
ドナはおそらく帝国の南側の国の諜報員だ。ロイの国よりも遠いこともあって情報をつかめていないのか、話の中に「幻獣の核」の話は出て来なかった。この情報について共有すべきか逡巡していると、警戒の為に開けた距離をいとも無造作に詰めて来たドナが顔を覗き込んで来ていた。
「なあ、取引しないか?」
「取引?」
「あんた当分はここに滞在するんだろう?これからのサリノ伯の予定を俺に流してくれ。屋敷にあいつがいない時は護衛も少ない。それを狙って温室に探りを入れる」
「しかし…」
「身内を装ってあいつの懐に入って情報を探るのにはいい手だったが、温室に素知らぬ顔で入り込むには使用人どもに面が割れてる。俺はその逆。手を組むには丁度いい。そこで手に入れた情報はなるべく流してやるよ。どうだ?」
ドナがニヤリと笑う。その表情は無邪気を装っているが、ロイは信頼していいものか返答に詰まっていた。そもそもドナの流してくれる情報に確実な信憑性はない。しかし、敵に回すと厄介なのは先程を身をもって体感した。
黙り込むロイの様子を見て、ドナの表情がスッと消え、ロイに向かって小さく耳打ちをした。
「ついでに北の『囚人』の情報も流してやるよ」
「……!」
「北も南も飼い犬の首輪の材料は大差ねえってことだ」
驚愕の表情でロイがドナを見る。その態度に、ドナは満足げにロイの肩をポンと叩くと、
「じゃ、よろしくな。俺はいつも昼は噴水前のカフェで食うことにしてる」
と片手を上げて地下室を出て行った。
ドナの置いて行ったランプが、ロイだけをぼんやりと浮かび上がらせる。
(…あの男、弟のことを知っているのか…?)
しばらくの間、彫像のように固まっていたロイだったが、やがて軽く頭を振るとランプを手に立ち上がった。
(信頼は出来ない…が、今は取引して様子をみるか…)
ロイは軽く舌打ちをすると、ランプの火を吹き消し、辺りは暗闇に包まれた。