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B  作者: すずき あい
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2


「妻は、ここに居る」


サリノ伯の唐突な言葉に、ロイは今度は驚きを隠せずに立ち上がっていた。


「なっ…!だってこの地は…」

「女だけが死ぬ呪われた土地、だろう?」


ロイが言葉に詰まって戸惑っているのを、サリノ伯は落ち着いて座るように促す。ロイはしばし逡巡した後、椅子に腰を下ろした。


「妻が幼い頃の病が元で視力を失ったという話は?」

「はい…存じております」

「彼女はその後遺症か、体も弱く床に伏せがちでね。体調を保つ為には隣国にしか生えないという薬草が必要だった。だから私はこの屋敷の最奥に薬草を栽培する為の温室を作ったのだよ」

「温室、ですか」

「他にも妻を喜ばせようと、隣国の作物や果物、花や鳥、小動物も手に入れ、小さいが妻の為の楽園を作った。思いの外妻は気に入ってくれてね。一日の大半をそこで過ごすようになっていたよ」


サリノ伯が、話しながら窓に目を向けた。外は暗く、明るい室内に座っている二人の姿しか映っていなかったが、彼にはもっと違うものが見えているかのようだった。


「20年前、坑道の崩落が起こったのは深夜だった。幸い採掘はされていなかったから崩落による死者は居なかった。…だが朝になって、崩落現場から近い集落で住民の半数近くが死亡したという一報が届いた」


サリノ伯は遠い目で何もない空間を見つめた。その視線の先には、当時の光景でも見えているのだろうか。


「状況から、私は崩落により毒ガスが発生して外に出たのだと判断した。次々と届く死者の報告は、崩落現場から風下の街に向かって広まっていたからね。この屋敷は、山脈から吹き下ろす風で領内で最も風上に位置している。だから私は真っ先に妻を温室の中に避難させた」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



「この奇病は女の命だけを刈り取る。そう分かった時に街の者は我先にと自分の妻や娘、恋人を逃がそうとした。だが、誰一人間に合わなかった」


次々と無惨な姿で倒れて行く女性。そしてその遺体に取りすがり泣く男達。街の教会は昼夜を問わず鎮魂の鐘を鳴らし続け、神父達は事態の終息を願ったが、祈りだけでは止まることはなく、死者が増えなくなったのは街から全ての女性が亡くなったからだった。


「そして、温室に居た妻だけが、この街でたった一人生き残った女性になったのだよ」


そう言ってサリノ伯は深く溜息を吐いたが、それはまるで悼ましい事件を嘆くというより、何処か満足げな意味を含んでいるかのようだった。


「街の女性を屋敷に避難させなかったのですか…?」

「分かった時には手遅れだったからね。それに、いくら領主の屋敷とは言え街の女を全て引き取るには限度がある。更に選別などしたらどうなるか…想像するのは容易いだろう?」


その女だけが発症する奇病は、元が誰か分からなくなる程酷い状態で最期を迎えると言われていた。誰よりも近くで大切な女性の最期の姿を見てしまった男達は狂ったように幾日も泣き叫び、街は半年以上も嘆きの声で埋め尽くされていたと当時を知る者は語ったと言う。


「…それでは、奥様…叔母上はそれからずっとそこに?」

「ああ。奇病の原因が未だに分からない状況で、空気感染の可能性が高い以上外に出してやる訳には行かないからな。温室…今は『女王の楽園』と呼んでいるがね。そこは、妻一人くらいが生きて行くなら十分な環境が整えられている。使用人を付けることは出来ないが、幸いにも教会で暮らしていた頃に盲目でも一人で生きて行けるように訓練されていたからね」


「貴方は、お会いになられるのですか?」

「なるべく機会を見つけて顔を見に行ってはいるよ。もっとも会うのはガラス越しだがね。必要な物は充分に洗浄させて届けているし、何かの折には厳選した贈り物などをしてはいるが」

「…それはお寂しいのでは」

「多少の不自由はさせているかもしれんが、帝国出身でもなければ身分も身よりもなかった平民だった彼女は、人の悪意を必要以上に受けて来た。そこから完全に切り離された楽園で、妻は穏やかに暮らしているよ」


そう言って、サリノ伯は満足げに笑った。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



サリノ伯の甥で、地質学者。そう偽りの身分を用意されて潜り込んだロイは、研究の為と称すれば怪しまれずに何処でも行くことが許されていた。街も、鉱山も、屋敷内も。


ただし「女王の楽園」だけは、夫人の安全を考慮して立ち入りは禁じられた。


ロイはさり気なさを装って何度か温室に近付こうと試みた。が、まるで牢獄の見張りのように常に多くの使用人が温室に続く回廊を塞いでいて、全く近寄れない。

温室内部の土や植物に興味があると伝えれば、快くサンプルを届けてくれるが、それ以上の協力は得られなかった。サンプルから何か無いかと調べるも、期待出来るような成果はなかった。


「今夜はこの後、自室から出ないでくれたまえ」

「はい、構いませんが。理由を伺っても?」


ビート領に来てひと月程過ぎた頃、サリノ伯からそのような申し出があった。


「月に一度、帝都から罪人が送られて来る。あまり他国の人間に言いたくはないのだが、まあ君なら私の血縁だからな。ただ、他言無用に頼むよ」


国も、この領内に留まっているとは言え謎の奇病を脅威に思っているらしく、色々な薬や治療法を試す為に、月に一度ビート領に女性の死刑囚を送り込んで来ているらしい。しかし、今のところ彼女達が領内に足を踏み入れると、全員数日の間に病死してしまうということだった。


「帝国の機密情報が含まれるのでね。悪いが君の目に触れさせる訳には行かない」

「分かりました。今日は大人しく部屋で論文でもまとめますよ」

「そうしてくれ」


ロイが部屋に戻ろうとすると、それを見届けるように使用人が数人付いて来る。


部屋の扉が閉じられると、念を入れるように使用人達は外側から鍵を掛けた。


「…随分と信用がないようですね」

「大変申し訳ありません。ご主人様の血縁とは言え他国の方。何かがあった時に疑われぬよう、とのご主人様のご配慮でございます。ご不快に思われるでしょうが、何卒ご容赦ください」

「…ご配慮、いたみいります」


(…やれやれ。大した徹底振りだな)


ここであまり反抗的な態度を見せるのは得策ではない。そう判断したロイは部屋の中で溜息を吐くと、机に向かって本を広げた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



ロイがそろそろベッドに入ろうと部屋の明かりを消した時、カーテンの隙間から外で微かな光が動いているのに気が付いた。


広大な屋敷の庭の木々の間から、小さな明かりが移動しているのが見える。目を凝らすと、足元だけを照らす小さなランプのようだった。そのランプを持った人物を先頭に、数人の人影が付いて歩いている。更に目を凝らすと、彼らは顔を仮面で隠し、手に大小さまざまな大きさの箱を抱えているのが確認出来た。


(あちらは温室の方向…サリノ伯が言っていた妻への贈り物か…?しかし、こんな深夜に?)


ロイは一応部屋のドアを押してみたが、当然のようにビクともしない。すぐにトランクの中から黒いマントを取り出して羽織ると、そっと窓から抜け出した。


普通の人間ならば行動を阻むのに充分であろう高さにある窓。しかしロイは慣れた様子で壁を這うように移動し、屋根伝いに庭に降り立つと、闇に紛れるように移動する隊列の後を追った。さすがに窓から抜け出すとは思われていなかったのだろう。見張りらしき人影はなかった。


小さな明かりを追うようにロイが進む。程なくして隊列は温室の入口に到着した。その入口から、箱を持った男達が次々と吸い込まれて行く。何とか後を着いて行けないかとロイが身を乗り出したところ、足元の枝を踏みつけ音が鳴った。


「誰だ!」


その声に、あちこちから見張りの使用人達がランプ片手に集まって来た。ロイは暗がりを縫うように走り出した。


(…行ったか?)


研究と称して屋敷の中は広い庭園も把握済みだ。足跡の残らない固い地面の場所を選んで逃げ回り、物陰に潜んで使用人達をやり過ごした。やがて追っ手の気配が完全に消えると、息を切らしながらロイは地面に座り込んだ。何の準備もなくこのまま深入りするのは得策ではなさそうだった。今日のところは部屋に戻った方がいいだろうと判断し、呼吸が整うまでの間その場に潜んでおくことにした。


「!」


不意にその背後から手が伸び、口を押さえられた。


ロイは反射的に相手の手を掴み、態勢を入れ替えようとする。しかし、それを更に外されあっと思う間もない程一瞬で地面に押さえつけられてしまった。相手はそれほど力を入れているように感じないのに、縫い止められたように身動きが取れない。丸腰のまま出て来てしまった為にさすがにこの状況はマズいと、ロイの頭の中でこの状況から逃れる術と可能性をフル回転で探していると、相手が耳元で囁いた。


「お前も温室の秘密を探りに来たんだろ?」


ロイが身動きが取れないまま視線だけを向けると、そこには小柄で目つきの鋭い男がいた。


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