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その後、冒険者達が出立の準備をしている間、サンバンは改めて身体の調子を確かめる。鞭打ちのような痛みはあれど、昨日ほどではなく、体は問題なく動かせる。柔軟や準備運動で体を動かしてみるが、可動域にも問題はなさそうだ。
打ちどころが悪ければ骨折や脱臼も考えられたが、急所を守った手足にも損傷はない。うまく木の上に落ちてこれたのだろう。見たところ森の木々は縦に伸びやすい木ではなく横に広がるタイプの木々だったようで、それも助けになったに違いない。
次に、現在地を確認するべく木を登る。スルスルと無駄な動きなく天辺まで登り切ると、自分の飛び降りた崖を探す。そこまで離れた場所では無いようだ。自分の位置と太陽の位置、それから方角を照らし合わせて自分の現在地をある程度割り出す。
どうやらゼイン領側のようだ。そしてここから一番近い街も、ゼイン領に属する街、ということになる。ともすれば、戦争のことはあまり口に出さない方がいいだろう。罪人として捕まりかねない。
木から降りて合流する。準備もそろそろ終わりそうで、リンシアが四方に書いていた印を消していた。
「お、サンバン探したぞ。どこ行ってたんだ?」
「ははは、ちょっと木登りしてたんだ。今の場所を知りたくてね」
「わかるんですか?」
「あぁ、わかったよ。向かってる街はパンテーラだね?」
「…正解です」
「凄いね、地図が頭に入ってんのかい」
「参戦する前に叩き込まれたよ。地形は勝敗を左右するからね」
「聞いてくれれば良かったのにー」
「準備の邪魔をしたくなかったからね。地図を広げるのも手間だろう?」
「それもそうだな。よし、準備できたし、出発だ」
ロイの掛け声で歩き出す。まずは森を抜けて街道を目指し、それから街道に沿ってパンテーラに向かう。特に難しいことを考える必要もないが、問題があるとすれば森を抜けるまでの道中だろう。
サンバンの記憶が正しければ、ここは魔獣の出る森だ。冒険者たちもわかっているため、しっかりと隊列を組んでいる。視覚、聴覚に優れるリアを先頭に、盾持ちのロイ、リンシア、イアンの順だ。リアが異変を感じ取ればロイがその方向に対して前に出る。リアは牽制しつつリンシアの前まで後退し、代わりにイアンが助走込みでダメージを叩き出す。
悪くない布陣だ。そう評価しつつ、自分も感覚を研いでいく。
魔獣。一昔前は突然変異と呼ばれた、動植物の果ての姿とされている。
魔法を使う根源は何も人間だけが持っているわけではない。ありとあらゆる生物が持ち合わせており、それらが他よりも多い場合、身体に特徴として現れることがある。そうして変異したのが魔獣と呼ばれるものだ。
元となった動物の姿を残しているものもいれば、みる影もないものもいる。それらは総じて、凶暴であり、例え同類であっても襲いかかることがある。
結果として、討伐されず、自浄作用によって死ななかった個体は、より根源を蓄え、さらに姿を変える。個体として強くなると、今度は周囲に影響を及ぼし始め、近辺にいる獣や植物が感化される。
今いる森も強力な個体によって変貌した森の一つだ。サンバンの記憶が正しければ、狼の変異種として、象をはるかに超える巨体を持つものがいるらしい。
討伐できれば大きいが、討伐しないことの恩恵もある。
魔獣の素材は高値で売れる。冒険者という職業が成り立ち、生活が出来ている所以である。それ故、一番大きな個体は手を出さず、小物を狩る事にメリットを抱えている。
だが、その大物を狩るのも、サンバンの仕事の一つであった。
前に狩ったのは、身の丈をサンバンの三倍はあろう熊だった。串刺しにされた彼も居たが、手柄は致命傷を与えたサンバンのものとなった。
あの時に貰えた給金は暗殺や護衛、戦争参加などの何よりも高かったので、出来ればもう一度受けたいと思っていたが、先程言った通り、大きな個体はいるだけで意味を為す。闇雲に狩ってしまうと経済圏一つを簡単に潰しかねない。
そのため、討伐依頼が出されることはかなり稀で、ありつける事は滅多になく、またあったとしてもサンバン一人で受けさせてくれる事はないだろう。
一人で狩る実力があったとしても、だ。
サンバンの耳に不穏な音が届く。リアのいる前方ではない。右斜め後方から、大地を揺らすような音が響く。
自分が願ったせいか、単なる偶然か、サンバンが考えていたものは、思ったよりも近くにいるようだった。
とはいえ、彼らは傭兵ではない。実力もわからない者たちと共闘するつもりは無いため、リンシアの耳元に囁く。
「大きい個体がいるようだ。足音からして、熊程度の大きさに思えるけど、狼だった場合、もっと大きいものを考えないといけない」
リンシアは目を見開きサンバンを見る。合わせて手で口元を押さえつつ、頷いて反対にいたイアンに耳打ちした。
イアンも目を見開き、大きな音を立てないように早足で前へ、ロイとリアに対して小声で話す。進む歩調をあまり落とさぬままに、入れ替わりでリアが後ろに下がってきた。サンバンの隣に並び耳を澄ませると、サンバンに頷く。
足音は大きくなってきてはいるものの、こちらを追ってきているというわけではない。ちょうどクロスするようなかたちで、自分たちの通った後ろを跨ぐルートだ。
だが、問題は跨ぐ時である。
当然ながら、サンバン達は森の住人ではなく、人としての臭いを発している。鼻のいい狼がそれに気付けば、臭いを辿ってくるのは間違いない。
となれば、撤退戦の準備が必要だが、サンバンは四人に告げる。
「ボクに任せてくれないか?」
「バカ言うな、一人でどうにか出来るわけねぇだろ!」
「囮になるってのかい?」
「その通り。このまま固まっていても、臭いを辿られればずっと追われることになる。だったら、一人が引きつけて残りが逃げた方が、安全ってもんさ。大丈夫、傭兵はこんなんじゃ死なないよ」
髪を結え直し、足音の方へ、踵を返す。
「…いきましょうロイ。まずは森を出るんです」
「くそっ…、サンバン!絶対だぞ!」
「そんな…サンバンさん…」
イアンがリンシアの手を引く。走り去る足音を聞きつけたのか、向こうの足音も早くなる。
そして、それはサンバンの前に姿を現した。
サンバンの予想通り、それはこの森の主人と呼ぶに相応しい風貌の、狼だった。体躯は恐らく象よりも一回り上、体躯のわりに足音が軽いのはそれだけ身のこなしが上手く、体幹が備わっていると言うこと。
足首だけでもサンバンの胴体程はありそうな太さ、毛並みは良く、膨らんでいる。本体にダメージが通る前に体毛に邪魔されてしまうだろう。
そしてその顔は、サンバンを見た途端に、威嚇を始める。歯を剥き出し、上体を低くして臨戦態勢に入る。
サンバンは静かに腰を落とす。左の掌を前に、腰の横に拳を構える。
その顔つきは、怯えているそれではない。
目玉が飛び出そうなほど見開かれた目は、狼をしっかりと捉えている。への字に閉じられた口からは余計な呼吸は行われず、恐怖など微塵も感じさせない。
本能が怯えたのは狼であった。
己を鼓舞する咆哮一つ、狼は、サンバンへと飛びかかった。