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ベアトリーチェはふぅ、と一息ついて、ドレッサーの鏡を裏返す。ドライから託された剣を掴み取り、部屋から抜け出した。見張りの兵士の姿は無く、メイドが掃除をしていたくらいだった。兵士の慌ただしさも彼女達には関係はない、そう言っているように見えた。今はそれがありがたい。
土壇場ではあったが、海の感覚をより細かく制御できるようになった。あまりにも巨大な空間に広げすぎた為、疲労感は強いが、一度広げた海はそう簡単には消えない。
アイリを連れて脱出を図るテオの焦燥を手繰り寄せながら、追手の兵士達を違う道へと押し流す。
ドレスの裾を剣で切り裂き、走れるようにする。大きく入ったスリットの隙間から健康的な太腿が露出するが、今はそんなことに構っている暇はない。
テオ達の向かう先へと合流する為、足を動かす。二人は裏門から突破を考えているようなので、ベアトリーチェの足もそちらへ向ける。途中で鉢合わせた兵士たちはベアトリーチェの事など眼中になく、ただ前を通り過ぎて行った。
兵士たちの違和感に気付いたのは昨日の事だ。見張りの兵士達が余りにも会話をしなかったので、少し問答をしてみたのだが、いくらか答えると、同じ回答を始めるのだ。まるで壊れた機械仕掛けの人形のように。ただし、彼女を部屋から出さない、という指令は律儀に守っており、ベアトリーチェもテオやアイリが説得するまでは強硬手段に出ることは出来なかったのである。
そのため、事前にアイリから聞いておいた時間になってから海を広げて様子を伺っていたのだが、どうも雲行きが怪しかった為、ベアトリーチェも行動に移った。
ベアトリーチェが城を駆け抜けてギルドに行くのが一番早いのだが、アイリとテオの無事がわからなくなる。二人を人質に取られると、ベアトリーチェとしても手出しが出来ない。
フッ、と通路に出た瞬間、自分の頭上に影が差す。
反射的に身を屈めながらディフェンダーを引き寄せ、頭上に構える。
ガインッ!
「…へぇー? やるじゃんよぉ」
重い一撃。
振り下ろされた巨大な剣を流して一歩二歩と距離を取る。床に軽く穴を開けた剣を軽々と片手で持ち上げて肩に担いだ。
背丈は2メートル以上はありそうだが、身体は細く、両手剣を軽々と扱うにはどうにも筋力が足りないように見える。
騎士団服を着崩した男は、撫でつけられた髪をぐしゃぐしゃに掻き乱してから、ベアトリーチェを指差した。
「この気持ち悪りぃ空気作ってんのもおまえだろぉ? 俺と遊ぼうぜぇ?」
「…そんな暇はありませんので」
踵を返し、別の道を走る。
だが、その正面には、既に男がいた。
「っ、…厄介な」
「お互い様だろぉ」
ニタリと笑う男。
確かに、踵は返した。身体も方向転換した。だが、目の前にいた。海を広げていたからこそわかる。
この男は、向きを変える。
どこまで干渉出来るかわからないが、今のベアトリーチェにとってはとてつもなく厄介だった。長引けば二人が捕まる可能性も高まる。
ふぅー…。
大きく息を吐いて、自分の中のスイッチを切り替える。
口を真一文字に結び、目をカッと見開いた。
「…気に入らねぇ顔だ」
「………、」
「黙るところまで一緒かよ、ったく…」
男が更に髪を掻きむしる。
「俺がイチバンだってのによぉッ!!」
王城の異変はギルドにもすぐに伝わってきた。城内の兵士が慌ただしく動き始め、門を守らなければならないはずの兵士たちでさえ、中に入って何かを始める始末。
時折テオドール、アイリの名前が叫ばれており、周辺住民からも、訝しむ声が上がり始めた頃、サンバンが動いた。
ザラが後に続き、王城の前に立つ。
サンバンは門をくぐった瞬間に、ある一点に向かって走り始める。ザラは体を包む異様な空気に鳥肌を立てながら、サンバンを追うことはせず、兵士の流れを目で追った。
何かを追いかけているのはわかる。正門がガラ空きになっていることから、追っている獲物は正門から出ることは考えていない、という事。
さらには、ザラが堂々と入っても誰も咎めることがいない事から、兵士達の状態はまともではないという事もわかる。
闇雲に入っても面倒事になるのは分かっているので、まずは比較的まともな者を探すことにした。兵舎の方へ足を向ける。いつ仕掛けられてもいいように、新たに腰に下げた手斧二つに手をかけながら、開かれたままの兵舎の扉を覗き込む。
中はほぼもぬけの殻であり、入り口近くのベンチに三人が座っているばかりだった。そのうち一人は眠っているようで、他二人が気づいてザラの方を向く。
「…ザラ・インヴィクティス、どうしてここに」
「城の様子がおかしな事になってるって言うタレコミだよ。その通りおかしな事になってるじゃないか。一体全体、何が起きてるんだい?」
「…私たちにも詳しくはわかってない。ベアトリーチェ殿下のお付きで、帰ってきたのはつい最近だから」
「そうかい。んじゃあ事情を知ってそうな奴に聞きにいかないとね。誰だと思う?」
「…わからない。でも、今兵たちが動いてるのは、宰相の命令」
「じゃあ宰相か、よし、行こう」
「で、でも、宰相がいるのは陛下の執務室が殆どで…」
警備も…、そう言いかけてそうかと思い直す。
「確かに、行くなら今かも」
「だろう?そこの寝てる奴はどうすんだい?」
「私達は彼女から色々と聞かなければならない。恐らくドライもそこに向かってるはず、自由のきく貴女にお願いしたい」
「はいよ、任せな。なんかありゃぶっ飛ばしておくさ」




