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サンバン  作者: 如月厄人
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 ベアトリーチェは自分の部屋を見回して、大きくため息を吐いた。

 久々に帰ってきた部屋だと言うのに、嫌味なほど綺麗に整えられている。まるで主人の帰還が分かりきっていたかのような整頓ぶりに腹の奥底で怒りがトグロを巻く。

 帰らないと決めた筈だった。だと言うのに、結局自分はここにいる。

 だが、このまま大人しくここにいるつもりはなかった。

 根源が使えるようになった今、彼女にはここを抜け出す策を用意するのは難しく無い。

 問題はタイミングだ。

 ここに連れて来られてまだ間もない。今は脱走の警戒もされているだろうし、なんならサンバンに対しての警戒もあるかもしれない。今抜け出せばすぐに追手が出るだろう。

 かと言って、抜け出すタイミングがほかにあるかは定かではない。

 ベアトリーチェは目を閉じて自身の海を広げる。扉の前に二人、ベランダを監視するように向かいの監視塔に二人、ベランダの真下に二人、以降は各通路に巡回の兵士がいた。

 記憶も定かではないが、巡回の兵士は心なしか数が多い。

 と、そこへ、兵士を連れた女性が歩いてくるのを感じる。その気配に懐かしさを覚え、部屋にいたメイドにお茶の準備をお願いする。

「カップは二人分でお願いしますね」

「? かしこまりました」

 メイドの準備が終わる頃、部屋がノックされる。

「駄妹!お姉様が来てやったわよ!感謝なさい!」

「はい、お待ちしてました、アイリお姉様」

「あら…、事前に伝えたつもりはなかったのだけど、準備万端じゃない」

「お姉様が来るのがわかりましたので」

「…何、預言者にでもなったのかしら?」

「あはは…」

 ぶすっとした顔をするアイリに、苦笑いを返す。

 舞踏会に行くわけでもないのに豪奢なドレスに身を包み、メイクもバッチリ、髪に添えられた大きな花の髪飾りは、国を象徴するイザイラの花を模しているようで、薄紫の髪飾りが金色の髪に堂々と鎮座している。

 相変わらずだなと思う一方で、変わっていなくて安心もしていた。

 アイリは護衛についてきた兵士とメイドにチップを握らせしっしっ、と払う。互いに顔を見合わせてから、すすす、と部屋を後にするのを見てから、アイリはベアトリーチェを抱きしめた。

「戻ってきてしまったのね…帰って来ないものと思っていたのに」

「そう…ですね…私も戻るつもりはありませんでした」

「んまったく! サッサと特級にでもなれば良いのに!」

 ぷりぷりと怒ったふりをしながら、持っていた手提げから紅茶を取り出して淹れ始める。ベアトリーチェが用意した茶器からふんわりと紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。

「今日はバラですか?」

「えぇ、そうよ、駄妹にしては鼻が効くじゃない。忙しなかったでしょうから、少しは落ち着きなさいな」

 細やかな気配りに、胸が暖かくなる。それと同時に、戻ってきてしまった罪悪感を感じていた。

 涙を呑んで送り出してくれた姉の下に、何者にもなれない状態で帰ってきてしまった。

 次に会う時は新聞の一面ね、とまで言ってくれた彼女の期待に応えられなかった事が、堪らなく悔しかった。

 お湯の中で踊る茶葉を見ながら、小さくため息を吐いた。

「それで、今等級はいくつなの?」

「えっ? あ、えーと、三級です。もうすぐ準二級に上がる予定でした」

「そう、惜しかったわね。準二級ならもっと冒険者ギルドも抵抗出来たでしょうに。でも聞いたわよ、特級のザラ・インヴィクティスがあなたのことで訪ねてきたらしいじゃない。特級と繋がりが持ててるなら明るいわ」

「えっと…なんの話でしょうか?」

「駄妹ねぇ…。あなたはこんな狭い世界で燻ってられるほど大人しくないでしょう? 小さい頃何枚ドレス破ったと思ってるの」

「あ…あはは…」

 ベアトリーチェも覚えていないが二桁に到達しているのは確かである。

 アイリはふっ、と笑って紅茶を注いだ。

「心配しなくても、貴女はまだ冒険を続けられるわ。なんといっても、私の妹なんだもの。本来ならその歳で三級も凄いことよ?でも、貴女はまだ上が見えている。目標を見つけたのね」

 サンバンの顔が浮かんで、ベアトリーチェは頷いた。

「はい、とても大きな目標です。何年かかっても、私は隣に並びたいと思っています」

 カップを見つめながら、何年もかけるんじゃないわよ、そう言われると思っていたベアトリーチェは、何も言わないアイリの顔に視線を移した。目を瞬かせベアトリーチェの顔をじっと見つめてから、口許がニンマリと弧を描いた。

「ベア貴女…! 恋をしてるのね!! きゃー!それなら尚のこと戻らないとダメじゃない! 全く駄兄は何をしてるのかしら、サッサと話を通しなさいっての。ねぇベア、どんな人なの? 歳上?歳上よね?貴女より強いってことでしょう?どこまでいったの?」

 早口で捲し立てるアイリにしどろもどろになりながら、ベアトリーチェはサンバンのことを改めて思い浮かべた。

「そう…ですね…一言ではとても表しきれませんが、不思議な人です。温かいように見えて、触るととても冷たい、けど、その冷たさの中に、やっぱり温かさがあって…難しいですね。良い人ですよ。歳は上だと思います。正確な年齢はわからないそうで…、見た目は三十代半ば、と言ったところでしょうか? どこまで行った…、魔獣の森までは行きました!」

 最後の言葉を聞いてズテ、とこけるアイリお姉様。んもう!ともう一度ぷりぷりしてベアトリーチェに呆れる。

「違うわよ、お付き合いしてるの? デートした? 手繋いだ? キスは?」

「サンバンさんは師匠なので…デートとかそんな…えと…その…」

 しどろもどろなベアトリーチェの反応に、アイリが再度目を見開く。

「………、まさか…、お付き合いしてないのに寝たの?」

「…えーと…その…お付き合い云々は曖昧と言いますか…」

「寝たの?」

「………、はい」

「おばか! 冒険者だからって緩みすぎじゃありませんの?! まったく!そこまで尽くしたんなら地獄の底まで引っ張ってきなさいな」

「地獄の底とは、言いようだな」

 唐突に部屋に響いた男の声に二人がハッとする。扉の向こうにはテオが呆れ顔で立っていた。扉に寄りかかって、やれやれと首を振っている。一緒にいたドライも苦笑いだ。

「あーら、駄妹を連れ戻した原因の駄兄様じゃありませんか、ご機嫌麗しゅう」

「あぁ、痛いところを突かないでくれ、馬鹿なことをしたのはわかってるさ」

 部屋に入ってベアトリーチェの前に立つと、片膝をついて、頭を下げた。

「すまないベア、君がここに戻ってきてしまったのは、私が父に君がここに来ていたことを溢してしまったせいだ」

「そんな!頭を上げてください! 私なら大丈夫ですから!」

「…ありがとう。ところで、一つ聞きたい事があるんだ」

「はい…?」

 首を傾げたベアトリーチェに傅いたまま、テオは顔を上げた。

「冒険を、続けたいかい?」

 真っ直ぐに投げられた問いに、ベアトリーチェは間を置かず答えた。

「はい。私は冒険者ベアトリーチェです。冒険を辞めるつもりはありません」

「…よし、わかった。ありがとう。これで心置きなく行ける」

「…お兄様?」

「私はこれから父上の所に行って、君が冒険者に戻れるように説得しに行く。出来る限りのことをするつもりだが、駄目だった時は…、アイリを頼む」

 アイリの顔をチラリと見てからそういうと、アイリはスパーン!とテオの頬を打った。

 ドライも目を見張る鮮やかな張り手に、テオは思わず尻餅をつく。

「なーにを勝手な事をおっしゃいますか! 私も説得に行きます。貴方だけの妹ではありませんのよ」

 ベアトリーチェの手を取り、柔らかく微笑んだ。

「私たちの、憧れの妹なんだもの。こんなところで終わらせないわ」

 ベアトリーチェは幼い頃から活発で力も強ければ体も頑丈だった。代わりに、礼節やマナー、細々とした時勢を読む力は疎く、王妃には向かないとされ、勉学を詰め込まれることは無かった。

 二人はなまじ勉学ができてしまったが故に、ベアトリーチェとは別の道を進む事を強いられた。

 羨ましいと思う事もあった。疎ましく思う事もあった。でもそれ以上に、四肢を思う存分動かし、自由に駆け回る姿は、数多くいた兄妹達の憧れでもあったのだ。

 羨望も、嫉妬も置いてけぼりになるほど、彼女のその姿は、天から与えられたものなのだと幼いながらに、彼らは感じていた。

 だからこそ、彼女はここにいてはいけない。

「でも、そうね、もし駄目だったら、好きなだけ暴れちゃいなさい。貴女はそれが一番よ」

「アイリお姉様…、はい! その時はお二人もぜひ!」

 天真爛漫な笑顔で言い放ったベアトリーチェに二人とも目を丸くし、頷いた。

「そうね、その時はお願いしようかしら。ねぇ、テオお兄様。懐かしいですわね」

「あぁ、よく二人揃ってパーティを組んだからなぁ。僕もそろそろ身体を動かしたいものだ」

 二人は笑い合い、お茶を飲み干してからその場を後にした。ドライだけは少しその場に残り、ベアトリーチェに腰に差していた剣を部屋の隅、ドレッサーの装飾に思えた穴に刺して回す。グルリと回ったドレッサーの裏には、女性の部屋には似つかわしく無い、幅の広く武骨な巨剣が掛けられていた。

 紋章や飾りはなく、持ち手も革が巻かれているのみで、銘もない。パッと見て、カイトシールドと両手剣を合体させたような形状におもえた。

「この剣はディフェンダーという剣です。貴女の使っていたカイトシールドのサイズに合わせて作らせました。市井に出回っている量産されている剣では、貴女の力に耐えきれず、今まで剣を持たせてきませんでしたが、準二級への昇級祝いにと、用意しておりました」

 いつまでも盾だけでは戦えないでしょうから。

 掛けていた剣を外し、クルリと回した。

「シールドも刃になってはおりますが、中央にリカッソがございます。両手騎士剣術が宜しいでしょう」

 クローゼットに戻し、剣を抜く。

「鍵は開いております故、有事の際にお使い下さい。ご武運をお祈りしております」

「ドライ…ありがとう。思えば、貴方には迷惑をかけ続けて来ましたね。できるなら、貴方ともまだ冒険を続けたかった」

「ふふ、老獪には勿体ないお言葉にございます。どうか、どうか貴女の道を、お進み下さい」

 そう言って、ドライも部屋を後にした。

 一人残されたベアトリーチェはクローゼットを一瞥してから、椅子に座り直し、お茶を淹れ直す。

「…アイリお姉様には敵いませんね」

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