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サンバン  作者: 如月厄人
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「ただいま戻りました」

 王城、王の執務室に通された青年は、その端正な顔立ちを無感情に引き締め、父親の顔を見据える。

 その王は、書類から顔を上げず、一瞥だけして口を開いた。

「首尾は」

「滞りなく。アインハルト領への裁定についてもほぼ決まりつつあります。本日到着したゼイン男爵の謁見、聴取後、修正を行い施行される予定です」

「よろしい。ゼイン公は」

「身支度を整えてらっしゃいます。まもなくいらっしゃるかと」

「そうか。慰労のための食事と手当を貴族街の邸宅に送っておけ。視察はどうだった」

「一通り要所を回りましたが、怪しい物は無かったかと。ブラックジャケットも先日の件からは手を引いたようです」

「ならいい」

「そういえば…」

 口を開いてハッとした。赤毛に金色の目をした青年は王から目を逸らしてしまう。

「…なんだ」

「…ベア…、ベアトリーチェを見かけました。恐らく依頼でこちらに来ているものかと」

「…今年で幾つになる」

「17…ですね」

「ブランシュ大公が息子の嫁を探していたな」

「…はい」

「呼び戻せ、冒険者としての経験は十分積んだだろう」

「しかし、まだ一年もあります。ベアトリーチェも納得しないかと」

 王の目が細められる。ぐっ…、と腹の底に重しが乗ったような感覚、その圧力に負けじと、居住まいを正した。

「私は、賛成しかねます。それに、ブランシュ大公の御子息は私とも歳が近い。ベアトリーチェよりもアイリの方が適任でしょう」

 ベアトリーチェよりも八つ上である自分と、たしか1つか2つ下だった筈だ。それならば、ベアトリーチェよりも今年20になったアイリのほうが話も合うだろう。

 楽しそうに隣の男と歩いていたベアトリーチェの姿を思い出す。

 あんな表情をするようになったベアトリーチェを、まだ自由にさせてやりたかった。

「私は呼べと言った。意見を求めたわけではない」

「っ、しかし…」

「ツヴァイ、命令だ。どんな手段でもいい。責務を果たす時が来たと思え」

 耳は傾けられず、そばに控えていたツヴァイが頭を下げて承る。チラリと視線があうものの、何も言わずに彼女は去っていった。

 下がれ。

 彼にかけられた言葉はそれ以上は無く、彼もまた、何も言えずに部屋を出た。

 扉の側にいた老紳士が、小さなため息とともに、彼に話しかけてくる。

「失言でしたな」

「ドライ…あぁまったくだ。これじゃあベアに顔向け出来ないよ。アイリは…協力してくれないだろうからな…」

 一人目の妹を思い出す。気品が高く、所作も美しいが、何をどう聞いて育ったのか、あまりにもプライドが高く手に負えない。適齢期はとうに来ているというのに、貰い手どころか縁談の一つも来ない。

 外聞だけでこれなのだから、内情がどれほどかは、語るべくもあるまい。

 そんな娘だからか、王は彼女を嫁に出すのを諦めているようだった。身内に厳格だった王でさえ匙を投げたのだ。

 しかし、それがオモテの姿であることを彼はよく知っている。ベアトリーチェ含め、三人でお茶を飲む時間、彼女は一番気配りができ、一番他人を思いやる。

 彼女もまた、道具になりたくなくて、今の道化を演じているのだろう。そしてその道化が、首を差し出す覚悟の上に成り立っているからこそ、王もそれを曲げさせようとは思わない。

 それこそ、手負の獣を相手するようなものだ。どんなしっぺ返しを受けるか、わかったものではない。

 もう一度ため息を吐いて、隣の老紳士にぼやく。

「僕はどうしたらいいんだろうか…。正直、嫌な予感がするんだ。今のベアの邪魔をしたら、とんでも無いことになりそうな予感が」

「………、」

 ドライは驚いたように目を見開き、整えられた顎髭をさすった。

「流石王太子様。先を見通すお力がおありだ。そうですな…老兵の戯言と思って、聞き逃してくだされ」

 ドライは廊下の向かいにいたフィア、フュンフに目くばせしながら呟く。

「この件に関しては、王の味方はしない方がよろしいかと」

 首を傾げた王太子を尻目に、老兵は兵舎へと足を運んだ。

「おや、ドライ殿、本日はどのような御用向きで?」

 見張りの番に朗らかに声をかけられ、ドライも笑顔で返す。

「騎士団長はいるかね?」

「えぇ、執務室にいらっしゃいます。お呼びしますか?」

「いやいや、私から出向くよ。仕事の邪魔をしに来たわけじゃない。話だけ通しておいてくれるか」

「畏まりました。頼む」

 もう一人いた門番に声を掛けてから、椅子を用意する。ドライは美しい所作で椅子に座ると、兵舎前で基礎訓練を行う兵士たちに目を向けた。

 数や結束力で言えば、冒険者や傭兵たちにも引けを取らない我が国の兵士たちだが、個々の能力が突出しているわけではない。それこそ、数で賄っていると言ってもいい。

 冒険者の中でも特級と呼ばれる存在に比べれば、塵芥も等しいだろうが、こと人海戦術による押し潰しは国同士の争いでは重要になる。

 個々の能力は冒険者、傭兵の力を借り、国自体は物量で攻める。今の戦争はそう成り立っている。

 だが、ドライには確信があった。

 あの男は、一人で戦争をひっくり返せるほどの力を持っている。

 そして、力の使い所を弁えている。

 実は彼にあったのは先日が初めてではない。

 アインハルトとゼインの内紛の際、ゼイン側の最前基地に助言する形で彼はあの場にいた。ブラックジャケットが絡んでいるという情報は以前から聞き及んでおり、最後の決戦で必ず投入されることが分かっていたからだ。その予想通り、彼を含めたブラックジャケットが何人か投入された。

 前線基地まで辿り着いたのは二人、傷を負い、息も絶え絶えに大きな剣を振り回して突撃してきた男と、無傷のサンバンだった。サンバンの状況判断は早かった。基地の兵達が槍で男を仕留めたのを確認した直後に、引き返すのではなく別の道で撤退した。伝え聞いた話によると、崖までの誘導は叶ったものの、誰一人として彼に傷を負わせることは出来なかったという。

 最期には、自ら崖を飛び降りたらしい。

 そのサンバンが、無傷で立っている。十分脅威だと感じられた。場合によっては差し違えるつもりでいたが、ブラックジャケットをクビになった彼は穏やかなものだった。

 しかし、今回は穏便には済まされない。ベアトリーチェと仲睦まじい様子はドライも知っている。少なからずそう言った関係になりつつあるということも察しがつく。

 その彼から、ベアトリーチェを取り上げたらば…。

「ドライ殿、お待たせしました。ご案内します」

「すまないな。ありがとう」

 この事は、騎士団長には伝えなければならない。

 彼と、絶対に交戦してはならぬ。

 そのことを。

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