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魔獣の森はゼイン領とアインハルト領を大きく跨いでおり、地図上から見ても、パンテーラや領都マルタを含め、ゼイン領だけで四つの都市と隣接している。
今回の戦争では、森の中における領地の線引きに関してのいざこざであった。魔獣の森は冒険者だけでなく、領主御用達の特産品の宝庫でもある。しかし領主がギルドに対して出せるのは自分の領内における素材回収に留まる。
そのため、アインハルトは領地を広げることで財政の拡充を図ったのである。
結果は、残念なことになったが、そうしたくなるほどに、魔獣の住う森は重宝されているのだ。
そんなことを考えている間に、領都マルタに到着する。外観はパンテーラとほぼ変わりないが、人の量はパンテーラの比ではない。これが領主の馬車でなければ誰も避けずに足止めを食らったことだろう。
領主の館にはほどなくしてつき、玄関口にて下される。執事と思しき白髪で片眼鏡をした老紳士が出迎えた。
「お待ちしておりました。主人が中でお待ちです。こちらへどうぞ」
深くお辞儀をしつつ、執事についていく。館の中はパッと見た感じは質素だったが、素材に目を凝らせば、木材や石など高い素材を使っていることが見て取れる。
「こちらです」
執事がドアを開けると、執務室らしき部屋が見える。部屋の奥に座って書類を見ていた男が視線を上げると、パッと笑顔になった。
「やぁやぁ、待っていたよ。さ、座ってくれたまえ」
奥の机から手前の対面のソファまでやってきて、自分の向かい側へ手を差し伸べる。軽く会釈をしてから二人が腰掛けると、館の主人は楽しそうに笑ってそばにいたメイドに茶を頼む。
金髪碧眼、少し丸い体型ながらも、脂肪というよりは筋肉に近く、全体的にガッチリとした風貌である。顔立ちは爽やかと言うよりも、柔らか、と言う方が正しいように思える。
そんな男が先に口を開く。
「さて、お忙しいところ来ていただき感謝する。私はこのゼイン領を任されている、アナセマ=ナイト=ゼインという。今回は注目株と言う君に頼みたい事がある。と言っても、君ならそう難しい事じゃない、ブラックジャケットなら日常茶飯事だ」
試す様な物言いに、サンバンは笑顔を崩さない。どうせ割れているだろうとは思っていた。
「内容はなんですか?」
「…うむ。じつは我が領内に、ここ最近ブラックジャケットがうろついているようでね。それだけならまだいいんだが、どうやら雇い主はアインハルトらしい。戦争に負けたのがよっぽど悔しいのか、暗殺でも企んでいるんじゃないかと思ってね。君に護衛を頼みたいんだ」
「そうですか。わかりました」
サンバンが二つ返事で了承すると、逆にアナセマが怪訝な顔をした。
「少しは悩むかと思ったが、随分とあっさりしているな。元同僚を殺すことになるかもしれないんだぞ」
「仕事に私情は持ち込めないタチでして。それに、彼らとは仲が良いわけではありませんからね。良くも悪くも、ボク達は捨て駒です」
「なるほど、そう言う考え方もあるか。なら気兼ねはないな。それにしても、ふむ…」
値踏みをするようにサンバンを上から下まで見やると、うんうんと頷いた。
「ブラックジャケットあがりの冒険者がいると聞いて少し警戒していたのだが、なかなかどうして冒険者が板についているようだな。どうだ、冒険者稼業は。なかなか楽しいもんだろう」
「そうですね、充実しています。そういうお館様も、経験がおありで?」
「我が国では、領主となる者は冒険者を経験し、ある程度の実績を出す必要がある。最低でも五級の等級は求められるのさ。何のことはない、自分の領地で足りないもの、求められていることは、駐屯所よりも敷居の低い冒険者ギルドに集まる。情報収集しかり、民衆の求めているもの、ひいては、今自分の領地で何が起きているのか、それを自分の目で確かめる、経験する事が目的だ。もちろん、命を落とす可能性もあるが、その場合には国から養子が出される。しかも、王位継承権が低い嫡子だ。王家との繋がりを求める輩は、自分の子に死ねと言うくらいだよ」
嘆かわしい話だがな。
アナセマはチラリとベアトリーチェを見る。恐らくは、彼女が何者なのか、既にわかっているのだろう。
それでも態度を変えず、サンバンに話しかけるのは、彼が依頼を受ける冒険者であり、彼女はそのパーティの一人であると理解してのことだ。
「その嫡子も、当然冒険者としての経験を積んで、条件を満たしている必要はあるがね。ただ、もともと領主になること前提で冒険者になった者とは違い、領地への愛や、目の付け所は全く異なる。大概、出鱈目な領策をとって不満によって降ろされるさ。そうなれば、領地としての評価も下がる。現に、その手法で成り上がろうとしたアインハルトは、国王からカミナリを喰らって領地の縮小の話が出ているくらいだ」
「その腹いせが来ていると?」
「可能性はあるだろうな。もしくは、狙いは私ではなく、君と言う可能性もある」
「…なるほど」
アナセマはスッと目を細める。
「心当たりがあるようだな。最近命を狙われるような事でも?」
「いいえ。ただ、組織に戻るようにという指示はありました」
「戻るのかね?」
「この街に入る際に、ボクは解雇された身ですので、古巣に戻るつもりはありません」
それに、とベアトリーチェを見る。ベアトリーチェもサンバンが組織に戻るように言われていることは初耳だったので、食い入るようにサンバンを見ていた。
「今の生活が気に入っています。生まれてこの方、これほど自由にいられた事はないので」
そういうと、アナセマは細めていた目を閉じて口元を緩めた。
「ふふ…。そのあたりも、話はこちらまで及んでいるよ。そこは、冒険者ギルドの規定に従ってくれれば、こちらとしては何も言うことはないさ」
さて、とアナセマは話を区切り、膝に肘をついて前屈みになる。
「改めて依頼の話に戻ろう。内容は私の護衛。近々王都に行く予定があってね、その隊列に加わっていただきたい。私の私兵もいるが、君を呼んだのは相手がブラックジャケットの可能性があるからだ。その手口や考慮すべき点においては、私兵よりも信用できると踏んでいる。ここから王都までは三日ほど、滞在は四日、往復と滞在も含めて十日ほどになる。旅費や食事代、滞在費は私の経費としてこちらで持つ。ただ、装備にかかるものに関しては私の経費では出せないので、ある程度の手持ちはあったほうがいいだろう。報酬だが…」
小さく息を飲むのが見える。
「君を領民として扱い、ブラックジャケットの手が出せないようにする。これでどうだろうか」
サンバンはアナセマの目を見る。
アナセマが領民としてサンバンを得ることに対してのメリットはかなり大きい。たった一人で森の巨大な魔獣を軽々と屠る事ができ、更にはブラックジャケットで培った能力をさまざまな場面でアナセマが命令できると言うのは、他の領主を牽制するに当たってかなりのアドバンテージになる。
対してサンバンが得られるメリットはほぼ無い。
なぜなら、サンバンはブラックジャケットの中で負けた事がないからだ。
だからこそ、ブラックジャケットはサンバンを手放す事が出来ない。しかし下手に刺客を出せば、屍が帰ってくることは明白でもあった。
「現金でお願いします。権利や象徴的なモノは求めていません」
アナセマはガックリと肩を落とし、まぁそうだよな、と頷いた。
「わかった。現金で用意しよう。前金は後ほど渡すから確認しておいてくれ」
アナセマ自身断られる事前提だったようで、すぐに切り替えて執事を呼んだ。その後思い出したようにサンバンに尋ねた。
「一度パンテーラに戻るかね? 部屋なら余っているから、泊まってくれても構わないんだが」
「出立はいつですか?」
「明後日の早朝だ」
「なら一度帰ります。残念ながら言われている手持ちがありませんので」
「それもそうか。では帰りも同じ馬車を使ってくれ、明日の夜にはもう一度馬車を出そう。それからこちらで一泊し、早朝の出発、これでどうだ?」
「構いません。準備をしておきます」
「よし、決まりだな」
その後サンバンとベアトリーチェは馬車に揺られ、パンテーラを目指す。
向かいに座るベアトリーチェが何か聞きたそうにしているが、サンバンはただ待つことにした。正直なところ、サンバンもベアトリーチェとの距離を測りかねているところはある。
ただ、ここまで付き合った好だ、聞かれれば答えよう。そう考えてもいた。
そのベアトリーチェは踏ん切りがつかないようで、サンバンと視線を合わせる事なく、俯いたまま、口をつぐんでいた。




