憧れと今の現実
センター試験に失敗すべくして失敗し、情けない気持ちで過ごしているうちに、2月に入り私大の受験時期がやってきた。
関西大学を受けることにして宿をとり、前日に大阪入りし、下見をすることにした。
私は、団塊ジュニアのうちピークとなる出生数の世代であることから、私が受験するころは、私大の評価がどんどん上がっていく時代だった。
その中で当時の自分からみると関西大学は関関同立の一角で高いブランド感がある素敵な大学だった。
でも、これまで見たこともなかったし、なにやらイメージの良いものがあるので、もし手に入れられたらいいなぁぐらいの感覚だった。
駅を降りて、吹田キャンパスに続く坂をあがっていく。
坂の左右には学生向けの店舗があり、これが話に聞く学生街というやつかと感じた。
正門を入ると、垢抜けたモダンな校舎が並んでおり、格好いいなぁと思った。
このとき、初めて実体を伴って大学というものをイメージすることができた。
帰りの電車に乗ると、同じ車両に関西大学の学生らしき人が3人ほど乗ってきた。
翌日が試験日ということを考えると、研究室に入っている4年生の人たちだったのではないかと思う。
なんだか、四国の中位レベルの高校では見たことないような、シャッキっとした賢そうな顔立ちをしていた。
彼らは、お互いに知り合いではないようで、空いている車両のバラバラの場所に座り、それぞれ専門書を開いて読み始めた。
恰好いいなぁと思った。憧れをもった。
このとき初めて強烈に大学に行きたいと思った。
この賢そうな人たちの仲間に入れて欲しいと思った。
これが内発的動機を得た経緯だ。
まさに偶然の出会いであり、このことがなければ進学先も人生もまた違った道をたどっただろう。
それが良きにしろ、悪きにしろ。
そのあと、関大一高の学生たちが乗ってきた。
彼らは、関西大学に入れるのかと思って、すごくうらやましかった。
その時の私の成績では関大合格は見果てぬ夢や、手の届かぬ星のように感じた。
でも、あの星がどうしても欲しいと思った。
翌日は、試験である。
気持ちを入れ替えたからと言って、試験ができるようになるわけでもなく、当然できなかった。
心を入れ替えた途端に秘められた力が解放されたりしなかった。
当たり前である。
現実には、転生して何の努力もなく最強になったりしない。
試験を終えた後の私は、完全にしっぽを丸めた負け犬だった。
しかし、虚勢を張って、ナンデモナイデスヨという顔をして歩いた。
これを、引かれ者の小唄という。
意味は、刑場へ引かれていく罪人が強がって小唄を唄う様子だ。
まさにそれが私。
当然、関西大学も落ちた。ついでに立命も法政も当然、落ちた。
国公立の二次前期は、徳島大学工学部を受験したが当然落ちた。
問題を解いている他の受験生を眺めて「みんな真剣だ」と思い、何も準備してこなかった自分が居ることを場違いに感じた。
二次後期は、申し込みはしたものの受験にすら行かなかった。
内発的動機を得た経験から、私が受験生にお勧めしたいのは大学を見学することだ。
口ではどこの大学でもいいと言っていても、実際に見てしまうと、やっぱり皆が良いと言っている大学はなんらかの魅力がある。
いくつかの大学を見て比べてしまうと、どうしてもあっちよりはこっちへ行きたいとなるのだ。
見たこともない、どのような人たちがいるかもイメージできない大学目指して情熱をもって勉強することは難しいと思う。
もし、実際に見て、本当にそこへ行きたいという思えれば、それは勉強をする強烈なモチベーションになる。
本当に欲しいと思えば、それを手に入れるための工夫のアイデアが湧いてくる。
本話では、モチベーションの獲得について話した。
次話では、浪人時代のタイムスケジュールと、勉強環境について語ろう。