8.出会(であ)い
〇前回のあらすじです。
『【学院】の前学長に、貴族のつきそいをたのまれる』
一日で支度をすませた。
八月の中旬。【ワルプルギス山】ふもとの都市に和泉は来た。
キレイに――【学院】の威信を損ねないように仕立てた、よそ行きのシャツとスラックス。
絹のネクタイを慣れない手つきで締めた格好に、上から夏仕様の黒法衣を羽織っている。
午前の九時。
天候の乱れ――台風や嵐が基本的に少ない【裏】の世界は、今日も快晴。
積乱雲さえ出ていない、青くさわやかな空模様である。
「ここで合ってるよな?」
――会えばわかる。
箔教授にそう言われた後、教えられた待ち合わ(あ)せ場所は、【トリス】の町――【学院】に比較的ちかい都市――の、停車場である。
三日の旅程を経てホゴル領に入り、当該地域にまつわる不穏なウワサを調査する。
それが箔前学院長から和泉に与えられた仕事だ。
が。
(まさか。先に行っちゃったのかな)
調査には相棒がいる。
というか。実際に主体となるのは相方のほうで、和泉は彼女のつきそいである。
彼女の名前と見た目の特徴は、事前に知らされていた。
生徒名簿の高等部三年のページにあった、黒髪黒目の少女。
馬車が来た。
しかし和泉は動かず、乗車を見送る。
下車した客らが、ちらちらと横目にこちらを見て通り過ぎていく。
大陸随一の魔法教育を誇る【学院】の、教員・研究者用の黒法衣を着ているのが人目を引く要因だろう。
からん。
メインストリートのほうで喫茶店のドアがあいた。
まだ人の少ない時間帯だからか。ベルの音がやたら強く、すずしく耳朶に触れる。
店から一人の魔女が出てくる。
迷いのない動きで顔をあげ、彼女は南門の手前――停留所にぼさッと立つ唯一の待ち客に焦点を合わせた。
「和泉教授。ですわね?」
「あ? あー。……うん」
鮮烈な真水をあびせられた気がして、和泉はぱくぱく。窒息した魚みたいにくちを開閉した。
「えっと。おまえは――」
相手の風采を確認する。
年は十七。
大人びたキレイな顔に、腰までのびた黒い髪。細く編んだ横毛を耳の前におろして、赤いリボンで結んでいる。
線は細いが、身長は和泉よりやや低いくらい。
ノースリーブのシャツと短いスカートの服装に、上から学生用の白マントをつけていた。
ほっそりとした首からさげているのは、まだらのストール……。ではなくて。黄色に黒斑の毒ヘビ。
「メイ・ウォーリック。で、合ってる?」
「そうですが。御前に『おまえ』と呼ばれる謂われはありません」
持っていたトランクで、彼女――ウォーリックは、へっぴり腰に指差す和泉の手をはたき落とした。
ゴッ。
と。わりと洒落にならない音が青年の手首からあがる。
「うぐおおっ……!」
うめいて、和泉は腫れた手をプランプランさせた。
ゆるい丘陵にのびる街道を、学生の少女はのぞきこむ。
「馬車が来ますね。あれに乗りますわよ」
涙目で和泉はウォーリックに取りすがった。
「おまえさあ~。遅刻しといて、その態度はないんじゃないの。大体オレは、おまえの調査をサポートする立場なんだからさ……」
――もうちょっと、穏健にたのむよ。
と訴えようとすると、睨まれた。
「結構。わたくしは一人でもできると、同盟には言ってあるのです。それを、弱小領地の若輩者だからとか。新参の名だから信用ならないとか」
業腹。
というよりは。現状を観察する淡泊な調子でウォーリックは言った。
「それより教授」
和泉の右手を見て、彼女は嘆息する。
「あなたのことは、少しは耳に入れています」
【学院】でも目に掛けられたものに贈られる、【ソロモンの指環】。
それが彼の中指にはある。
和泉はなんとなく居心地悪く、「そっか」とそっぽを向く。
「そこそこは出来る魔術師だとうかがっています。ですが。一時であれ、あなたの世話になる気はありません。箔がどういうつもりであなたを寄越したのか。わたくしには分からない」
(……オレにもわからない)
めそめそ。
胸中で涙して、和泉はウォーリックに同意した。
馬車が来る。
馬蹄と車輪の音が、ふたりのまえで停止する。
「まあ。なにはともあれ一緒に行くんだ。よろしくたのむよ。メイ」
――しゃあッ。
ヘビの顎を指で押して、その毒牙を生徒の魔女が和泉に放つ。
握手のために差し出した手を――とっさに和泉はホールドアップに変えた。
「気安く呼ばないでいただけますか。和泉教授」
「……よ。よろしくおねがいします。ウォーリックさん……」
乗車をする前から酔ったように顔色をわるくして、ピクピク和泉は頬をケイレンさせた。
ウォーリックは、幌を張った客席に乗り込んでいく。
頭と胃の痛みを堪えつつ、和泉もまた、彼女につづいて馬車の後部カーテンをくぐった。