s2.summon(召喚)
〇サイド・ストーリーです。
内容は、『メイ・ウォーリックと、クリーチャーの戦い』です。シリアスです。
これは、和泉教授が宮殿の上階へ行った後。ウォーリックの残った、エントランスホールでの話である。
〇
正面ホールには水蒸気が満ちていた。
大きく膨れあがった、三つの人面。成人の身長をかるく越した犬の身体にくっついた、実験体のなれの果てが、青い業火を吐きつける。
蒸気を切り裂いて迫る蒼炎を、ウォーリックは魔術の障壁で防いだ。
長い黒髪に、学生風のブラウスとスカート。上から魔術の名門校・【学院】の生徒であることを示す、白いマントを羽織った十七才の少女である。
【貴族】の出身であるためか、高等部生でありながらすでに無発声での魔術展開――『ひばりの技法』を彼女はものにしていた。それは戦闘において、かなりのアドバンテージがある――。
という理屈が通用するのは、同じ魔術師が相手である場合のみと言えた。
強力なブレス攻撃を――魔術に匹敵する能力を、任意に撃てる【異形生物】は、無詠唱の魔術師と、純粋な『危険性』という点でなんら劣るところはない。
すでに負った左頬のやけどにヒリヒリとした痛みを感じながら、ウォーリックは火炎の止まるのを待った。
ちらっ。とクリーチャーのそばを確かめる。
晴れつつあるスチームに、人の影。
誰あろう三頭人面の化けものをけしかけた当人――マーゴットである。
違法薬物である【ゾンビパウダー】の製造、および使用の容疑――というかもう確定だが――のある魔術師。ここホゴル領の領主であり、ウォーリックたちの本命である、ギルベルト・G・ホゴルの使い魔。
本来のすがたは椋鳥で、この戦場から飛んで離れようとすれば、いつでもできるだろう。
――が。彼女はそうしようとしなかった。
ウォーリックが朽ち果てるのを待っているのだ。
主人の邪魔となる魔術師が、ひとりでも減るのを見届けて、安心を主に提供したい。
フッ。とウォーリックは噴飯した。
蒸気が晴れ、火の勢いも弱まる。
息つぎに、三つの頭が軽く首をそらす。
大理石の床をウォーリックは蹴った。斜め後ろに跳ぶ。クリーチャーと距離を置く。自分の全身をつつんでいた障壁を消す。
「そろそろ観念なさったらどうですか」
やんわりとした笑顔でマーゴットが宣った。
色硝子を通る光の下で、髪飾りをつけた長髪が、とび色の光沢を帯びる。
使い魔の身なりを見れば、それが主である魔術師からどういう扱いを受けているのか。だいたいの目星がつく。
彼女は愛されていた。
「警告ですわ。マーゴット」
自分の黒いロングヘア――両耳のまえに垂らした細い三つ編みに、ウォーリックは右手を伸ばす。
結んでいた赤いリボンを、片方ほどく。
「今から十秒以内に、ここを去りなさい。でなければ。あなたも口封じに死んでもらうことになります」
「はあ?」
マーゴットは半分笑ったまま、首をかしげた。
『がうッごおおお。おおおああがああッ!』
吠えながらクリーチャーがウォーリックに突進する。
片手に提げていたマスケットで、ウォーリックは、真ん中の頭を迎撃する。
化けものの勢いがほんのわずかにゆるんだ。が。
残りふたつの意識が、獣の巨躯をなおも前進させる。
胸中で秒読みをはじめながら、ウォーリックは跳んだ。横へと。
「残り八秒ですわ」
「自分の状況を、わかってものを言っているのですか?」
可哀想なものを見る風情で、マーゴットは問いかけた。
戦況はウォーリックが不利だった。
上の階へ行ったもうひとりの魔術師も、もどってくる気配はない。
するり。
一匹のへびが、ウォーリックの首から降りる。
使い魔のリリンだ。
彼女――黄色と黒の毒へびが、マーゴットには、主のもとから逃げようとしているように見えた。
カウントダウンはつづく。
クリーチャーが猛り、黒髪の魔女めがけて突撃する。
ホールの壁が、怪物の巨体を受けて瓦解する。
跳躍で避けたウォーリックが、エントランスの扉わき――白亜の円柱に背をぶつける。
武器を消す。
追いつめられた獲物を、クリーチャーのくちが狙う。
「時間切れですわ」
ウォーリックはつぶやいた。
魔力を解放する。
足元に、古典魔術文字による魔法陣が浮かびあがる。
「『時間切れ』? どっちが――」
マーゴットの嘲笑が、途中で凍る。
「……ッ!」
ウォーリックを中心として、大理石の床に奔る光の紋様。魔術師のちからの軽い暴走状態を示す【コラール】という現象だ。
魔力の制御がヘタな粗忽ものが、たまに引き起こす漏電的事象だが、任意に呼び起こせるのだとすれば、「未熟」の誹りは保留にせざるを得ない。
自分の安全装置を、自分の意志で解除できる魔術師ほど、始末に負えないものはない。
なにより。マーゴットを心胆寒からしめたのは、彼女の使う文字にあった。
(古典魔術文字!!)
かつては『悪魔文字』とも言われた、魔術師の力量をいかんなく発揮するための文字媒体。
現在一般的に使われている魔法文字とはちがって、術者への精神的侵食を許し、魔力をより高位の領域にまでシフトさせ、通常では不発に終わる事象や存在を呼び起こす。
赤いリボンを、ウォーリックが魔法陣の中心――自分の足の先に落とす。
魔法円の外から、クリーチャーが阻止するように突貫を繰り返す。が。
もはや複雑な図形をなぞり終えた魔力は、強靭な砦となって内部の魔術師を庇護していた。
緋色のリボンは血染めだった。
そして。
魔法陣に描かれた悪魔の文字は、『解放』を意味していた。
マーゴットは、はッとする。
もともとウォーリックの家には五人のきょうだいがいた。それが家督を継ぐ際に、たったひとりになったという。
風のたよりに――ゴシップていどに聞き流していたが。今。ようやくそれが、どこにでもある跡目争いとは少し意味合いのちがうものだと気がついた。
マーゴットの心中をウォーリックも察したらしい。
紫がかった黒い瞳。貴族特有の、野心と独善に満ちた、暗い輝きを灯した――。
「わたくしの兄。長兄『ペルデュラ』の魂ですわ」
手短に紹介をして、ウォーリックは〈贄〉をささげた。
血色のリボンを、サークルの中心に移動していたへびがくわえる。
まぶたの無い目が、いっそう毒々しく、鮮烈な煌きを放つ。
低く。ウォーリックが唱える。自分の本当の名とともに。
「我はメイザーズ=アレイスター・クロウリー。原初の魔物よ。異端の母よ。我が同胞の御霊を以て、汝の本性を、此処に示せ!!」
――へびの身体が爆散した。
膨大な魔力が、ホール全体を圧迫する。
重力が何倍にも膨らんだようなプレッシャー。
全身にのしかかる、強烈な畏怖の感情に、マーゴットは必死にあらがった。
垂れそうになる頭を持ちあげて、目を見張る。
宙に。巨大な影が浮かんでいた。
黒い化物。
主が愛読していた『英雄物語』の挿絵でしか見たことのない。大蛇のように長い胴に、トカゲの手足をつけた獣。
それは巨きな竜だった。
「悪魔……!」
マーゴットは声をしぼりだす。語尾が震える。それは歓喜だった。
悪魔を使い魔として所持するのは、主人が犯した罪など比べものにならない大罪で――。
「こんなことが、ほかの貴族に知れたら!!」
恐怖と。免罪符への期待に、引きつった笑声をあげながら。マーゴットは逃げる算段をはじめていた。
椋鳥に変身して、すぐにでもよその領へ飛び、ウォーリックの瑕疵を報せる……。
そうすれば、当地での『問題』は一時保留となり、さらには【悪魔契約】による危険を事前に防いだとして、ほかの貴族からの恩賞も難くない。
【悪魔】とは。
魔術師にとって、それほどまでに絶大であり。禁忌であり。
――脅威。なのだ。
ましてや。クロウリー姓。
ウォーリックの名乗りがほんとうなら、彼女はこの世界における【大貴族】のひとりであり、そこに君臨する機会は、多くの有力者たちが息をひそめてねらっている。
「ええ。ですから」
ばぐんッ。
竜の頤が動いた。宙に鎮座していた巨躯をうねらせて。
【原初の悪魔】は、陣の外にいたものを食った。
クリーチャーが弾け飛ぶ。
胴をひと噛みされた合成実験体は、紫紺の血液と肉片を、空中に撒き散らした。
短い断末魔。
竜は化けものの臓腑を、少しのあいだ貪った。
が。やがて「ペッ」と肉を吐きだす。
くちに合わなかったらしい。
ウォーリックがつづける。
「マーゴット。もはやあなたを逃がすわけには、いかないのです」
――はっ。
とマーゴットは息を吐いた。肺からすべての空気が押し出されたような空虚感。
死を逃れんとする本能が、使命感と同期して、彼女をもとのすがたに変える。
一心不乱にはばたく。
どこか……。開いている場所を探して。
だが。
窓はすべて閉じていた。
ウォーリックが、高速飛行の魔術で追いすがる。
どうして悪魔に追わせないのか。とマーゴットは小さくなった脳みそで考えた。がっ!!
人間の手が全身をつかむ。
黒い羽が、グッと握られた五指によって閉ざされ、身動きが封じられる。
クリーチャーの体液で汚れた地面に、ウォーリックは着地した。
「あなたのことは気に入りませんが……」
使い魔は主人の【命令】に忠実だ。主となった魔術師のちからが大きければ大きいほど。その貢献度と忠義は厚くなる。
また。これは魔術学者のあいだでは「ロマンチックですな」と鼻で笑われている論だったが――。
術者の愛情が深ければ深いほど。なおさら。
「最後の慈悲ですわ。地獄へ逝くよりかはマシでしょう」
ぐしゃ。
椋鳥をウォーリックは握り潰した。
小さな悲鳴。
赤い体液を黄色いくちばしから吹いて、黒い毛の鳥類は動かなくなる。
背後で、竜が人のすがたを取る気配がした。『解放』の時間切れがきたのだ。
毒ヘビのすがたではなく、人間の子供――十二才ほどの、みじかい黒髪の少女になったリリンが歩いてくる。
赤いリボンをおさめた腹を、ぽんと叩いて。
「自分の兄貴は地獄送りにしときながら、けっこーなお情けだよね」
「わたくし。あの人に関しては『キライ』というレベルではなかったので」
リリン――悪魔のちからを喚びさますには、相応の魔力を持つ魔術師を供物とする必要がある。
本来ならば、呼び出す術者自身の魂が、そうした〈贄〉の役割を負うのだが。
ウォーリック家は少々の事情をかかえる家柄だった。
そのため、さる目的のために、強大なちからを借りることもあるだろうと、捨て駒としていくつかの英霊を用意していた。
英才教育をほどこされてきた同胞同士で、跡目争いという名目のもと戦わせ、散っていった敗残者が、生き残った跡取りの〈身代わり〉をつとめる。
「つぎは使うのだれにするの。機会があるとして。だけど」
「長女のエリファス」
もう片方の三つ編みを結ぶリボンにウォーリックは触れた。
「そのつぎは?」
間髪入れずにリリンは問いを注ぐ。
幼いころ。しょっちゅうつるんでいた次女か。なんだかんだで可愛がっていた末弟か。
ウォーリックは、どちらとも答えなかった。
【おわり】
読んでいただき、ありがとうございました。




