6.紅茶
〇前回のあらすじです。
『ヘレスが和泉を箔の家に案内する』
〇
箔。
【学院】の学長を引退して久しいその男は、灰色の頭髪をワックスでオールバックにした、いかめしい顔つきの初老の魔術師である。
ポロシャツにチノパンの衣装を彼が着ているのは、校内ではあまり見たことがない。
私服の元学院長をまえに、和泉は居間の入り口から動けないでいた。
「すまないな。急に呼びたてて」
ぱん。
と読んでいたファイルを閉じて、男――箔 時臣は、深い声を出す。
和泉は自分の後ろ頭に手をやった。ヒクツな調子で。
「いえ……。えーっと……」
ギコチなく彼は答えた。
というのも。目の前の魔術師とは以前、ある少女をめぐって小競り合いがあり、その反目について、和泉はまだ消化ができないでいる。
箔は対面の席をすすめた。
「なに。取って食おうというわけじゃない。――おい。茶を出してやりたまえ」
箔の後半のセリフは、使い魔の青年――ヘレスへの命令だった。
総髪の男は首肯して部屋を出る。
おそるおそる。和泉はソファに座った。
黒い法衣(魔力に対する防御の加護がかかった上着)は、はずさないまま。
ややもすると、紅茶が運ばれてきた。
ローテーブルに、ふたり分。
ヘレスが置く。
砂糖を一杯入れて飲む箔につられるように、和泉も砂糖を二匙とミルクを入れてくちにふくむ。
「任せたい仕事ができてな」
――箔が切りだした。
「【学院】とは関係のない案件で、君に白羽の矢を立てるというのもおかしな話だが」
黄色いレンズの向こうで、和泉は目をぱちぱちしばたたかせる。
「学校、関係ないんですか。オレはてっきり、ほかの授業も肩代わりするとか。いいかげんめざましい研究成果を見せろとか言われるのかと」
「自覚があるようでなによりだ」
あがっ。
和泉は自分の失態を悟った。
箔が話をもどす。
「だが。それと今回の依頼については、切り離して考えてもらいたい」
「はあ……」
「貴族同盟というのがあってだな」
バインダーのファイルを箔はテーブルにすべらせた。
うながされて、和泉はひらく。
【貴族同盟】――。
科学偏重の世界・【表】とは断絶した、魔術師の世界たるこの世界であるここ【裏】は、国家という単位を持たない。
とりわけ人口の殺到する中央大陸――【パンゲア】は、東西南北、津々浦々、大小の違いはあれど、土地をこまかく区分して、魔術師としての力量と高い教養をそなえた腕利きの家系――【貴族】による自治を基盤とする。
それは同時に、【領地】という狭小な社会において、『独裁をゆるす』ということでもあった。
【裏】には原則として、貴族を上まわる権力者などいないのだから。
そこで。各地の領主が加盟し、互いの動静を見守り、時によその地域の過剰な支配を取り締まる懲罰機構、【貴族同盟】が発足した。
箔はそうした貴族のなかでも、とりわけ大きな家の出なのだが――。
巨大な、【名家】の出身は、多くの場合偽名を使い、本名を伏せて、その出自を隠している。
和泉は、箔が【裏】の世界維持を司る重鎮であることを、特殊な経緯から明かされていた。
が。所詮は和泉もまた一介の魔術師。
箔の担っていた具体的な作業も、そもそも彼が偽名を使っていることさえ、知りはしなかった。