4.黒い狼(おおかみ)
〇前回のあらすじです。
『ひとりの男が和泉に声をかける』
背後にスーツすがたの男が立っていた。
としは二十代の後半くらい。
黒い総髪に、万年にこにこしたような細い目をしている。
痩せてはいるが、長身のためか貧相という印象はない。
品良く――あるいは潔癖に育ったがために、無駄な肉がつかなかったというような。紳士然とした体格。
「えーと……」
和泉には彼の名前が出てこなかった。
横にいる少年――クロに、こそっと耳打ちをする。
「誰だっけ?」
「さあ?」
天丼にがっついたまま、関心なくクロは返す。
総髪の男を見て生徒らのかしこまる声や気配が、食堂のそこかしこでする。
和泉も「どこかで見たかな」という認識はあるのだが。
「キチンとお話しをするのは、これが初めてですね」
居住いを正して、男は自己紹介をした。
「ヘレスと申します。箔 時臣前学長にお仕えする、使い魔です」
『箔』と聞いて、和泉はこわばった。
「そっ。そっか」
ようやっと、目のまえの男の正体に思いあたる。
――数年前まで【学院】の管理を負っていた、現在は付属の研究所で所長を務める魔術師。箔 時臣。
彼がごくまれに用を命じていた、黒い狼。
「はじめまして。ヘレス……。……さん」
ぎくしゃくとした表情で、なんとなくヘレスに敬称をつける。
ちょっとしたイザコザが、箔教授とは少し前にあったのだ。
(まさか。その報復じゃないだろうな……)
内心で和泉は疑った。
笑ったような眼差しのままヘレスが言った。
「昼食後。箔の屋敷に来ていただきたいのです。まかせたい仕事があるとのことで」
「あー……」
ばつが悪そうに和泉は頬を掻く。逃げ出してしまいたい。
「わるいんですけど。オレ、午後も講義があるんで……」
「そちらのほうでしたらご心配なく。すでに休講の申し出は通してありますので。掲示板への告知も、済ませておきました」
和泉は指で額を押さえた。
「お食事中のところ、邪魔をしてしまったのはすみません。案内をまかされていますので、食べ終えたら声をかけてください」
ホールでお待ちしています。
と最後につけ足して、ヘレスは食堂を出ていった。
〇
スマートな男――ヘレスの去ったあと、クロが訊いた。
「どうするの。マスター」
「行くっきゃないだろう。前学長っていっても、ないがしろにできるような相手じゃないんだからさ」
箸で定食を突っつきながら、和泉はブツクサ言う。自分のセリフを癪に感じつつ、カットステーキをほおばる。
「それ。ボクもついてったほうがいい?」
「クロはゆっくりしてりゃあいいさ」
くちをモゴモゴ動かして、和泉はほかのメニューが湯気を立てて並ぶワゴンの列を振り返った。
「リブロースの煮込みも食べたかったんだけどな」
「食べれば?」
「あんまり待たせるワケにもいかないだろ」
「じゃあ。マスターのかわりにボクが食べといてあげるよ!」
「それでオレのなにが満たされるっていうんだ……」
こめかみをヒクつかせてクロに言った。
昼食をいつもより速いペースですませて、和泉は食堂を出た。