2.なつやすみ
〇前回のあらすじです。
『遠くの領地で事件が起こる』
【裏】と呼ばれる魔術の世界。
電子と科学――ありていに言えばインターネットや自動車、飛行機といった現代文明から隔絶された、中近世で景色の低迷した世界。
三つの大陸――なかでも最も大きく、海洋の中心に存在する【パンゲア】。
このパンゲア大陸の北部にある山岳地帯に、魔術師の最高学府たる【学院】はあった。
切りひらかれた山のなか。
段々にならした都ほどもある敷地の一区画に、厳然とそびえる石の巨城。
さる古城を模したゴチック風の建物は、子供から大人までの魔術師見習いを教育する【学舎】だった。
ぐるりと周囲をめぐる森林も。校舎の離れに萌ゆる緑の庭園も。みんみんわめく蝉の声でかしましい。
〇
(なにが悲しくて……)
かつッ。
黒板にチョークでピリオドを打って、和泉は眉間に皺を寄せた。
(夏やすみまで、授業をせにゃならんのか!)
白い短髪に、義眼のうえから黄色いサングラスをかけた青年である。としは今年で十八になった。背がいくらか伸びて、去年までは低めだったのが中背と言えるまでに達している。
青の半袖に薄地の綿パン。新調したハイカットシューズの格好に、上から教員用の黒法衣を羽織っている。
というのも、彼はすでに学舎を卒業し、然るべき試験を受けて教授の地位を手に入れた身分だからなのだが。
かーん。かーん。かーん。
午前の授業終了のチャイムが、ひな壇の講義室に響く。
『心理学概説』。
和泉が請け負う授業をタイクツそうに聞き流していた生徒たちが、「待ってました」とばかり教材を整えて席を立つ。
毒にも薬にもならない板書を黒板消しでぬぐって、和泉はぱっぱと手をたたいた。
講義室をあとにする。
――昼休み。
義眼の両目を窓からそそぐ日射にすがめつつ、和泉は食堂を目指した。
かつては【学院】敷地内の自宅にもどって、使い魔の作った昼食を食べるという生活を送っていたが、カレーが三十日つづいたのを機にやめた。
自分の右手をなんとなしに見る。
五芒星の意匠が入った指環が、中指にはあった。
昔、仲良くなった教授から押しいただいたものだが、この鉄と真鍮の指環は魔術師にとって少々の価値を持つ。
魔力も呪力もない、ただの金属の塊ではあるのだが、学院内においては、持つものに絶大な『特権』を所有することを約束する。
それはひいては、【学院】を『魔術師の最高学府』と謳う【裏】にあって、学外の住人たちにも影響をおよぼすものだが――。
和泉は【学院】と、その近辺の町以外に行ったことがない。
なんにせよ。この指環によって和泉は学生時代に飛び級をかさね、卒業後には教授の位にスピード出世した。
その基盤には彼なりの修練もあったのは確かだが、実力のみでのしあがれるほど【学院】はキレイな構造をしていない。
とはいえ。
(なあにが特権だ。だったらなんで一回断ったのに……。夏季休暇中の集中講義が、オレのとこにもどってくるんだ!)
北の――【ワルプルギス山】にしてはめずらしく、今年は上昇傾向の強い気温。
汗ばむ陽気に和泉はこめかみをピクつかせる。
はぁ。と嘆息する。
(茜も旅行に行っちゃったし、オレもたまにはのんびり、どっか観光でもしたかったんだけどなあ)
とぼとぼ。
廊下を歩いていく。
茜。というのは、【学院】のなかでも最強の魔術師――【賢者】の職位を持つ少女のことである。
数年前から彼女と和泉は交流があり、去年の秋終盤までは、彼女がらみのごたごたで忙しかった。
が。今年はひまである。仕事がなければ。
ぐう~。
おなかが鳴る。
「……とりあえず。ごはんだな」
午後には実技の講習がある。
食堂には、一階のホールから行けた。
階段の踊り場にある霧がかったアーチ状のフレームのまえで立ち止まる。
人ほどの大きさもある壁の模様めいた転移装置に身体を入れて、和泉はホールに下りた。