10.さけびのポーズ
〇前回のあらすじです。
『馬車ではなしかけてきた男に、生徒の少女が一言返す』
(メーイ!!)
両手を自分の頬にあてて和泉は戦慄した。
眼前にいる、イケすかない中年の男に一言。暴言を飛ばしたのは、トランクをはさんで和泉を背もたれに本を読んでいる少女だった。
ムンクのさけびのポーズで、和泉は固まる。
「……なんだって?」
険を濃くした掠れ声でうなり、四十代ほどの男は、彼女――メイ・ウォーリックに、犬歯を剥いた。
ぺらり。
ウォーリックは本のページをめくる。
……。
……。……。
男は少し待った。
和泉もようすを見る。
ガタゴト。
という車輪の音だけが、馬車のなかに鳴っていた。
用事はもう済んだとばかり。ウォーリックは男のイラつきにかまわず読書をする。
「……。そっちの――。白いやつ」
髪の色で呼ばれて、和泉ははっとした。
「保護者になるんだろ。いちおう」
男はつづける。
和泉の黒衣を指差して。
「【学院】は、初対面の人間に無礼をはたらいてもいいと。そんな無作法を生徒に教えてんのかね?」
(な……っ)
鉤鼻を上にやって、男は壁に固定してある長椅子に体重をかけた。
(なんとかして、このおっさんを黙らせてやりたいな……)
むかむかを通りこして。頭が逆に、冴えていく。
「そっちの嬢ちゃんに謝罪を要求したいんだが?」
くちの端をつりあげて、男は方眉を動かした。
険悪な空気にほかの乗客がいつのまにか雑談をやめて、ふたりからそれとなく距離を取っている。
思案して。和泉は答えた。
「彼女があやまる必要性を感じません」
車内の温度が急激に上昇――。
あるいは。暴落した。
「はあっ?」
憤りを隠すのをやめて、男が目をすがめる。
「確かに。うちの生徒のくちは悪かったと思います。それについては、後ほど注意をします。ですが、」
和泉もまた、かなりむきになっていた。
「『無礼』うんぬんについては、あなたも彼女と同等かそれ以上の配慮のなさがあったと思います」
「おれは事実だけを言ったつもりだがね」
男は身を起こした。
魔法のひとつでも撃つ勢いだったが、彼は膝の上に手を組んで、平静を保っていた。
「あんた……。まだ十代だろ。それが研究員クラスなんて。お偉いさんに上手いことすりよって、贔屓にしてもらったんでもなきゃ説明がつかない」
白髪の青年の右手を男は注視した。
「その証拠が、あんたがこれ見よがしにつけている【ソロモンの指環】じゃないのかい?」
ソロモンの指環を、敢えて、和泉は掲げた。
馬車後部の出口から差し込む午前の陽に、五芒星の意匠が光る。
「これを身につけるに相応するくらいのことは、やってきたつもりです」
「どうだか」
「証明。しましょうか?」
圧縮し過ぎた怒りに、サングラスの向こうで濁った黒い両目。
魔法の素材で作った――それゆえに視認を可能とする『義眼』のひらめきに、男は身動ぎした。
彼は問いかける。
「どうやって」
自分の着ている法衣のすそを和泉は掴んだ。
「これは、【学院】で支給されている上衣です。この法衣は特殊な材料で織られていて、外界からの魔力の干渉を防げるようになっています」
「で。あんたはそれを着ているから、『ケンカ売ったところで勝目はないですよ』ってか?」
和泉は首を横に振った。
「法衣の防御は、絶対ではありません。小さい魔力であれば、ほぼ完全に無効化してくれますが」
「防御力をしのぐほどの魔術であれば、装備者に効果がおよぶってか」
「はい」
説明をつづける。
「それで……。指環を持つ人――【指環持ち】ってオレたちは呼んでますが――は、例外なく、この法衣のちからをしのぐだけの威力を出すことができます」
「結局。脅しかい」
はっ。と男は息を吐いた。
「……この法衣をオレがまとっている状態で、あなたに一度、魔術を撃って頂きたいんです」
男は自分の鞄に頬杖をつこうとして、中断した。
肘をおろして、目のまえの魔術師の法衣をためつすがめつする。
和泉は視線を逃がした。指環に。
「それでもし、『あなたの魔法がオレになんの効果も与えず』かつ、逆に『オレの魔法があなたに効いた』時には……。この指環はだてではない。今回のトラブルは、あなたの当校の学長への侮辱をいさめただけの行為だと、認めて頂きたいんです」
「じゃあ。おれの魔術があんたに効いたとしたら?」
「謝罪します」
「あんたにあやまられても。ねえ?」
「ふたりで。です」
「……そうかい」
胸のまえで腕組みし、男は値踏みするように白い髪の魔術師を斜めに見おろした。
「しかし。生憎と俺にはそーゆー高価な外套は、」
「お貸しします」
ウォーリックをどかして、和泉はトランクからスペアの法衣を掘り出す。
が。衣類への細工を疑って男が制した。法衣は、いま和泉が着ているものを先攻・後攻で順番に使うことにした。
「あんたが負けたら、法衣も慰謝料で持っていくかな」
「いいですよ」
挑戦的なもの言いに、和泉は即応じた。
「あなたに法衣を持っていくなんてコトは、ぜったいにできませんから」
あいてを正面に見据えて断言する。
一瞬。
少女が本から顔をあげた。息巻く青年に、「どうやって」と、不可解そうな瞳を向ける。




