09. 毒と宝石
「ねぇミーナ、どうしよう……」
いつもは溌溂としたユリアが弱弱しく呟いたのは、ファラフナーズとの一件があってから1か月ほど経った時の事だった。
しばらくは警戒していたものの、特に何事も起こらなかったことからファラフナーズ達が諦めたと結論付け、「舐められたら終わりなんだよ」などと自慢げにザラたちにドヤってから数日後のことだった。
「めっちゃ身体がだるいんだけど」
日頃から天真爛漫といったユリアは、しばしば調子に乗って無茶をしがちだ。好きな料理が並ぶとついつい食べ過ぎたり、レイラから調達した酒をがぶ飲みして二日酔いになることも珍しくはない。
だからこそユリアが腹痛を訴えた時も、周囲はおろか本人さえそれほど大事であるとは思わなかった。
ザラは悪戯っぽくおちょくりながら、レイラはここぞとばかりに乾燥させた薬草を売りつけ、ミーナは小言を言いながらレイラの薬草を煎じてユリアに飲ませる。いつもならこれで、2日ほど経てば回復してる……はずだった。
しかしユリアは2日が経っても、3日が経っても、体調不良を訴えた。青ざめ、声だけでなく全身を悪寒に震わせている。
看病するミーナが少し触れただけで、ユリアの身体からは尋常でない熱が感じとれ、深刻な毒素に全身を蝕まれていることが感じ取れた。
「……毒を盛られましたね」
恐らく、というか十中八九、犯人はあのファラフナーズだろう。少し時間がたって油断した頃合いを見計らって、どこからか毒を盛ったのだ。
3度の食事、何度かあるティータイムやコーヒータイム、あるいは入浴後に飲む水や果物など、探せば怪しい線はいくらでもある。
とはいえ、いかにファラフナーズいえど、さすがに致死量を盛ることは憚られたらしい。あるいは単にユリアがたまたま少量しか飲まなかったのか、どうにか一命を取り留めているのは不幸中の幸いといえる。
「はぁ……」
だから気をつけろと言ったのに、とミーナは心の中でぼやきつつも、苦しそうなユリアの前で言葉に出すことは憚られた。
とりあえずジンジャーとヨモギを煎じた薬湯を持っていくと、ユリアは脂汗をかきながらも身体をおこした。心配をかけまいという空元気なのだろうが、ユリアはマイペースに見えて意外と周囲を気遣うところがある。
「いいから、動かないでください。悪化すると困りますので」
「はい……」
やはり限界だったのか、特に反論も皮肉もなく、ユリアは素直に渡されたボウルから薬湯を飲む。
まるで子供みたいだな―――とミーナは思った。
どちらかといえば派手顔で、モデルのように長身でほっそりしているユリアは、ザラと違って「可愛い」という印象を与える方ではない。
しかし女性らしい色気があるかといえばそうでもなく、胸も豊かとはいえないし、胴から腰にかけてのラインも曲線というより直線的に見える。年下で幼馴染みの男の子とでもいうべきか、とにかく弟のように生意気だが放っておけないのだ。
その証拠に、身体は弱っているとはいえ、いまだにユリアの精神は気丈である。
こんなことになっても負けん気だけは健在のようで、夢うつつ眠そうに瞼を閉じたり開けたりしながらも、元凶たるファラフナーズへの呪詛を呟いていた。
「後で復讐してやる。アイツぶっ殺す。絶対に泣かす、ブチのめす――」
「……ユリア様って、本当に元気ですよね」
皮肉っぽい言い方になってしまったが、ミーナは密かに本気で感心していた。
今回の件は、「次はタダじゃおかないぞ」というユリアに対する明らかな警告だ。普通ならここで心が折れ、媚を売るとまでいかずとも目立たないよう大人しくするだろう。
実際にそういった変化を目の当たりにしたことは何度かあるし、ミーナ自身そういった面倒ごとを嫌って日陰に甘んじてる日々を良しとしていた。
それでも無謀の一歩手前を攻めていくユリアを見ていると、少しだけ違う世界が見えるような気がする。
そのうちまた面倒ごとを起こすんだろうなという予感がしつつも、なぜだか好奇心をそそられている自分に気づいて、ミーナは少しだけ赤面した。
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そして1週間ほどしてからユリアは完全に回復したが、しばらくは懲りたのかミーナの忠告を受け止めて存在感を薄めることに決めたらしい。
次にファラフナーズたちがからかいに来たときは反抗せず、困ったような顔を浮かべながら、どれだけ馬鹿にされても愛想笑いに徹していた。
だが、その頃からユリアはハーレムでの身の振り方を真剣に考えるようになった。このまま一生をこの窮屈な空間の中で細々と終えるのか、あるいは別の道を選ぶか。
結局のところ他人の悩みなど分からないものだが、大抵の悩みというものは結論が最初に出ている。あとは結論を行動に移す気分が高まるかどうかで、その点ユリアそれほど面倒な拗らせ方をする女ではなかった。
そしてハーレムの中で生き抜くため、ユリアが選んだ方法はありきたりといえばありきたりであった。
つまるところ第1に友人、第2に金だ。
友人についていえば、社交的なユリアはそれほど友達作りに困っていたようには見えない。記憶力は良い方なのか、あるいは公爵令嬢として顔と名前と相手の好みを覚える訓練をしてきたのか。
いずれにせよ、ユリアは単なる雑談を巧みな話術で他人が興味を引かれる物語に仕立てることも、他人の話題にノリよく乗っかって広げたり膨らませることも、どちらも得意であった。
そして金についてであるが、一般的には誰かの仕事を肩代わりして報酬をもらうとか、あるいは情報屋となって派閥か見張りの宦官たちから報酬をもらう、といった小遣い稼ぎが一般的だ。
ユリアもそうした小遣い稼ぎをしなかったとは言わないが、明らかに彼女の羽振りはそれ以上に大きかった。
――実はユリアがハーレムに入る時に、こっそり金貨500枚に相当する宝石を持ち込んでいたことをミーナが知ったのは、それからずっと後の事だった。
しかもその持ち込み方というのが、実に汚いやり口だった。
汚い、というのは決して比喩ではない。文字通り、並の貴族のご令嬢ならまず考え付きもせず、庶民であっても流石にそこまでは、というレベルの方法だ。
ハーレムに入る際、宦官がしっかり前の穴も後ろの穴も調べるものだが、こと後ろの穴については1つの法則がある。指を突っ込んだ時に排泄物に触れると、調査はそこで打ち切られるのだ。いくら相手が美人とはいえ、排泄物は排泄物でその中に指を好き好んで突っ込むのは、ごく一部の特殊性癖の変態だけである。
その更に奥に隠されたものまでは、手が届かない。
そんなわけで、ハーレムに来る前のユリアは公爵令嬢で、豆粒ほどの大きさで庶民が一生かかっても変えないような宝石を、ジャラジャラと身に着けていたはずだ。
海賊に襲われた時にはドレスの裏ポケットか靴の中か、あるいは髪の毛を編み込んでその中にでも隠していたであろう宝石を、彼女はハーレムに放り込まれるギリギリまで持っていたのだろう。
その程度であれば、肝の据わった成金の娘あたりが稀に使う手の範囲内であった。だが、そうした経験があったからこそ、宦官どもは前と後ろの穴にすら指を突っ込むほど念入りな検査をするわけで、私服や髪の毛などはとうにチェック済み。
恐らくユリアは食事と一緒に小さな宝石を飲み込んで、体の中にずっと隠し持っていたのだと思う。もちろん1日か2日も経てば排泄されるのだが、当時は水洗式のトレイなどはなく、穴の開いた箱なり壺なりに溜めてから外に捨てていた。
こればかりは完全に推測だが、もしかすると排泄の度にユリアは文字通り「宝石の詰まった糞」を「洗浄」してその中にある宝石を再利用していたのだと思われる。必要とあらば、洗った上でもう一度口から宝石を飲み込むことすらあったかもしれない。
後で聞いた話によれば、外の価値で金貨500枚には相当する宝石をユリアは密かに持ち込んでいたらしい。そこまでやるか、と思わなくもない。自分だったら、間違いなくゴメンだ。
――だが、ユリアは銀行家の娘で、誰よりも金の威力を知っている人間だった。
そして本当に金の使い方が上手い人間というのは、必要以上にケチらず使うべき時にはしっかりと使う。ユリアがどう使ったのか、詳しい話は分からない。
ただ、間違いなくユリアは持ち込んだ宝石を有意義に使い、すぐファラフナーズや他の派閥からも睨まれることはなくなった。彼女がいくら貢いだかは分からないが、ユリアは随分と懐を痛めただろう。
もっと別の事に宝石ないし換金した金を使いたかっただろうし、ハーレムに入って早々このような不幸に見舞われた自信の運命を呪ったに違いない。
せめてもの幸いは、貢いだ相手がありがたがっているキラキラ輝く宝石が、クソ塗れの中古品だという事実を、ユリアだけが知っていたということだろうか。
それでも、それっきり彼女がイジメに遭うことはなくなった。
だが、ユリアはこのことをずっと根に持ち、ファラフナーズたちが報いを受けることになるのは、それからかなり後のことだった。
宝石は消化されませんので、飲み込んで排泄物をしっかり洗えば出てくるはず・・・(完全に手口が密輸とかのアレ)