07. カクテルを作ろう!
「蜂蜜が欲しい」とユリアが言い出してきたのは、レイラと取引をして1か月ほど経った頃だった。ちょうど友人も増えてきたところで、周囲も彼女の存在に慣れてきた時期だ。
「蜂蜜? まぁ、そんなもんなら簡単だけど」
ハーレムにおいて、蜂蜜の使い道は多種多様だ。純粋にお菓子や果物にかけたり、美容関係の用途だって少なくない。
「食い気? それとも色気?」
「食い気」
「即答かい」
曲がりなりにもハーレムの一員としてそれはどうなんだ、と思わなくもないのだがユリアはそういう女である。
この頃になるとレイラの方もだんだん目の前にいる元・公爵令嬢が所謂「変人」の部類だと理解してきたので、さほど驚きも疑うでもなく注文されるがままに大量の蜂蜜を届けていく。
――だが、大量に集めた蜂蜜で酒を密造している、というのは流石のレイラにとっても青天の霹靂であった。
ユリアが作っていたのは、蜂蜜酒と呼ばれるもっとも原始的な酒だ。
蜂蜜と水が混ざった液体(蜂蜜水)の糖分が発酵すると、アルコールへと変化する。その結果出来上がるのが蜂蜜酒で、人類最古の酒とも言われていた。
蜂蜜には耐糖性の酵母が含まれており、発酵しやすく、水で割って温かいところに置くだけで蜂蜜酒を作ることができる。蜂蜜酒は古代のヨーロッパ、とりわけ北欧で愛飲され、人々の暮らしと密接に関わっていた。
蜂蜜酒のメリットは、水と蜂蜜だけで作れるという簡便さだ。
水を3分の1になるまで煮詰め、そこに蜂蜜1に対して水3の割合で加え、その混合物を40日間天日に曝しておくというもの。加熱殺菌していない蜂蜜には酵母が含まれているため、ただ水で薄めて放置するだけで自然に発酵する。完成した蜂蜜酒は甘みが消え、まるでビールのような風味になる。
「レイラも飲む?」
「アンタ、本当にマイペースよね」
飲むけど、とレイラは付け加えた。ちょうどチーズとサラミを入手してきたところだったので、少しユリアにもおすそ分けする。
「うん、絶品!」
「それは自分の蜂蜜酒の自画自賛なの? それとも一緒に食べたサラミ?」
どっちも!と元気よく答えるユリアに、レイラは笑って追加のサラミを渡す。基本的に一匹狼のレイラは今まで一人でちびちび飲む方が性に合っていたのだが、見た目に反してさばけた性格のユリアとはどういうわけが気が合った。
「レイラは? 酒おいしい?」
「正直、微妙」
「そこはお世辞でもいいから美味しいって言ってよ」
ユリアはそう言ってけらけらと笑った後、自作の蜂蜜酒と密輸したスパークリングワインを飲み比べた。
「ユリア、どうよ」
「……うん」
とりあえず自作で密造したことで、どうにか量は確保できたのだが、やはりキチンとした業者が作ったものに比べると、どうしても味で劣ってしまうのは致し方ない。
だが、その程度でへこたれないのがユリア・ヴィスコンティという風変わりな女奴隷であった。
「よし、なんか混ぜて誤魔化そう」
そこでユリアが考え付いたのが、別のアランビックを使ってハーブやらレモンやらの香りで中和するというやり方だ。
場合によってはワインやブランデー、生姜、砂糖、ミルク、果汁などとブレンドすることもあった。アマチュアの作ったカクテル、と表現した方が近いかもしれない。
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それから1カ月もすると、ユリアは例のアランビックを使って、様々なバリエーションのカクテルを作るようになった。
「それにしても、ユリア様にこんな才能があったとは」
グラスに残った最後の一口を名残惜しそうに飲み込み、ミーナが感心したように言う。
ミーナの生まれ育った地方でも、質の悪い安酒の味をごまかすためにブレンドする、という方法それ自体は別に珍しいものではない。
ただ、「混ぜ物をした酒」というものは、往々にして男向けに大酒飲みがコスパよくがぶ飲みする手段という扱いで、あまり品の良い女性が飲むものではないとされていた。
だが、ユリアの作ったそれは複数の飲み物を混ぜ、鮮やかな花畑のような彩りをお酒で表現するというもので、ザラやミーナたちハーレムの女奴隷を魅了した。
小さな透き通ったグラスに少量づつ注がれる様々なお酒は、色鮮やかなだけでなく、様々な味でも彼女たちの舌と喉を愉しませていく。
(まさか学生時代、ガールズバーでバイトしてた経験がここに活きてくるとはね……)
辞めた後も趣味で続けてて良かった、とユリアこと由梨亜は前世の自分を自画自賛する。
これが自宅で作ったカクテルをSNSに投稿したり、宅飲みパーティーでやると結構ウケるのだ。おかげで材料こそ違うが、この世界でも“それっぽい”レベルならどうにか再現できる。
最初は趣味用に一人でしんみりと飲んでいたのだが、増えていく一方の酒瓶を不審に思ったミーナに問い詰められたのがキッカケとなり、気づけば飲み仲間が増えていった。
「ねー、なんだかお洒落だよね。カラフルだし、そこまで度数キツくないから飲みやすいし」
ザラは遠慮する素振りすら見せず、ユリアがシェイクした出来立てのフロートに手を伸ばす。
フロートは比重の違うワイン、蜂蜜酒、果汁を使い、1番比重の重い液体から順に注ぐことで色の層ができるようにしたカクテルだ。作るにはある程度の知識とコツがいるが、慣れてしまえばそれなりに形にはなる。
横取りされたレイラがムスッとした表情になるのを見て、ユリアは「また作るから」とからかうように笑う。「少量のお酒をちょっとだけ混ぜて、色々な味を愉しむ」という飲み方が、ユリアの友人たちの心を掴むまでそう長い時間はかからなかった。
「じゃあ、次はエッグノックでも作ろうかな」
ユリアは楽しそうに笑うと、冬の冷水で冷やした金属製のコップを2つ手に取り、大きい方を小さい方に被せて上下にシェイクし始める。
手首のスナップをきかせ、鼻歌を歌いながらリズミカルにシェイクするユリアの姿は、どこか完成された美しさがあった。
「出た、ユリアの謎パフォーマンス!」
「謎とか言うなし」
味のバリエーションもさながら、そうしたユリアの特徴的なパフォーマンスもまた、彼女の作るカクテルがウケた理由の1つである。飲む楽しさだけでなく、見る楽しさ、そして作る楽しさ、それらを総合的にまとめたところに、単なる「混ぜ酒」を超えた価値があった。
そんなわけで、以前のハーレムで酒を飲む女性は少数派だったのものの、徐々にティータイムやコーヒータイムの時間にカクテルを飲むことが浸透していった。
音楽や歌に合わせてパフォーマンスを交えて混ぜ合わせた酒を飲むという習慣は、ハーレムの若い女奴隷を中心にあっという間に受け入れられたのである。
しかし、目立つ人間がいれば足を引っ張りたくもなるというのが、悲しいことに人の性というもの。
ユリアの噂はすぐに広まり、セリムの一件でミーナが忠告した言葉が現実のものになろうとしていた。
「混ぜ酒」、現代でいうとこの「カクテル」は元々は美味しくない酒を飲むための工夫だったそうな。