06. 運び屋レイラ
それから3日後、ユリアの前に現れたのは気の強そうな黒髪の女性だった。
「レイラよ。皆には“運び屋”って呼ばれてる。貴女がユリアね?」
レイラと名乗った女はそう自己紹介すると、じろじろとユリアを観察する。単なる興味本位だったザラと違って、周到に値踏みしているといった印象を受ける目つきだった。
「どうも」
ユリアも負けじとレイラを見返す。骨っぽくて背が高く、気が強そうなクールビューティーといったタイプの女性だ。胸や尻こそ控えめだが、それが一層ほっそりとした体のラインを際立たせる、典型的なモデル型の美人だった。
「それで、嫉妬に狂った挙句に落ちぶれた悪役令嬢さんが、私に何の用?」
「別にイジメてなんか無いわよ」
むすっとした顔でユリアが言い返すと、レイラは軽く肩をすくめた。
「イジメっ子はみんな“イジメられる方に問題がある”って言うもんよ。空気が読めないだとか、アイツが足を引っ張るから皆が迷惑するだとか、それっぽい理由をつけてね」
随分と人を食ったような物言いだが、嘲笑するような感じはない。単純にそういう性格なのだろう。
そして実のところ、ユリアはこういう手合いが嫌いではない。他人に媚を売ったりゴマをするイエスマンより、ずっと好きなぐらいだ。
「私のことはともかく、今日は依頼を頼みに来たの」
「ええ、ミーナから聞いてるわ。あらかじめ言っておくけど、手数料は3割よ」
「それで構わないわ。じゃあ、とりあえず大砲を一門」
「あるわけないでしょ」
にべもなく却下され、ユリアは肩をすくめる。ちょっとした意趣返しだ。
「というのは冗談で、ネウストリアのスパークリングワインを」
「いきなりニッチな注文ね……」
リグリアの北方に位置するネウストリア王国の特産品であるスパークリングワインの評判は、遠くタンジマート帝国まで届いている。
ネウストリア王国は大国だが気候は冷涼で、なんとかブドウ栽培はできるものの、糖分が少ないため、普通にワインを造っても酸っぱいものしかできない。
冬の間は発行が一時的に止まるものの、春になって暖かくなると酵母が冬眠から覚めて発酵が始まり、発酵で出た二酸化炭素がワインに溶けて泡となるのだ。
これは由梨亜の前世でいう「シャンパン」そのものであったが、リグリア共和国でも「泡の出る白ワイン」を貴族たちが面白がって社交界ではちょっとしたブームとなっていた。
「それなりに値は張るけど、まぁ手に入れられないことは無いわ」
他には何かないのか、とレイラが続けて聞くと、ユリアは「うーん」と人差し指を唇に付けて視線を宙に浮かす。
「えーっと、じゃあ“アランビック”があれば」
「あらんびっく?」
なんだか謎の呪文みたいなオーダーが来た。
長い間ずっと運び屋をやっているが、そんな妙な名前のブツはレイラも聞いたことがない。もしかして適当なこと言ってバカにしてるのか?とも思ったが、ユリアの顔を見る限り真面目な依頼ではあるようだ。
「知らない? 錬金術でよく使うやつ」
「は?」
――知るかそんなもん。そもそも錬金術が当たり前のように使えてたまるか。
心の中でツッコミを入れつつ、「なんだか面倒な客が来たな」という顔でレイラはユリアに聞き返す。これまでも色々な依頼があったが、錬金術の道具なんてものは初めて受けた。
「んで、そのアランビックでどうするよ。あんた魔女なの? 錬金術で賢者の石でも作る気?」
「いやぁ、それほどでも」
冗談のつもりがすっと一歩引いたレイラを見て、ユリアは慌てて補足する。魔女狩りの全盛期、異端審問にでもかけられたら堪らない。
「待って! 冗談だから! ハーレムに入る前、ちゃんと改宗もしたから!敬虔な教徒だから!」
「……敬虔の意味、わかってる?」
むしろ伝わったのは信仰心の無さと変わり身の早さで、どこまでも無節操な女だなーと少しばかり親近感が沸く。世俗的なレイラもまた、実の所こういう現金な手合いが嫌いではない。
「まぁアンタが異教徒だろうと魔女だろうと、そこは問題じゃないわ。払うべきものを払ってくれれば、こっちもちゃんと物は渡す。ただし、巻き添えだけは御免よ」
もし騒ぎに巻き込まれたとき、自分の名前を少しでも漏らせば容赦はしない……ビシッとレイラがひとさし指を立てて左右に振ると、ユリアの方もすっと真面目な顔になる。
「私のポリシーは復讐より保身よ。そんな事しないわ」
「……嫉妬イジメで糾弾された没落令嬢が何いってんだか」
ぼそっと毒を吐くレイラ。まぁいずれにせよ、今のところ本人にその気がないようなら何よりである。もし自分の名前を少しでも出そうものなら、翌日には帝都アルラシードに面した銀角湾に繋がる水路に水死体がひとつ浮かぶ事になるだろう。
(しかし没落お嬢様というからどんな奴かと思ったけど、なかなかイイ性格してるじゃない)
早くもレイラはこのユリアという風変わりな新入りを気に入り始めていた。
多少、というかかなり世間ズレしている部分はあるが、箱入り娘だからというより多分本人の性格なのだろう。
実際、話してみると貴族の令嬢というより、小さな商店で家業を手伝ってる看板娘とでも言われた方が似合っている。
「だ・か・ら! 私はイジメなんてしないって言ってるでしょうが」
「はいはい。懲りて学習したのね。偉い偉い」
ぶーぶーと抗議するユリアを適当にあしらった時はまだ、レイラはこの風変りな依頼がハーレムを揺るがすことになろうとは思ってもいなかった。
**
後日、レイラがグルになっている宦官を買収して件の「アランビック」とやらを手に取った時、一瞬でもユリアが魔女だと疑った自分がアホらしく思えた。
そこにあったのは、ちっぽけな2つのフラスコとそれを繋ぐ蓋つきの管という簡素なものだった。
仕組みも単純で、ククルビット(蒸留瓶)と呼ばれるフラスコの中に液体を入れて瓶底を熱すると、沸騰した蒸気はククルビットの上部に被せられたアランビックと呼ばれる蓋つきの管に入り、その内壁で冷却されて受けフラスコへと落ちていく。それだけの装置だった。
とてもじゃないが、こんな単純な器具で不老不死とか人間をカエルに変える魔法薬なんて作れそうには見えない。業者に聞いても、せいぜい香水をハーブと一緒に煮詰めて香りに変化をつけるぐらいの使い道しか無いという。
(考え過ぎだったかな……)
ふたを開けてみれば、香水の調合というのは珍しくはあるが異常というほどでもない趣味だ。
カネとコネで他力本願が基本の貴族が、自らの手で香水を作るなんて話は聞いたことがないが、ユリアぐらいの年頃の女性であれば、ギリギリ変わった趣味の範囲内で済むレベルでもある。
事実、次にユリアから来た依頼は香りの強いハーブと果物で、レイラの予想を裏付けていた。
(にしても……意外に女の子してるんだな、あいつ)
そう思うと、むしろ可愛げすらあるような気がしてきた。変な女だが、悪い人では無さそうだ。
―――そしてその日から、ユリアはレイラの“お得意様”に加わった。
ユリアがどうやって資金を調達してるのかについては、後ほど別の話で触れます。