04. セリムとユリア
ユリアの不敬な物言いを気にした様子もなく、何やらご機嫌な様子のセリム。スルタンと女奴隷という関係でありながら、まるで旧友に会ったかのような気さくな態度だ。
対して、ユリアの方は引きつったような苦笑いを浮かべる。
「あははは……ご機嫌麗しゅう、殿下」
「無礼者! 陛下と呼べ!」
セリムの傍に控えていたサルマンが、血相を変えて吠える。ユリアがぽかんと口を開けてるのを見て、セリムは相変わらずニヤニヤと笑いながら「よい」と手で宦官長を制する。
「この女は祖国で罪を犯してな、追放処分を受けていたのだ。世情に疎くても仕方あるまい。して、最後に会ったのは1年前か?」
「ええ。陛下が私のことを糾弾なさった、あの日以来ですね」
ユリアにとってあの日、というのは1つしかない。
乙女ゲームの主人公である下級貴族出身のヒロインに対して、悪質で陰湿な嫌がらせを行った咎で断罪された日のことである。
そして当時リグリアへ留学していたセリムもまた攻略キャラの一人であり、ユリアの断罪イベントに大きく関わっていた。
「かの公爵令嬢ユリア・ヴィスコンティが、まさか女奴隷にまで身を落としていようとはな」
若きスルタンの言葉には、明らかに嘲笑の色があった。
かつて留学生時代は対等か自分より上だった相手が、奴隷にまで身をやつしているのだ。しかもユリアのイジメにはセリムも巻き込まれたことがあり、ユリアに対する印象は良いものではない。
だが、今となってはそれすら一種のスパイスのようなものであった。
「お前のその姿を見れただけでも、父上を失脚させた価値があったというものだ」
セリムはまだ即位して1年も経っていない。つい半年ほど前、クーデターで先代皇帝アクバルを失脚させて監禁し、スルタンになったばかりだ。
かつて想い人をイジメた公爵令嬢が、今や自分の意のままに出来る女奴隷でしかない、というものは男子の嗜虐心を中々にそそるものがある。
(あ、これベッドに連れ込まれたら、絶対にヤバめのプレイされる流れじゃん……!)
獲物を前にした肉食獣のような表情を浮かべたセリムを見て、身の危険を感じたユリアは慌てて話題を変えようと試みた。
「それであの子、リリアンは息災ですか?」
ユリアがその名を口に出すと、セリムの表情が凍り付いた。
リリアンというのは乙女ゲームの主人公の名前である。断罪イベントの後、もし彼女がセリムを選んでいれば一緒にタンジマート帝国に来る展開になるのだが――。
「……ああ。アルフォンソと上手くやってるらしい」
どうも彼の反応を見る限り、普通にフラれたらしい。
ざまぁ。
ちなみにアルフォンソというのはユリアの元婚約者であり、作品では2番目に人気の王子様キャラだ。
そしてアルフォンソの父であるアレッサンドロ・スフォルツァはリグリア共和国の現ドージェ(統領)でもあり、このルートでは神聖クライス帝国との最終決戦の直前に、スルタンとなったセリムが同盟国として参加してくる胸熱のラストが待っている。
なお悪役令嬢ユリアはリグリア共和国を裏切り、敵である神聖クライス帝国と通じることになるのだが、現状を顧みるにそんな復讐なんて夢のまた夢である。ハーレムの女奴隷に、一体どうしろと。
ユリアがそんなことを考えている間、セリムはしばらく無言で震えていたが、ややあって大きく息を吸い込んだ。野性的な風貌に反して、皇族であるがゆえの感情コントロール術には長けているのが、セリムというキャラクターだ。
「まぁ、これも何かの縁だ。せいぜい励んでくれ」
気まずい沈黙を断ち切るようにセリムはそう言い放つと、そくさくと毛皮のコートを翻して立ち去っていく。
想い人だったヒロインのリリアンにフラれたのを思い出して、興が削がれたのかもしれない。けっこう引きずるタイプなのか、意外と純情な反応である。
「へ、陛下!」
宦官長サルマンがハッと我に返り、慌ててセリムを追いかけたのを皮切りに、ハーレムの中が再びざわめき出した。
「えっ、今のはどういう事ですの?」
「あの新人奴隷と陛下の間に何が……」
「そもそも何者なのかしら、新入りの子って」
ユリアに欠点があるとすれば、まさにこの考えの浅さであった。物事を熟考する前に、とにかく口に出して行動に移してしまう。
「―――ユリア、こっちです。急いでください」
いち早く危機を察知したミーナが、有無を言わさぬ勢いでユリアを陰に引っ張り込む。おかげでユリアは好奇の視線の集中砲火からは逃げられたものの、目の前には腕組みをしたザラの険しい顔が待ち構えていた。
「今のは?」
ミーナが詰問する。その表情は、いつになく硬い。
「あまり過去を詮索しないのがここの不文律ですが、流石に陛下にああも気安く話しかけるような仲となれば話は別です。色々な意味で今後、貴女は注目の的となります」
「あ、あははは……」
「笑いごとではありません。ハーレムは陛下の寵愛を得るための競争社会、そのためにここにいる女奴隷たちは日々、美貌を磨くべく努力したり派閥作りに精を出しています」
事態は急を要すると判断したミーナは、細かい順序をかっとばしてユリアにハーレムの現実を告げる。新人相手にぶっちゃけるのもアレだが、放っておけば彼女だけでなく教育係になった自分にも影響が及ぶ。
「そんな競争社会の中でぽっと出の新人が、いきなり陛下に気安く声をかけて親しげに会話などしようものなら、それを見た周りがどう思うでしょうか?」
「……嫉妬の嵐、とか?」
「一応の自覚はあるようで何よりです」
どこか他人事のようなユリアに、ミーナはハァと大きな溜息を吐く。
(これだから良いとこのお嬢様というのは……)
なんか浮世離れしてるし、愛想はいいけど現実が見えてないし。仮に現実を見せても、いまいちピンと来ない顔とかするし。
まだポカンとしているユリアに対して、ミーナは目を細めて軽くにらむ。
「いいですか? さきほどの一件で貴女は、間違いなくカーヤ様とテオドラ様の両派閥から目をつけられたています。出来る限りサポートはしますが、普段から用心してください」
「はい……」
段々と事情が分かってきて不安になってきたのか、縋るような顔つきでコクコクと頷くユリア。その素直な反応に母性を刺激されそうになるのを堪えて、話はおしまいとばかりにザラは手を叩いた。
「分かったなら、仕事に戻ってください。まずはザラに付いていって、彼女の指示に従うこと」
「はい!」
「夕食の後は私と一緒に勉学の時間です。貴族出身の貴女なら困ることもないでしょうが、一通りやりましょう」
***
――それから一週間ほどが経ち。
「ユリアちゃん仕事早っ!?」
そう呟いたザラの前には、長テーブルいっぱいに置かれた前菜の皿20人前があった。
フムスと呼ばれるヒヨコ豆のペーストがドーナッツ状に皿へ盛り付けられ、真ん中の窪みにはオリーブオイル、刻みパセリとクミンの粉末も等間隔で綺麗に飾り付けられている。
初めて指示無しでユリアが一人で行ったものだ。さほど難しい作業ではないとはいえ、貴族のお嬢様が3日前に見学した作業を見様見真似でやったにしては上出来と言えよう。
「お嬢様って料理もするんだっけ?」
「そりゃあ、お嬢様ですから」
「すごー」
得意げに鼻をならすユリアのドヤ顔に、ザラも調子よく相槌を打つ。ここ数日ですっかり日常になったやりとりだ。
(貴族のお嬢様って召使任せで自分じゃ何も出来ないイメージあったけど、結構やるじゃん)
ユリアの気取らない態度や案外ノリの良い性格に、同年代の友人に飢えていたザラはすっかり気を許している。今では親友といっても良いほど仲良しだ。
世界観設定の一部
タンジマート帝国
・本作の舞台。東西交易の中間に位置する、皇帝を頂点とした大国。スルタンは世継ぎを作るための後宮を持ち、世界中から美女が奴隷として集められる。モデルはオスマン帝国。
リグリア共和国
・ユリアの母国で、ゲームではこの国が舞台。海上交易で発展した経済大国で、西方諸国の文化的な中心地のひとつでもある。国のトップである統領を貴族による選挙で選出する。モデルはジェノヴァ共和国。
神聖クライス帝国
・リグリア共和国の北方の位置する大国で、タンジマート帝国とは仲が悪く、リグリア共和国の富も狙っている。中央集権化に成功したタンジマート帝国と違い、未だ地方分権と封建制が根強い。モデルは神聖ローマ帝国。